6
「ここまでよ、バティスタ。もうやめて」
膝を着く恩師へ拳を向けるアンリ、その手に鎖を巻き付けて。
「……ああ、そのようだ」
バティスタ、彼女の手許で揺れる青い石を見上げて、哀しく微笑む。
「今度こそと、あなたは言った。今後こそ止めてみせようと」
「……ああ、たしかに言った」
「どういう意味? 以前にも、誰か私と同じような人を止めたということ?」
「違うな。止められなかったということだ」
「それは、誰?」
「君の父、私の恩師。ファーブル教授だとも」
予想していた応え。頷けるかどうかは、別として。
「父は事故で死んだ。三十年前、あなたが聞かせてくれたことよ。父が乗り合わせたケイオスクラフトが、バブルゲートの事故で難破したと」
「その通り。航海会社もICCPでさえ、そう言ったさ。しかし三十年前、ゼリーフィッシュの解剖研究に帝都が関与している、その証拠を教授が掴んでいたとしたら、どう思うね」
「三十年前?」と疑問を挟む、俠侍郎。
「貴様がいつ志願したのかは知らないが、とうの昔にあのコーラルの政府は腐敗を抱えていたというわけだ」
「そうかい」
何を語り聞いたところで、後の祭り先に立たずだ。
「……父さんは、帝都に殺された?」
因縁。
「なぜ、わたしに嘘を?」
「当時の君は、まだほんの小さな子どもだった」
「もう二十四だった」
「数え年だ、当てにはならない。父親を失った痛みすら持て余していた君に、恨みと怒りを抱え切れたとは思えんよ」
「……今でも、そうだっていうの?」
「どうかな。復讐心というのは厄介だ。目には目をとは言うが、目に物を言わせるだけで終わらせられれば苦労はしない。誰しも、自分の受けた痛みを正確には量れないものだ。歯止めが効かなくなる。復讐を手段に留められない者は、復讐を望むべきじゃない」
「あなたも、そうだった……?」
「……どうかな」
応えるまでに要した間は、如実に語る。ただの学者が、ああも実戦的な術式を練るまでに、いかほどの執念と研鑽が必要か。机上だけで済む話ではあるまい。実際に流した血の量は、数知れず。
「……私はね、今でも教授のやった事が正しかったとは思えない。君から父親をひとり奪ってまで、やるべきことだったのか?」
「そうね。わたしにもわからない」
何しろ、今しがた真相を聞いたばかりだ。気持ちの整理すら、まともに付いていない。正直、父を嫌った事がないわけでもない。わたし独り残して死んだ父。嫌ってしまえば、悲しみは紛れるから。
「でもきっと、父さんはこう言ったはず。正しいことが、したいわけじゃない」
「ああ、そういう人だった。やらない後悔だけはしたくないとね。君も同じことを言うのか?」
「わたしはそんな風には考えられない。やらない後悔よりやる後悔だなんて、嘘っぱちよ。そんなことなら、誰も迷ったりしない」
後悔という代物を相対的に考えようとするのが、そもそもの間違いだ。
「でも、先の後悔なんて知りようがないでしょう。わたしはただ、躓いても後で慰めにできる道を選んでるだけ」
「……前向きなんだか、後ろ向きなんだかわからんな。君は存外、父親似ではないらしい」
「そうね。誰に似たのかしら」
アンリという人間は、別に父だけでできているわけでもないのだ。
「わたしは行く。そう決めたから」
これは返すわとアンリ、バティスタへ鎖付きの因子結晶を差し出す。
「待て」とバティスタ。受け取った鎖が、にわかに形を変えた。鎖に含む鉱因子を操り、片眼鏡の鎖留を耳飾りへと生まれ変わらせる。
「餞別だ。持っていきなさい」
「ピアス? 初めて耳へ穴を開けた時、口うるさく説教したのは誰だった?」
「……認めるよ、私は狭量だった」
もう説教はなしだと、ピアスを手渡す。
「いいえ。まだわたしには、あなたが必要よ。先生」
必ず帰ると、アンリは受け取った。
「いつ振りかな、君からそう呼ばれるのは」
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