テントを抜け出したアンリは、深く息を吐いた。ヒステリックな自分を自覚して。

「……あー、自己嫌悪」

「なんだって……?」

 遅れてテントを抜け出した俠侍郎、長耳をしなりとさせるアンリへ声を掛ける。

「全力で自分の頬を打ってやりたいって気分」

「なら、そうすりゃいい」

「嫌よ。痛いだけで、余計みじめになるだけだもの……」

 実体験ありという口振りだ。

「まあ、あんだけの剣幕で無茶苦茶叫べばなあ」

「無茶苦茶……。言ってくれる、私の味方してくれたんじゃないの?」

「癪に触る口振りだっただけで、あの爺さんの言うことは正論だ」

「知ってる。だから、こうして落ち込んでるんでしょ」

「実際、あんたじゃ荷が重いよ。学者先生」

「……その呼び方、やめてくれない」

「気を付けるよ、学者先生」

 改める気はない、意思表示。

「あんたにゃ荷が勝ち過ぎる。相手が悪いぜ」

「……心当たりでもあるの?」

「ある。そう言ったら?」

「うそ」

「ホント」

「誰……! 何者なの?」

 掴み掛からんばかりの勢いで俠侍郎へ食って掛かるアンリ。

「金回りはよし、頭抜けたインテリで魔法工学へ固執。手段に頓着せず、狂ってる。そういう集団だ」

 ゼリーフィッシュの密猟犯、その主犯格が組織立って行動しているというのには、アンリも異存はない。

「本当に、心当たりがあるのね」

 ただバティスタの言葉をなぞっているような口振りじゃなさそうだ。

「帝都について、どれくらい知ってる」

「それはまあ、知らないほうがどうかしてる」

 帝都、混沌の海でその名を知らぬ者は居まい。おおよそは、悪名として。

 帝都、今は亡き軍事コーラル。十三年前に勃発した第五次混沌大戦、その火付け役。優れた魔法工学から成る高い軍事力をかざして、近海へ位置する他のコーラルへ侵攻、侵略、植民地化。軍政と帝政のハイブリッド、その悪逆振りがいかほどだったか、あえて説明するまでもないだろう。

 力と理性あるものの統治を謳ってこそいたが、帝都が支配領海へもたらした実態は、低質なディストピアだ。

 力と恐怖による抑圧、合理的な支配。

 各コーラルが連合を結ぶのに時間は掛からなかった。戦火、犠牲。その果てに、帝都が降伏を宣言したのが今より三年前。たったの三年だ。長命なエルフでなくとも、その記憶は新しい。

 もっとも、アンリ自身は戦火の外に在った。戦災はすべて伝聞だけ。広い混沌の海だ、そういう者は少なくない。

「政権は解体されたはず。帝都という名のコーラルはもう、残ってない」

思想マーチ好きな軍隊は、生き意地が汚ねえのさ。カビ生えた尊厳だけで生きていける」

 残党。勝ち戦には、付きものだ。泥沼の末に掴んだ勝利なら、なおさら。

 混沌の海を丸ごと呑み込もうと目論んだ帝都の残骸は、あちこちに転がっている。前哨基地、兵器実験場、兵站倉庫。辺境のコーラルをくまなく探せば、旧帝都の紀章がひとつ、ふたつ見付かる。バッドランズでも、一年前にドワーフが総出でそんな場所を解体したという話だ。

「じゃあ、帝都残党の仕業だっていうの?」

「あのインテリ爺さんの条件に合致するのは、連中しか知らねえ」

 可能性の話さと、肩に引っ掛けたフライトジャケットを持ち直す俠侍郎。

「わからねえのは、ゼリーフィッシュに手を出す理由だ。専門家の意見を聞きたいね」

「ゼリーフィッシュは、人智の及ばない叡智の宝庫。だから、研究資金も豊富に与えられる。富も倫理も秤へ掛けなければ、十年二十年先を行くのも夢じゃないでしょうね」

 なるほど、帝都の復活を目論む残党には打ってつけかもしれない。

「……追うなら、その線か」

 俠侍郎がつぶやいた。

「因縁ってわけ?」

 戦火をばら撒き、植民地化したコーラルの人民を労役、兵役へ駆り立てた帝都。恨み辛みを抱えた者は、引きも切らない。

「そういうんじゃない。虫歯みたいなもんさ」

「どういう意味?」

「見て見ぬ振りが効かない、放っておくと痛み出す。寝入りも寝覚めもすこぶる悪い。だから目に付き次第、根本から引っこ抜くようにしてる」

「ふうん」

 何にしても、詳しく語るつもりはないという語り口。どのみち、詳しく聞くつもりもない。

「これから、どうするの?」

「明日の朝、ここを発つ。早々に船を直して、早晩にでもバッドランズを出るさ」

「密猟犯を追う?」

「ひとまずは、それが足掛かりだ。あんたはどうする。連中をとっ捕まえる、そう言い出したのは学者先生だろ?」

「私には荷が重い。そう言ったじゃない」

「決めるのは、あんたさ。自分でそう言ったんじゃないか」

「そうね」と長耳を弄いながらアンリは言った。

「それはそうだわ……」

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