1-5

 ようやく開かずの扉が開いたのに気が付いたスキャラット達が、キャノピーの隙間へ銃をねじ込もうとする。しかし――

 ぬらり――と、蒼く剣呑に濡れて光る刃の切先が顔を覗かせたのには、スキャラット達は気付かなかった。当然、それが命取りとも知らずに。

 ネズ公共が銃爪を爪弾くよりもなお早く、剣光が文目を描いた。

 コックピットが完全に開き終えると共に、剣先が終点を結ぶ。わずかに、ひとしずく。ぴたりと停まった刀から血の珠が散った。

 はたして、スキャラット達が我が身を襲った剣撃を自覚したのは、いつだったのだろう。

 携えた小銃が枝を払うよりも容易く寸断された時か、銃を持つ腕が切り株にされた時か、はたまた視界がぐらりと揺れて回転するや、首から上のなくなった自分の立ち姿を地面から見上げる羽目になった時か。

 いずれにせよ遅く、もはや取り返しは付くまい。取れた首は、何をどうしてもくっつけようがないだろう。

 スキャラットの首無し死体が、自らの血溜まりへ沈む。

「賊め、欲に溺れた事を悔いて逝け。そうすればせめて、寛容な沙汰を受けられるだろう」

 刀を振るった者が、スキャラットの死体へ言った。台詞の字面ほど侮蔑の気配はなく、経を唱えてやるような響きすらあった。

 情けの掛けどころが、大きく違う。わざわざ斬って捨てた後に慈悲をくれてやるなら、首まで落とさずに腕のひとつで勘弁してやればいいだろうに。

 まあ価値観の違いなどというのは、この広い混沌の海では珍しいものじゃあない。死生観はその最たるものだ。手ずから斬殺した死体に、読経してやる酔狂が居ても不思議じゃない。

 むしろ俠侍郎が意外に感じたのは、その声音の高さ。スキャラットの耳障りな甲高い声とも違う、耳に心地よいメゾソプラノだ。

 年端もゆかない少女――とまではいかずとも、俠侍郎の守備範囲から外れた、女というには成熟の足りない娘っ子。

 着物という、一枚布を縫って袖を拵えて開いた前見頃を帯で閉じる衣装を身に付け、革製の胸当てと籠手を装備している。一端の戦闘装束。

 彼女の素性は、その衣装と下肢に履いた袴の陰から覗く、陽光を蓄えたような色合いの山吹色の尻尾を見れば明らかだ。

 彼女の露出した顔や手は尻尾と同じ柔らかなオレンジの体毛に覆われ、頭頂部には内側にピンク色の地肌が覗く耳がピンと二つ立っている。

 鼻梁は低く、鼻先だけがツンと尖っていて、口許のすぐ上に生えている。

 最も特徴的なのは、眼だろう。小さな額と比べて大きな眼には、白目というものがなく、眼球の全てを占める琥珀色の虹彩には縦に走る瞳孔があった。

 猫のザイルだ。

 着物という独特の衣装に、今しがた披露した優れた刀さばき。そして猫のザイル種とくれば、彼女の出自は自ずと知れる。

倭克わかつ人か。目にするのは久しいな」

 気付けば、いつ間にか俠侍郎のかたわらにデガードが立っていた。くだんのリボルバーは、腰へ巻いたガンベルトへ戻されている。さすがに判別は付かないが、木製のグリップはまた一つ傷を増やしたのだろう。

「……すまん。我を忘れた」

「いいさ。むしろ精々した」

 上背の高い鋼鉄の胸板を拳で小突く。

 長い付き合いだ。うだうだとした話はこれで終わりだと口に出さずとも、それで通じる。

「……それにしても倭克人とはな」

 一度頷いたデガードは話を引き摺らずに、再び倭克の名を口にした。

 倭克は、ひどく閉鎖的なコーラルとして知られている。

 服装や刀の意匠からもそれとわかるように、類例の少ない特異な文化を有しているのだ。

 倭克で鍛造された刀は倭刀と呼ばれ、強度、斬れ味共に極めて高い品質を誇る。刀身に浮かぶ独特な紋様や、鍔や鞘の拵えから美術的価値も高いとされ、他のコーラルで重宝されているという。

 だが、市場へ出回っている倭刀の本数は非常に少ない。というのも前述の通り、倭克は他のコーラルに対して閉鎖的な対応を取っているからだ。

 交易は限られたコーラルとのみ行われ、倭克産の品物が混沌の海へ出回る機会はひどく限られる。

 むろんそれは、物だけに限らず人も同じ。あちらこちらを飛び回る運び屋稼業の俠侍郎達も、倭克へ飛んだ事はない。倭克出身という人間に会ったのも片手で数えられる程度で、それもずいぶんと前の事だ。

「猫又、だったっけか?」

 倭克に棲む人類種は、ザイルのみ。彼らは主に猫又と狗神という二つの種族に別れている。

 猫又は猫のザイル、狗神は犬のザイルで構成される。つまりあの猫のザイルは、倭克人で猫又に属する娘だろう。

「お前達は、何者だ」

 その猫又の娘が刀を右手に携えたまま、バルキリーの上から俠侍郎達を見下ろして誰何を飛ばした。

「彼らの身内か?」

 刀の切先で、スキャラットの死体を示す。わざわざそれを問うという事は、彼女は俠侍郎達がスキャラット達と一戦交えたのを知らないらしい。察するに、つい直前まで墜落の衝撃で気を失ったままだったのだろう。最前、スキャラットの残党にキャノピーを小突かれて、ようやく目を覚ましたといったところか。寝起きであの刀さばきとは空恐ろしい。

「おいコラ。俺らが連中と同じ穴のネズミに見えるってのかよ、当て逃げ娘」

「当て逃げ?」

 猫又の娘は訝しげに眉をひそめ、バルキリーと同様に墜落したノラウェイダを見やる。

「まさか……」

「そのまさかだ。お前にカマ掘られなけりゃ、もっとマシな着陸になってた」

「カマ……?」

「ぶつけて来ただろ、俺の船に。おかげでノラウェイダはあのザマだ」

「いい船だ」

「そりゃどうも。ちょいと前に飛んでる時には、もっといい船だった」

「どうかな。わたしの見たところ、あれは飛んでいるといえる状態じゃなかった。浮かんでいた、あるいは漂っていたと言うべきだ」

「色々と複雑な事情で燃料を切らしてただけだ。慣性に従ってりゃ難なく着地できてた」

「怪しいものだ。船の管理もできない奴に、満足な着陸ができるのか?」

「なんだと、猫娘」

「その物言いは取り消せ、下郎め」

 一触即発。贔屓目に見ても相性のよさそうな二人ではない。まるで水と油――いや、火と火薬だ。お互いに得物を向け合っていないのが、不思議なくらいである。

 今にももう一波乱起きそうというところで――

記述するディスクライブ

 二人の間で、旋風が吹き荒れた。砂を巻き込む突風に、俠侍郎と猫又の娘は諍いを続ける余裕もなく、腕を掲げて顔を庇った。

「そこまでにしておきなさい」

 砂嵐が静まったところで、魔法を放ったアンリが二人を諌める。

「猫又のお嬢さん。私達は、あなたと同じようにスキャラット達に襲われただけよ」

「なにしやがる!」と牙剥く俠侍郎には眼もくれず、アンリは猫又の娘の方へ歩み寄った。

「私は、ご覧の通りエルフのアンリ。そしてこの品のないヒューマンが俠侍郎。あちらのシャーレがデガードよ。それで、あなたの名前はなんていうのかしら?」

 先に名乗られた猫又の娘は、言葉を詰まらせた。売り言葉に買い言葉で俠侍郎には強く出たものの、船を追突させた負い目引け目がないというわけではなさそうだ。加えて先に温和な態度で自己紹介を受けたとなると、強気には出られない。

「……凪爪なつめ。わたしは、凪爪だ」

「そう、凪爪。まずはお礼を言わせてちょうだい」

「お礼?」

 猫又の娘――凪爪は、不思議そうな顔をする。非難を受ける謂れはあっても、礼を言われる筋合いはない。

「ゼリーフィッシュを守ってくれたでしょう。そのお礼」

 凪爪は、その言葉を予想だにしていなかったのか、つぶらな瞳をますます大きく見開いた。

「わたしは」

 ぎしり――と剣柄を強く握り締める、凪爪。

「わたしはなにも、守れてはいない」

 そのただならぬ様子へ、アンリは戸惑うと共に返す言葉を失った。アンリの困惑を察したのか、あるいは自戒の念か。凪爪は柄の握りを緩くして「いや」とかぶりを振った。

「わたしはただ、あの密漁船に用向きがあっただけだ」

「賞金稼ぎか?」と俠侍郎が問うと「違う」とアンリに応じる時よりも不躾な態度で、夏芽は首を横に振った。

金子きんすのためではない。私的な用向きだ」

「私的な?」

 アンリが言葉を拾って問うも凪爪は口を結んで、それ以上の仔細を語ろうとはしない。

「諸君」と、滞った空気を払うようにデガードが言った。

「皆、質問は尽きないだろうが、ひとまずは目先の問題を片付けるとしよう。一度退けたとはいえ、スキャラットが戻って来ないとも限らない。すぐにも船を動かせる状態にしたい」

 実際その提案は助け舟というだけでなく、切実な話だ。

「そうだな」と俠侍郎が頷いた。

「街へ向かうとするか」

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ゼリーフィッシュ・スクランブル 楠々 蛙 @hannpaia

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