2
「起きたか」
テントから衣擦れ。幌の中から抜け出る
「よく眠れたかね?」
「うん。ずいぶんと寝過ごしてしまった」
陽の出に起きるつもりが、真っ直ぐな地平線から太陽が離れている。
「気にするな。混沌の海のひとり旅というやつは、神経がまいるものだ」
自動航行くらいは噛ませているだろうが、コーラル間航行はトラブルが付き物だ。コーラルが及ぼす引力の影響、ゼリーフィッシュ、他の船との接触まで。そのたびに航行システムの警報に叩き起こされる。俠侍郎との交代制でもこたえるのに、ひとりで四六時中付き合わされるのは想像したくもない。
「寝覚めの茶が飲みたければ、それを使ってくれ」
野営用のガスバーナーと水入りのタンクを指差すデガードに、「うん」と頷く凪爪。茶なら、故郷から持ち出した茶葉がまだある。朝からうだる熱気だが、ぬるま湯を口に含むよりは熱い緑茶のほうが目も覚めようというものだ。
「あなたは、なにを?」
ふと気になり、デガードのマグカップを見やる。シャーレに水分は不要だ。
「油だ。朝はやはり、植物油に限る」
湯気の立つマグカップへ口を付けるデガード。ちなみに植物油の発煙点は二百℃近い。
「どうかな、興味があるなら一服試してみるか?」
当然、大抵の人類種が飲めば悶絶必至。熱さを抜きにしても、油は飲み物ではない。
「冗談だ」
返答に詰まる凪爪に、デガードは絞り羽根をキュルキュルと回した。
「……からかわないでくれ」
とりあえず、今朝の茶はよく冷ましてから飲むと決めて、凪爪は茶を淹れ始める。
茶葉を充分に湯へさらし、そろそろ頃合いかというところで、しかし凪爪は急須を取らず、腰に提げた得物へ手を掛けた。
ずらり――と白刃を抜き放つ。
「……どうした?」
「何者かが、この場へ忍び寄って来る」
「なに……?」
怪訝な顔をするデガード、単眼をすがめる。サイバネ内蔵の聴覚センサに目立った反応はない。
凪爪は
「向こうだ」
小高い砂丘。デガードも釣られて一瞥、聴覚を集音センサへ絞って精査。反応あり、砂丘を挟んだ向こうに踏み音。
柔らかい砂をしっかりと踏み締める、二足歩行。バッドランズ土着の人類種の足音だ。その数は――
「ひとり」
妙だとデガードは勘繰った。間違いなく相手はスキャラットだ。彼らは群れで行動する、先立っても数に囲まれたばかりだ。数を重ねた上で敗走を喫したのに、たったひとりで再び攻め入って来るものだろうか。
「ああ、ひとりだ」
冴え切った声。茶を飲まずとも寝起きの気配が霧消する。ひとたび刀を放てば、一刀専心の心境へ達する。
「
砂丘の頂上より胴間声が降って来る。スキャラット、発声が以前にも増して濁っているのは下顎がひしゃげているからだ。
デガードが鉄拳制裁した、くだんの頭目だ。
「不敬、万死。散り逝ゲェ!」
片手へ携えたガラス瓶を呷って、薬液を飲み干す。
変貌は、すぐに訪れた。膚が裂け、肉が粟立つ。悲鳴、咆哮。絶叫が声帯を千切り、叫声へ血が絡む。
叫び声が遠吠えに変わると共に、変化は終わりを告げた。
矮躯は、デガードをして見上げるほどの巨躯へ。筋張った細腕は、丸太のように。潰れていた下顎からは、歪んだ牙が生え揃う。体毛はすべて抜け落ち、ネズミというよりは狂犬病へ侵された狼だ。
「
錬金術の産物。服用した生命へ、身体の変化をもたらす薬物。錬金術は、物理科学と魔法科学を複合した学問と聞くが、霊薬の精製法はより魔法へ近い技術だという。
「それにしてもひどい。どんな混ぜ物を使えば、こうなる」
通常、霊薬が及ぼす肉体への影響はここまで劇的なものではない。薬効は、一時的な機能の向上へ留まる。こうも不可逆的な変貌はしないものだ。
あれはもう、元には戻るまい。凶相にあるのは、破壊衝動。双眸へこびり付いた知性の欠片は、怒りと憎しみで蒸発している。
見境があるとも思えない。味方を伴わなかったのも、そのためだろう。捨て置けば、街へ危険が及ぶ。
デガードは、FCSの目標対応を
「来るぞ……!」
刀を構えて、声を張る凪爪。砂塵を蹴散らして、怪物が跳んだ。
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