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背丈はヒューマン種の子どもほど、百四十センチが精々。
砂に煤けた
頭に被ったフードから、びっしりと体毛に覆われた
彼らの容姿を描写する上で、最も欠かせない特徴は、やはり尻から突き出した、ツルリと毛のない裸の尻尾。
その尻尾こそ、彼らがいずれの人類種に属しているかを、如実に語る。
ずらり――とノラウェイダを取り囲むのは、ネズミの特徴を持つザイル種。俗にスキャラットと呼ばれる、バッドランズ土着の人類種だ。
性格は総じて、残忍、狡猾。
縄張り意識が強く、踏み入った旅人を襲っては略奪の限りを尽くす。財産、食料、武器。あるいはケイオスクラフトを。
奪った船で混沌の海へ漕ぎ出すのでもなく、破壊と見分けの付かない手際で解体してから、武器なり何なりへ流用する。
蛮族。奴らが、ノラウェイダへ触れるのだけは我慢ならない。俠侍郎は、スキャラットに取り囲まれながら黙っているだけで、理性を総動員にする必要があった。
「縄張りへ踏み入った非礼は詫びよう。これは事故だ、私達に敵意はない」
悪名高いスキャラットにも交渉の余地はあると言ったのは、デガードだ。無用なトラブルは避けろ、俠侍郎とてわからぬ道理ではない。
この場には、アンリも居合わせている。加えて、視線を移せば、半ば砂地へ埋もれているバルキリーの船体。大きな損傷はない。中身まで無事かどうかは不明だが。
「お前達のイシ、関係ナイ」
キィキィと甲高く調子の外れた奇声。ひとりのスキャラットが進み出る。
他の者より上等な装備。襤褸の上へ胸当て代わりに身に付けた、ケイオスクラフトの鋼材。擦り切れそうなスリングベルトへ吊り下げたのは、アンダーレールへ
おおかた盗品だ。他のスキャラットも、めいめい雑多な火器で武装している。
「オマエ達、この砂とオナジ」
頭目と思しきスキャラットは、四本指の手へ足許の砂を掬い上げた。
「ワレワレ、風。砂漠の風、イシ求めない。ただ吹く、荒レル。砂散ラシテ、岩砕ク」
大根役者の仕草で、砂を撒き散らす。
盗品漁りのネズ公が、一丁前に講釈を垂れやがる。喉まで出かかった売り言葉を、俠侍郎は苦労して呑み込んだ。
「だが、風は時に凪ぐ」
反面、デガードは奴らの茶番へ調子を合わせる。
「休むには、よい日取りだろう」
交渉の場とはいっても、デガードも俠侍郎もこれみよがしに、腰へガンベルトを巻いている。こういう手合いとの交渉事は、暴力を背景にするのが得策とは、デガードの弁。相手を尊重しつつ、舐められない程度の力を誇示するのがミソだという。
「今日、凪の日。ヨい日取り」
シャーレというのは数ある人類種の中、頭抜けて強靭。シャーレ種を探すなら、警官か軍人を漁るのが早いとされるほど、戦闘能力は高い。
「ソレ決める、オマエ達の畏敬。示せ、風凪ぐに値スルカ」
よくも言う。
「貢ぎ物というわけか。あいにく、今は物資に持ち合わせがない。弾薬なら、いくらか都合を付けられる」
脅し警告、言外に。撃つも恵むも渡す方には同じ事だが、受け取る者には大きな違いだろうと。
「その銃、イタダク」
ネズ公には、婉曲な脅迫は通用しないらしい。下卑た目付きで、デガードが腰に提げた銃を指差した。
ハリソン・アームズ、デュエルMF。X 44口径。装弾数五発の、リボルバーブラスター拳銃。
木製のグリップは、何度鉄の膚に触れられたのか。幾重もの傷、そのたび丹念にオイルフィニッシュで仕上げた木目には艶がある。
「……学者先生」
ひっそりとアンリへ耳打ちする俠侍郎。
「身構えな。今から荒れる、嵐が吹くぜ」
「どうして? 鉄砲のひとつくらい、渡してやればいいでしょう」
「逆鱗って知ってるか?」
「それは、もちろん」
ドラゴンは専門外だが、それくらいは一般教養だ。
「デガードにとっちゃ、あの銃がそれだ。他人が触れれば、奴は分別をなくす」
分別を? アンリは半信半疑でデガードの背を見やった。
シャーレ種は、総じて理知的だ。思慮深く、論理的な思考。軍人も多いが、数学や哲学を専攻する学者も多数輩出している。
中でもデガードは、シャーレらしいシャーレに思えた。そんな男がまさかと、アンリは彼の動向を窺った。
上背二メートル近いデガードに、にんまりと嗤いながら矮躯を近付けるスキャラット。
「……やめておけ」
背後で聞いただけのアンリですら、底冷えする声音。なのに、おそろしく鈍い感受性のスキャラットは意に介さず、手を伸ばす。ねじくれた爪先が銃把へ触れる。
抜銃、撃発。
「警告はした」
伸ばした食指を、凶弾が食い千切る。
ブラスター銃は、錬金術が精製する
「指ぃぃィィ……!」
咆哮、絶叫。銃声の余韻に、苦鳴を被せるスキャラット。
「やかましい」
怒り心頭に発したデガードは、文字通りの鉄拳で黙らせる。ぐしゃりと無慈悲に、下顎を裏拳で打ち砕いて。
血反吐、べしゃりと。スキャラットが、砂へ沈む。
「砂、不敬、死刑!」
頭目を打ちのめされた手下達が、黙っていようはずもなく。各々、銃を構える。激昂したシャーレへ、遅きに失して。
拡張CPUが
目標対応、デフォルト設定。
舌打ち代わりに、ギュイン――と回転歯を軋らせる。
リボルバーの宿命、弾切れだ。すぐさま半身を切り、前面投影面積を狭くするや、リロード。
デュエルMFは、オープンブレイクだ。銃身下部のヒンジで接合した機関部は、留め金を外すと二つへ展開する。
エジェクターロッドが連動し、空薬莢を排莢。ガンベルトからスピードローダーを取り、五発の予備弾薬を一息に装填する。
その間、スキャラットの銃撃を受けるものの、通常弾薬は痛手にはならない。目標対応の設定はそのまま、息を吹き返した得物で次々とスキャラットを無力化してゆく。
「学者先生、目潰しだ!」
俠侍郎、号令。聞くが早いか、アンリは魔法を行使する。
魔法。魔法科学に則り、物理科学では説明の付かない現象を誘引する技術体系。
術者は術式を構築し、
術式の構築に必要なのは、知識だ。魔法因子の特性、反応と作用への造詣。数学と一緒だ、1+1を知らずして、どうして数式を組み立てられる。
だが、どんなに知識を蓄えても、魔法因子を知覚できなくては、活用の機会は得られない。魔法の素養は、魔法因子の知覚能力に左右される。
世界を魔法因子単位で捉える耳目。物理科学における世界が化学元素で構成されるように、魔法科学の視点で捉える世界は、魔法因子にあふれている。
たとえば、“土”の魔法因子。この乾いた大地では、“水”が乏しい代わりに土因子が強く機能している。とりわけ粒子の細かな砂を形作る土因子は扱いやすい。
「
知覚で得た魔法因子の状態を、魔法科学の知識で裏打ちした上で術式へ反映。世界へ記述する。
砂が
「上出来だ、先生」
ズッ――と突き出る、銃身。俠侍郎の愛銃、アグニ
「耳、塞ぎな」
警告。言われるまでもなく、アンリは咄嗟に“空”の魔法因子を操作。音を遮断、耳許を保護する。
撃発、銃声。燃素火薬がいかんなく打撃力を発揮して、スキャラットの腕を肩から吹き飛ばす。
無力化。失血死はおろか、ショック死も起こり得る重傷だが。デガードほど器用な射撃は無理だ。やる義理もない。正中線を避けただけ、ありがたく思えというドライな情け。
がちん――と、アグニがホールドオープン。弾切れ、ダブルカラムマガジンが底を突く。
「殺セ、殺セ!」
ざぱり――と、かたわらの砂が隆起する。砂中から姿を現す、スキャラット。砂漠ならではのアンブッシュ攻撃。
「間抜け」
俠侍郎なら、このタイミングの奇襲は避ける。弾切れ、リロードタイミング。心得たガンスリンガーなら、その瞬間こそ最も警戒心を強くするからだ。
追い剥ぐだけの蛮族は、残心という言葉を知るまいが。後詰めに備えた、予備の弾丸はすでに装填してある。
混沌の海へ数あるコーラル。なのに、魔法だけがひとつの体系に留まるはずもない。
戦術魔法も、またそのひとつ。字面のまま、戦闘行動へ従事する兵士の使用を想定した魔法体系だ。
軍隊ごとに細かな様式の差はあれど、共通するのは魔法科学への知見を必要としない点。魔法因子の知覚能力さえあれば、知識量に関わらず魔法を発現できる。
応用力に乏しく規模も小さいが、素養さえあれば学のない兵卒でも魔法を行使できる利点は計り知れない。
“
魔法名を思考、それだけで脳裏に刻印された術式が再生。魔法が顕現する。
火の玉、スキャラットが銃爪を爪弾くよりも早く。炸裂、爆圧がネズ公をしたたかに打ちのめす。
帝都軍式戦術魔法、甲三号“鬼火”は、“熱”と“空”の魔法因子へ作用し、指定座標へ爆炎を生む。焼夷効果は乏しいものの、その爆圧は有機体の人類種へ充分な制圧能力を発揮する。
昏倒したスキャラットを足許に、予備マガジンを取り出す俠侍郎。リロードの片手間に、もうひとつ戦術魔法を呼び起こす。
「おい、ネズ公ども!」
大声量。びりびりと、砂塵が震える。
乙三十六号“
「これ以上、砂の肥やしになりてえか!」
態勢を崩した敵陣営を脅し付けるのには、打ってつけだ。これみよがしに遊底を引いて薬室に初弾を装填、示威行為としてはこれくらいがわかりやすい。
効果覿面。スキャラットが、一目散に尻尾を巻く。五体満足な者が重傷者を引きずりながら、そこまで見下げ果てたものでもないらしい。
「おい!」
逃げ出すばかりかと思えば、一部の残党が、未練がましくバルキリーを囲った。
「そいつに先約あるのは俺だ! 手出しすんなら、船の修理代耳揃えてからにしやがれ!」
スキャラット達は、キャノピーをこじ開けるのに悪戦苦闘しているようだ。混沌と操縦席を隔てる障壁、生半可な事では壊せない。だが、緊急時の開閉スイッチくらい備えているだろう。気付くのは時間の問題だ。
そう考えた矢先、おもむろにキャノピーが開いた。スキャラットではない。奴ら、いまだに銃床で船を小突いているだけだ。
空気が抜ける音、気密状態にあったコックピットが開く。
ようやく解かれた開かずの扉、気が付いたスキャラット達が銃口をねじ込む。
ぬらり――と、
剣光、文目を描く。軌跡を赤く染めて。斬線が終点を結ぶと共に、血糊がビタタ――と船体を汚した。
連中は最期まで、自らの末期に気付かない。ぐらりと揺れた視界の果てに、首のない己れの身体を見てさえも。
都合三人分のスキャラット、その首なし死体がばしゃり――と砂地へ沈む。
「賊め、欲に溺れた末路を悔いて逝け。そうすればせめて、寛容な沙汰を受けられる」
声音には、字面ほど侮蔑した様子はない。経を唱えているような気配さえあった。
情けの掛けどころが大きく違う。慈悲をくれてやるなら、腕のひとつで済ませればいいだろうに。広い混沌の海だ、価値観の違いは珍しくない。死生観などは、その最たるものだろう。
手ずから斬殺した死体へ読経してやる酔狂が居ても、不思議じゃあない。
むしろ俠侍郎が意外に感じたのは、高い声調。耳に心地のよい、メゾソプラノ。
着物、袴履きに革の胸当て、右腕には紅革の籠手。一端の戦装束に身を包んでこそ居るが、女というにも成熟が足りてない娘っ子だ。
その素性は、袴の陰から覗く山吹色の尻尾を見れば明らか。
ピン――と立った耳に低い鼻梁、鼻先だけがツンと尖っている。耳も鼻も顔のすべて、露出した手先でさえ、尻尾と同じオレンジ色の体毛がびっしりと。
極め付けは、眼だ。小さな額と比べて、大きくつぶらな瞳。琥珀色の虹彩がほとんどを占有し、瞳孔が縦に走る。
猫。猫の特徴を有する、ザイル種だ。
着物に袴、独特な意匠。卓越した刀法剣術。加えて猫のザイル種とくれば、出自は自ずと知れる。
「
かたわらへ並ぶデガード。くだんのリボルバーは、再びホルスターへ仕舞われている。グリップには、またひとつ傷が増えたのだろうか。
「すまん、我を忘れた」
「いいさ、清々した」
上背の高い、鋼鉄の胸板を小突く。うだうだしたやり取りは、これで終わりだ。
「それにしても、倭克人とはな……」
倭克。ひどく閉鎖的なコーラルで、類例の少ない独特な文化を持つ。
特に倭克で鍛えられた刀は倭刀と呼ばれ、頑強かつ優れた斬れ味は、他の追随を許さない。芸術性にも富んだ拵えもあって、他のコーラルでも重宝される。
交易は限られたコーラルとのみ。当然、市場に流れる倭刀はわずかで希少性は高い。品のみならず、人とて同じ。運び屋稼業の俠侍郎達でさえ倭克へ飛んだ事はなく、倭克人と出会った経験も片手で足りる。
「猫又、だっけか?」
倭克人は二種のザイルへ区分される。猫の猫又と、犬の犬神。それぞれ氏族社会を築き、ひとつのコーラルを分かち合う。
つまりあの娘は、猫又だ。
「お前達は、何者だ」
猫又娘の誰何、刀を右手に携えたまま。
「彼らの身内か?」
切先で、切り捨てた死体を指し示す。
「おいこら、俺達が連中と同じ穴のネズミに見えんのか。ふざけんのは飛び方だけにしとけよ、当て逃げ娘!」
「当て逃げ……? まさか」
「そのまさかだ。お前にカマさえ掘られなけりゃ、もうちょいマシな着陸になってた」
「カマ……?」
「ぶつけただろ、俺の船に。お陰でノラウェイダはあのザマだ」
「いい船だ」
「そりゃどうも。ちょいと前に飛んでた時には、もっといい船だった」
「どうかな。わたしの見立てでは、あれは飛んでいるとは言えない状態だった。漂っていると言うべきだ」
「複っ雑な事情で、燃料切らしてただけだ。慣性に従ってりゃ難なく着陸できたさ」
「船の管理もままならず? 怪しいものだな」
「なんだと、猫娘」
「その物言いはよせ、下郎め」
一触即発。まるで火に油、いいや火と火薬だ。
「――
魔法、旋風。砂塵を含んだ突風が、白熱する口論へ水を差す。
「そこまでにしておきなさい」
仲裁を入れたアンリが二人をたしなめる。いや、大人気の欠片もない俠侍郎を責める節が多分にあった。
「猫又のお嬢さん。私達は、スキャラットにたかられただけ。あなたと同じにね」
むしろ、猫又の娘に対する態度は物腰柔らかい。
「私はご覧の通り、エルフのアンリ。この品のないヒューマンは俠侍郎。あちらのシャーレはデガード。あなたは?」
娘が言葉を詰まらせる。売り言葉に買い言葉で俠侍郎には強気に出たものの、船を追突させた負い目引け目がないわけでもないらしい。その上で丁寧な物腰に出られれば、及び腰にもなろうというものだ。
「……
「そう、凪爪。まずはお礼を言わせて」
「礼?」船をぶつけられて礼では、あべこべだ。
「ゼリーフィッシュを守ってくれたでしょう、そのお礼。ありがとう」
思わぬ言葉に、凪爪は眼を見開いた。細長い瞳孔が、楕円形に拡がる。
「わたしは」と
「わたしは、なにも守れていない」
あのゼリーフィッシュに限らず、他の何も。そう言わんばかりの沈んだ声音に、戸惑うアンリ。
「いや」と被りを振る凪爪。アンリの困惑を察したか、自戒からかは知らないが。
「わたしはただ、あの密猟船に用向きがあっただけだ」
「賞金稼ぎか」と俠侍郎。
「違う」といくらか声音を硬くする凪爪。
「奴らは兇状持ちだが、金子のためじゃない。私的な用向きだ」
それ以上は語る気がないと、かたくなに。
「諸君」とデガード、滞る空気を払う。
「疑問、質問は絶えないだろうが、ひとまず目先の問題を片付けよう。まずは船を動かせる状態にしなければ」
助け舟というわけでもなく、切実な提案だ。いつスキャラットが徒党を束ねてやって来ないとも限らない。
燃料、修理。何はともあれ、この場にある物だけでは、どうにもならないとなれば。俠侍郎が頷いた。
「ああ、そうだな。街に向かおう」
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