砂漠の夜が凍て付くというのは自慢するほどの事もない雑学だが、ここバッドランズは事情が異なる。

 もちろん夜になれば陽は沈むが、バッドランズの形状は平坦だ。分厚い岩層は金属資源を多く含み、薄っぺらいという事もないものの、球形スフィア形状のコーラルと違って裏表がある。

 沈んだ太陽は地表よりも大地へ近付き、裏側は常に赤熱。地層を隔てて、大気灼く昼間の陽射しほど影響は少ないものの、毛布の一枚もあれば火を焚かずともしのげるほどの寒さに落ち着く。

「使ってくれ」

 手頃な岩へ腰掛ける凪爪なつめへ、デガードは毛布を手渡した。

「かたじけない」

 毛布を受け取った凪爪、すんと鼻を嗅ぐ。

「火薬のにおいがする……」

「そこは勘弁してくれ。あの船が、軍用機だった頃の備蓄でね」

「軍用。あなたは兵士だったのか?」

「いいや、私は元警官だ」

 かぶりを振ったデガードは「それよりも」と凪爪が手許へ携えた物へ水を向けた。

「それが噂に聞く倭刀かね?」

 月光に透く白刃。凪爪は、昼間に血を吸った愛刀を手入れしていた。

「わたしの刀だ。銘は、九代くだい又荼毘またたび。業物だ」

 倭刀の銘は、刀工の名を刻む習わしがある。又荼毘は代々、刀鍛治にして介錯人も務める系譜。九代目は、十代目に当主を譲りはしたものの、まだ存命の猫又だ。

 この刀は、彼から直接に凪爪が譲り受けた。

 刃渡りは二尺三寸、刃紋はくっきりと浮かぶ猫球丁字。反りは浅く、斬突共にこなせる利刀である。

 刀身へ研ぎ石を砕いて粉末にした打ち粉をまぶし、倭紙を使って血と脂を拭い取る。最後に椿油を鹿のなめし革で塗り付ける。

 手慣れた仕草、淡い月の光だけを光源に。猫と同じで夜目は効く。

「毎日、そうやって手入れを?」

「いや。錆止めの油が古くなった時と、何者かを斬った時。それだけだ」

「そうか。私と同じだな」

 ホルスターから、愛用の銃を抜くデガード。

「鉄砲。それは、いい武器か」

「どうかな。威力は申し分ないが、装弾数はたったの五発。加えてこいつは中折れ式、銃身を折って実包を装填する。この手のからくりは、撃発の負担へ極端に弱い」

 整備を欠かせば、たちまち動作不良を起こす。デュエルMFを設計、生産したハリソンアームズは、あまりの不評に危うく屋台骨を折るところだったという。

「なぜ、そんな武器を? 父が言うには、刀の善し悪しを決めるのは、斬れ味ではない。敵を何人斬り伏せようとも、同じように斬れることだそうだ」

「至言だな」

「見ればわかる、あなたは優れた戦士だ。いつ壊れるとも知れない武器へ身を預けるのは、どういうわけだろうか」

 実直な言葉に、デガードは微笑する。単眼の絞り羽根がキュルキュルと左右に回転、シャーレ特有のジェスチャー。

「戒め、かな」

「戒め?」

「人生には足し算しかないのだというね」

「……引き算は、存在しないと?」

「ああ。足されるのが、正の整数だけとは限らないというだけだ。のっぴきならない負債を負わされることもあれば、どうしても割り切れない物を押し付けられる時もある」

「よく、わからない……」

「いいさ。こんなものは世に擦れた男のたわ言だ」

 人生観は老若男女、人それぞれだ。若い時分のデガードが、こんな言葉を聞いたところで鵜呑みにできたとも思えない。あの頃は、人生には掛け算さえあると思っていた。

 どうしようもないマイナスが、たったひとつの経験でプラスへ転じる事はあり得ない。マイナスへ転落するのにも、実際はゆっくりとした変化が伴う。気付いた時に手遅れというだけなのだと、そんな事さえ理解していなかった。

「この銃は、そのたわ言を忘れないための戒めだよ」

 展開した銃身を戻して、留め金をしっかりとロックする。

「……すまない。差し出がましい真似だった」

「構わんよ。話したのは私だ」

 そう諭しても、凪爪は耳をぺたりとしおらしく伏せるばかり。どうにもこの娘は、必要以上に自らへ責を課すきらいがある。

「では節介返しに、ひとつ聞いてもいいかね」

「うん、なんでも聞いてくれ」

「まだ、連中を追う気か」

「もちろんだ。それ以外の選択肢は、今のわたしにはない」

 目的以外は見えてない、早死にする。俠侍郎の見立ては、中々どうして外れていない。愚直、盲目。たしかにこれでは、混沌の海へ溺れるのは目に見えている。

「だが、逃げられた。追う当てはあるのか」

「奴らの根城がひとつ、割れている」

「だとして、どうやって追う。バルキリーは高速攻撃艇。航続距離は、そう長くない。バブルゲートを使うにしても、人を追うのに向いたモデルではないだろう」

「……なにが言いたい」

「運び屋の手を借りる気はないかという話だ。ノラウェイダなら、小型艇のひとつくらい背負っていける」

「……どうして、そこまで」

 袖擦り合わせただけの縁。それも、一方的な追突を“袖擦り合わせる”と言ってもよいのなら。負い目引け目は、なおさら他人の親切へ疑念を生む。

「ただの営業だ。運び屋稼業は火の車でね。ただし尻に火が着いてるぶん、速さばかりは保証しよう」

 冗談めかしたデガードの物言いに、凪爪の態度が和らいだ。

「……考えておく」

「ああ。今夜はひとまず寝ておくといい。寝ずの番は私が引き受けよう」

「そういうわけには……」

卵黄種ドゥターと比べれば、シャーレは不眠に耐性がある。一晩徹夜するくらい、わけはないさ」

「……そういうことなら、お言葉に甘えよう」

 刀を腰に引っ提げ毛布を携えて、凪爪は遠慮がちな仕草で近くに建てたテントに入って行く。

「さて」とデガードは、無線機を起動した。そばへ置いた携帯デバイスではなく、サイバネ内蔵の体内通信機。発声なしに会話ができる。

「おい、俠侍郎。相談がある」

『奇遇だな。俺も話しときたいことがある』

「ほう?」

 勘働き。どうにも奴の話題と自分の相談は、根っこのところが共通している気がした。

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