1st session ラット・アキャット・ヒルビリー

「――じろう」

 声。水底に澱む意識へ、降り注ぐ。

「――俠侍郎きょうじろう

 これは記憶の焼き増しか? ふつり――と、既視感が泡と浮く。以前にも、同じ事があった。あれは、誰の声だったか。

「やむを得んか」

 記憶の渦へ沈み込もうとした矢先「ぐおっ……!」バヂリと身体を貫く衝撃に、俠侍郎の意識は水面へ急浮上した

 視界の端が、チカチカと瞬く。ここは何処だと問うより早く、尻が触れるシートの感触、ノラウェイダの操縦席で伸びていたのだ。

 何があった。これはさすがに、寝覚めの頭を掘り起こす必要があった。

 ……そうだ。あの無鉄砲なバルキリーのお陰で、バッドランズへ墜落したのだ。

 コーラルと混沌の海を隔てる境界線ホライゾン、この再突入には衝撃が伴う。衝撃の強さは侵入角度へ比例する。角度が深くなれば、最悪、船は四散するだろう。

 予定の再突入軌道から大きく外されたノラウェイダの侵入角度は、スペック上の耐久保証角度を完全に逸脱。突入態勢を立て直そうにも、推進力がない。

 あのまま考えなしに堕ちるへ任せていれば、バッドランズへ降り注ぐ残骸になっていた。

「よくもまあ、切り抜けたものだな」

 かたわらで、デガードがつぶやいた。掌へスパークを散らす電極を露出させたまま。

「頭が痛え」

 これみよがしに、鈍痛のする後頭部をさする。

「鞭打ちか?」

 悪びれもせずに、サイバネ拡張で掌へ内蔵したスタンガンを引っ込めるデガード。恨みがましく睨み付けると、ようやく「加減はした」と白状する。

「目を覚まさないからだ、やむを得まい」

「なあにがやむを得まい、だ。寝起きに星を視させられたぜ」

「こちらこそ、正直今回ばかりはもう駄目かと思ったがね」

 苦情を訴える俠侍郎に、デガードはトレンチコートの襟へ触れた。

「突入態勢を正すのに、イオン砲を使うとは。飛んだ発想だな」

 重金属イオン砲、ノラウェイダの主兵装。

 イオン砲は、荷電原子イオンを加速して射出する兵器。威力、射程確保のため、安定性よりも比重を重視して重金属原子を利用する必要があるものの、粒子を電気的に加速して放出すると考えると、イオンエンジンと大まかな原理は近しいところがある。

 といって、イオン砲の反動を利用して軌道修正を図るとなると、既存のプログラムは役に立たない。航行制御、火器管制共に。

 射出角度、加速率、重金属原子の流量調整、その他諸々は勘任せのマニュアルだ。底を尽き掛けの余剰電力、チャンスは一度切り。よくもまあ、成功させたものだ。

 九十年というデガードの人生。こと、“飛ぶ”という機能において、この男の右に出る者にはお目に掛かった事がない。

「褒めてんのか、そりゃ」

「どうかな」

 正直、振り回される身としては、感心するよりも呆れる気持ちの方が大きい。

「んなことより、堕ちてからどれくらい経った?」

「十三分二十九秒。私が目覚めたのは、八十七秒前だな」

 数字が具体的なのは、サイバネ拡張の賜物。デガードに増設された、外部メモリとCPUは彼が気絶しても精確に機能する。時計代わりは、機能のほんの一部だ。

「学者先生は?」

「そこで伸びている」とデガードは、操縦席の後ろ位置する搭乗員座席を指差す。

 頭髪に乱れはあるが、アンリの身体へ目立った外傷はない。軽い診断は済ませたが、打ち身をいくつか負っているだけで、骨折や脳挫傷の兆候はないようだった。

「彼女は起こさない方がいいだろう。当座の問題を解決するまでは」

「ああ、そうだな……」

 何しろ、ノラウェイダはこのザマだ。

 バッテリーは干上がり、電気系統は死んだ。砂漠の真ん中で、空調も使えない。墜落の衝撃で、エンジン周りがイカれていようものなら、燃料を確保しても飛び立つ事すらままならない。

 せめてものよかった探しをするなら、ノラウェイダのエンジンが魔導機アーティファクトだというところか。これが物理工学のエンジンであれば、始動のために強力な発電機まで調達しなければいけなかった。

「あの船は、どうなった?」

「さてな。運良く不時着しているかもしれん」

 くだんのバルキリーの損傷は、右舷エンジンのみ。ノラウェイダほどの幸運は必要あるまい。

「気になるのか」

「当て逃げだぞ、落とし前は着けさせる」

 こんな事を口にしているが、先の戦闘を見守っていた様子からして、バルキリーのパイロットを気に掛けているのは明らかだ。

「それにしても、ここはどの辺りだ」

 キャノピーの向こうを見やる俠侍郎。

 見渡す限り、砂の海。バッドランズの荒涼とした風景が、何処までも続いている。俠侍郎達は、運び屋稼業で何度となくこのコーラルに足を運んでいるが、ここは何処もこんな景色ばかりで、景観から座標の辺りを付けるのは難しい。

「それなんだがな」

 ノラウェイダの墜落地点。実はそれこそが、デガードの言う当座の問題だった。

 バッドランズは広大だが、数多のコーラルと比較すれば大きな部類ではない。加えて形状は、平坦フラット。上空から墜落する折、地表を見渡す機会はあった。

 ノラウェイダの落下軌道を計算して、おおよその座標を導き出す。拡張CPUの演算能力があれば、造作もない。

「ここは――」

 デガードが切り出した矢先、ドカン――とひとつ、轟音が船体を震わせた。

「なにごと!?」

 飛び起きる、アンリ。死人を眼を覚ますような爆発だ、無理もない。

「遅かったか」

「おい、まさかここは」

 爆音、意味深に嘆息するデガード。凶兆を察するには充分過ぎる。

「スキャラットの縄張りか?」

 うんざりとした顔で、侍火が言った。

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