0-3
ゼリーフィッシュ。
混沌の海、そしてコーラル。その二つの関係を語るにおいて、ゼリーフィッシュの存在は外せまい。彼らはこの世界の根幹に等しい。
彼らは混沌を生身で泳ぐ事のできる、唯一の生体だ。混沌の海を、気が遠くなるほど永い時を掛けて旅をし、定住の海域を定めた時、ゼリーフィッシュはコーラルへと姿を変えるという。
つまりあの砂の台地バッドランズも、かつてはゼリーフィッシュとして、混沌の海を旅していたのだ。
そう今、ノラウェイダの船体近くを悠々と泳ぐ姿もまた、いずれ定める住処を求めて彷徨う、旅路の最中なのだろう。
まるで幽霊のようだと、俠侍郎はゼリーフィッシュを見るたびに同じ感慨を抱く。
傘状の器官が膨張と伸縮を繰り返して、色素の限りなく薄い、透き通った身体を推進させる。そのたびに、混沌の海で唯一発生するリング状のあぶくが、ゼリーフィッシュの軌跡を刻む。
絹織物のような触腕が、波に揺られるようにたなびきながら、泡の輪の中心をゆらりと潜り抜けてゆく。
あるいはそこに神々しさを見出す者もいるのだろうが、俠侍郎はまず先に、その幽かな姿へ儚さを覚えるのだ。
はたして、操舵室へ駆け付けて来たこの学者エルフは、ゼリーフィッシュが混沌の海を泳ぐ姿に何を想うのだろう。
キャノピーの向こうにゼリーフィッシュを認めた俠侍郎達は、これ幸いとアンリを呼び出しのだ。
彼女は、船窓から見えるゼリーフィッシュをつぶさに観察している。
「小ぶりだな」
そうこぼしたのは、デガードだ。
目の前を泳ぐゼリーフィッシュは、ノラウェイダの船体と同程度の大きさだ。生体としては充分に埒外な巨体だが、あれがバッドランズのようなコーラルのタネになると考えると、確かに小さい。
「そうね。あの大きさじゃ、コーラルに変態しても庭園規模にしかならないでしょうね」
アンリはデガードのつぶやきを拾うと、ちらりと流し目を送る。
「そう珍しいわけではないでしょう。あなた達ならあちこち飛び回って見慣れてるんじゃないの、運び屋さん」
言葉の節々に棘がある。どうやらノラウェイダの現状から、俠侍郎達の素性を疑っているらしい。
「大きさ自体は珍しくもないが、あのサイズが群れも作らずに一個体で泳いでいるのは、あまり見かけないものでね」
デガードの応えに納得したのかどうかはともかく、アンリは頷いた。
「ええ。確かにあの種は、群れを作るわ。外敵の居ない彼らが群れるのは、交配のためと考えられてる」
「交配? 連中に雄と雌があるのか?」
思わずそう訊いたのは、俠侍郎だ。別に無性生殖をするとか、雌雄同体だとか考えていたわけではない。ゼリーフィッシュに、雄だの雌だの、生き物らしい定義があるとは思わなかった。これは何も俠侍郎が浅学というわけではなく――違うともいわないが――ごく一般的な認識だろう。
「そうよ。露出している器官や、内蔵の一部に大きく二種類に区分できる差がある。これを生殖器官の違いだと仮定して、彼らにも雌雄の性差があるとされているの」
「どうにも曖昧だな、さっきから」
「実際に解剖して確かめたわけじゃないもの。透明度の高い個体の観察結果から統計を取って、判断しているだけよ。彼らは死体を残さないから」
先ほどから、デガードや俠侍郎の素人質問にすらすらと応じるアンリの様子から充分に察する事ができるだろうが、彼女の学者としての研究対象は、他でもないゼリーフィッシュだ。
「なるほど。となると、やはりあのゼリーフィッシュがひとり孤独に泳いでいるのは不自然というわけだ」
「その通りよ。私がバッドランズに向かうのに、定期便を待たずあなた達を雇った理由は覚えてる?」
「たしか、この近海をゼリーフィッシュの群れが通るからと」
そこまで言い差して、デガードは思い至る。
「つまり、あの個体はその群れの一部なのか」
「そう考えるのが妥当でしょうね」とアンリは頷く。
「ゼリーフィッシュがコーラルの近くを遊泳するのは、珍しいの。大規模な群れとなると、なおさらよ。先遣の観測隊がすでに陣取っているけど、実際にこの眼で観ておきたくてね。でも予測じゃ、ここまで群れがたどり着くのは早くてもあと一日は掛かったはず」
おかしいわとアンリは、エルフ特有の長い耳に触れながらつぶやいた。
「ゼリーフィッシュは滅多なことじゃ群れから離れないのに。なにがあったのかしら」
思案顔で耳を弄る彼女に「原因はきっと、こいつだな」と俠侍郎がレーダー装置の測定情報を示す、立体モニターを指差した。
推進剤が切れたというだけで、ノラウェイダの電気系統は生きている。
モニターの中心点は当然ノラウェイダの位置を示し、中心よりほど近い座標に灯る光点がゼリーフィッシュを表している。そしてそれとは別に、ゼリーフィッシュから少し離れた座標にひとつの光点。レーダー測定範囲に侵入して来た乱入者が居る。
「ずいぶんと懐深くまで踏み込まれたな」
電気系統は生きていると言っても、エンジンが動かせない以上、贅沢はできない。レーダーを飛ばす時間の間隔を開けていたため、探知が遅れたらしい。まあそもそも探知が早かったところで、できる事は何もないのだが。
「やっぱりな、ケイオスクラフトだ」
液晶モニターに船外カメラが拾った映像を反映。混沌の海を背景にして、光の飛沫を噴射しながらこちらへ接近して来る船影が
映し出される。
モニターを操作して映像を拡大。映像から読み取った船体の外観から、演算装置が型式を識別。
どうやら、軍用貨物艇の民間モデルらしい。ベース機がガンシップだったノラウェイダを優に上回る巨体、艦艇クラスの船である。
積んであるエンジンは、物理科学に基づく推進方式だろう。
動作原理に大なり小なりの差はあれ、物理工学を基点とするケイオスクラフトは、おおむね推進剤をプラズマ化して噴出する電気推進をメインの推進力として、姿勢制御スラスタには一液式の化学ロケットを使うものと相場が決まっている。
くだんの貨物艇も例に漏れずにプラズマ光を背負っているようだ。
「貨物輸送が目的の割には、剣呑だな」
デガードの言葉通り、貨物艇の兵装は明らかに自衛手段の域を出ていた。
船体の上下左右、死角を潰すように大量に配置されたレーザーカッター、アヴァロン社製のZ-01“アロンダイト”。
近接防戦システムにしても、火力が高すぎる。合計十六基の高出力レーザー射出器は、あの貨物艇のカタログスペックに記載されたオルタネータの発電能力では賄い切れないはずだ。わざわざ別途、ジェネレータを増設しているとみえる。
つまり、自衛の他に火力を準備しなければならない後ろ暗い事情があると公言しているようなものだ。
「奴ら、なにをするつもりだ?」
疑問を投げるデガードに、俠侍郎はカメラの焦点を貨物艇の船頭へ向ける。そこには、多連装のミサイルポッドのように見える機器が取り付けられていた。
「船頭に取っ付けてある装備。あれには見覚えがある。バカでかい獲物専門にした密猟者御用達の仕事道具だ」
「密猟って……まさか!?」
眼を剥くアンリ。
次の瞬間、彼女はさらに、息を呑むような悲鳴を上げた。
ミサイルポッドの射出孔から幾つもの飛翔体が射ち出され、ゼリーフィッシュへ直撃したのだ。
飛翔体の正体は細く研ぎ澄まされた銛である。悪辣にも先端に返しが付いて、刺し貫いた対象から抜けないようになっている。後端にはワイヤーが結え付けられてあり、ミサイルポッドと連結。つまり俠侍郎の見立て通り、あれは対象を捕獲、拘束するための器械だ。
射出された杭は、およそ十あまり。実際にゼリーフィッシュを捉えたのは半数にも満たない四つの杭だ。誘導装置もなく、数撃ちゃ当たるの武装ならそんなものか。ワイヤーはおそらくカーボンナノチューブで被覆したナノメタルワイヤーだ。四本もあれば牽引するための強度は充分だろう。
「なんてことを……っ!」
悲痛な怒りを込めて、アンリはゼリーフィッシュを拘束した貨物艇を睨み付ける。
「なんとか、なんとかできないの!?」
「無茶を言うなよ。そりゃあ俺だって眺めてて気分の良い見晴らしじゃねえ」
実際、俠侍郎は犬の糞を踏み付けたような面持ちで、目の前の惨劇を眺めている。
「ああ。あまりにも罪深い行いだ」
デガードも同意を示す。口腔の粉砕歯を唸るように回転させたのは、舌打ちにあたるジェスチャーだ。
ゼリーフィッシュはコーラルのタネ。彼らを害するとはつまり、世界の芽を潰すという事と同義である。
「だが推進剤がない以上、指を咥えている他にしようがあるまい」
「それは……」
冷静な指摘に、アンリは言葉を詰まらせる。手許で握りしめた拳を冷めやらぬ怒りに震わせても、確かにどうしようもないのだ。
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