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「どうして……!?」
激昂。オアシス街の街外れに建つテントから、半ばヒステリックな声が上がる。
「落ち着け、アンリ」
テーブルへ前のめるアンリをたしなめるのは、老齢の男。といっても
「どう落ち着けっていうの、バティスタ」
彼、バティスタはヒューマン種である。燻し銀の頭髪をオールバックに片眼鏡。ダークブラウンのスリーピースへ白衣を羽織る。いかにも、インテリといった面持ち。実際、名の知れたゼリーフィッシュ研究者で、この調査隊の主任を務める。
「ゼリーフィッシュの密猟、あってはならないことよ」
「それが、事実であればな」
「……私を疑うの?」
「いいや、私は信じよう。だが、皆までそうとは限らない。アンリ、君はまだ学者としては若輩だ。実績もない」
エルフは、五十でようやく成人を迎える。アンリは、身体と精神が相応に成熟したと見做されたばかりなのだ。目前の老人に知見で劣るつもりはない。だが思慮深い見識においては、十ばかりの歳の差だけでないほどの開きがある。エルフのような長命種は、同年代の定命種と比べて、どうしようもなく未熟だ。
「君の証言では、ICCPは動くまい」
希少生物、保護指定動物の密猟執り締まりも任務の範囲内だが。
「ゼリーフィッシュの密猟、殺傷を取り締まる法はあっても、実際に機能したことはないからだ」
密猟の動機は、二つだ。貧困と需要。貧しさから逃れようとする者。野生動物、あるいはその身体の一部を欲する富裕層。この二つが結び付いて初めて、密猟が組織的に行われる。
ゼリーフィッシュの密猟は、成立し得ない。唯一、混沌の海で生育する生物、何を糧にしているのかもわかっていない。飼育は極めて困難だ。
加えて、ゼリーフィッシュは死体を残さない。死ねば同体積の混沌に転化する。これでは密猟業者を支える需要そのものが発生しない。
利益が得られもしないのに、ところによっては政府転覆へ匹敵する大罪を犯してまで、ゼリーフィッシュをいたずらに害する馬鹿は居ない。そういう馬鹿は、混沌の海へ漕ぎ出しても早晩に海の藻屑となるからだ。馬鹿と無能を許すほど、混沌の海はぬるくない。
「けれど現に、ゼリーフィッシュが傷付けられるのを見た。生捕りにしていたわ」
「由々しき事態だな」
「だから、そう言ってる」
「いいや、君は事の深刻さを理解していない。密猟の背景には必ず需要がある。だが、誰がゼリーフィッシュを欲する。資産家の道楽で扱える生き物ではないぞ」
説かれるまでもない。アンリとて、ゼリーフィッシュ研究者の端くれだ。だからこそ、彼女はバティスタの言わんとする事を瞬時に察した
「……私達ね」
「そうだ。ゼリーフィッシュの生体を必要とするのは、我々しか居ない」
ゼリーフィッシュの殺傷を禁じる法が、おおよそすべてのコーラルへ普及したのは、ゼリーフィッシュ研究にまつわる忌むべき過去があるからだ。
解剖を視野に入れた、大々的な研究プログラム。ゼリーフィッシュの軌跡を利用したバブルゲートを代表として彼らの生態が人類の発展に有益なのは言うまでもなく、莫大な資金が投じられたという。
結末は語るまでもない。解剖されたゼリーフィッシュは、ことごとく混沌に溶けた。百を超える無益な実験、その数だけ芽を吹くはずのコーラルを摘み取った。
あるいは三千世界の鴉を殺す勢いで数を重ねれば、延命を図りつつ解剖を続ける手法も得られただろうが、当時、プログラムへ携わった研究者達にも心はあった。
計画は頓挫。以来、ゼリーフィッシュの殺傷は大罪として禁じられる。
「なんてこと……、また同じ愚を犯そうだなんて」
「そうかね」とバティスタは、片眼鏡から下がる鎖へ触れた。
「今だからこそ、そういう考え方もあるだろう」
「……本気で言ってるの?」
「事実、近年のゼリーフィッシュ研究が煮詰まっているのは、君も承知のはずだ。生態観察だけで得られる情報には限りがある」
「時間は常に前へ進んでるわ」
たとえ歩みが遅くとも、前進はできる。
「……そうだな」と頷くバティスタ。その仕草には、諦観があった。初めから、理解が得られるとは思っていないと言外に。
「どのみち、当局は動かない」
「それなら、私がやるまで。どのみち、放ってはおかない」
「どうやってだ? 君は学者だ、警官じゃあるまい」
「どうやってもよ。私が決めたこと」
「……父君にそっくりだな。ファーブル教授もそういう人だった」
ファーブル、父の名だ。バティスタは、かつて父の教え子だった。
「父は関係ない。言ったでしょう、私の決めたこと」
「だから、なんだと言うのか。相手は強大だ、君にはなにもできまいよ」
「……心当たりがあるの?」
「帰納的推論だ。傭兵を雇うだけの資金があり、目的のために手段を選ばず実行する。加えて、ゼリーフィッシュの生体を取り扱うだけのノウハウ。高水準の魔法科学知識を有しているとみていい」
ゼリーフィッシュの研究者は魔法科学へ精通している必要がある。空間力学や、生命へ深く関る“魂”と“魄”因子への深い造詣。魔法科学でも難解とされる分野へ明るくなければ、ゼリーフィッシュ研究のスタートラインにも立てない。
「諦めろ。それが早道だ」
「楽な道でしょ」
「困難に思える道がいつも正しいのなら、さぞかし楽な選択だろうな」
いつもこうだ、こんな風に説き伏せられる。
「私は……!」続く言葉が、見付からない。
「……聞いてらんねえぜ」
声、不意に。テントへ足を踏み入れる、俠侍郎。
「頭ごなしに、くどくどと。あんた、俺の親父にそっくりだ」
「誰だね、不躾に」
「運び屋だ。そこの学者先生の運送代を受け取りに来た」
「ヤクザ者か、どおりで」
バティスタの蔑んだ声に、慣れたものだと俠侍郎は肩をすくめる。
「クレジットで構わないな。それしか持ち合わせはない」
バティスタは、カード型の電子デバイスを取り出した。クレジット、事実上の混沌の海における共通通貨だ。
元は混沌の海中の証券業や保険屋が本社を置く金融コーラル“ヘイヴン”でのみ流通する通貨だったものが、最も安定して信用できる価値基準として、混沌の海に拡がった。
バッドランズのような貨幣はおろか政府すら存在しない辺境コーラルでは、カード型の記憶素子に納めた電子クレジットで取引を行うのが昨今の通例である。
「まいど」と同じカードデバイスで運送代を受け取る俠侍郎。
「お帰りはあちらだ。アンリ、君もだ。馬鹿な考えは捨てて、きちんと目先を見ろ。論文の提出が遅れているようだが」
「……わかった」
渦巻く感情、腹の奥底へ呑み下した声音と共にアンリはテントを後にする。
「そんじゃまた、ご贔屓に」
気のないセールストークを残して、俠侍郎も彼女へ続いた。
「……まったく」
独り残されたバティスタは、また鎖へ触れる。じゃらりと――と。
「本当に父親へそっくりだ」
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