第15話


「シア!」

ダイヤモンドの崩壊は若葉の君が閉じ込められていた檻にも伝わった。

私は空中分解する檻の欠片の中から飛び出してきた若葉の君を抱き留めた。

「ペリドット、」

そう呼ぶと、若葉の君はほほを染めて笑った。

初めてベルガモットに会った時を思い出す。

ベルガモットと同じ、緑をベースにした、癒しの色。

ハートに響く、優しい輝き。

8月の誕生石。

ペリドット。

和名を橄欖石。

きっと、ここでの呼び名も別にある。

彼らにはたくさんの呼び名があって、きっとそのどれもが彼らを表す大切なファクター。

違う名で呼ばれても、存在する場所を変えても、それがそれであることは変わらない。

どこにいても、どの名で呼ばれても、私はただ、私であるように。

「シア、」

宙を舞う私たちをサイモンが拾い、ゆっくりと地上へ下ろしてくれた。

「皆無事ね」

そう言ったものの、私はサイモンを見て苦笑した。

とても「無事」とは言い難い。

「ごめんなさい、私のせいね」

「名誉の負傷です」

私が謝るとサイモンはそう言って強がった。

「守ると誓ったものを守るために負う傷なれば誇りとなろう」

あの声が聞こえる。

けれど、あの時のような恐ろしさはない。

それは強く、高く響く、荘厳な声だ。

声自体が変わったわけでも、出所が違うわけでもない。

変わったのは、聞き手側の、私の気持ち。

「ダイヤの、精霊ですか?」

私がそう問いかけると、目の前に一際輝くダイヤの欠片が下りてきた。

すると、それに向かって周りの欠片たちが一斉に集まる。

そしてそれは、私と変わらない、むしろ大きいくらいの人型を取った。

当然だけれど、ベルガモットやペリドットよりもずっと大きい。

銀の糸のような細く長い髪を高く結い上げた細身の女性。

その体には簡易的な鎧を身に着けている。

防御に特化しているというよりは、身軽に動けることを重視した造り。

キラキラと輝くそれもダイヤだろう。

対照的に長いマントの裾をさばいて、彼女は私たちに深く頭を下げた。

「試すような真似をして申し訳ない。われらの未来を託す人がどれほどの覚悟か知りたかった」

「こちらこそ、乱暴な真似してごめんなさい。あなたの体にダメージは?」

そう問いかけると、ダイヤの精は顔をあげてふっと笑った。

「そう仕向けたのはこちらだ。あなたが気に病むことではない」

細められた瞳は、やはり、ベルガモットやペリドットと同じだ。

人とは違う、精霊の瞳。

「それで、あなたが守っている方は、どちらに?」

そう言うと、ダイヤの精霊は大きな目をぱちくりとさせた。

ダイヤの精霊は、戦士の姿をしている。

つまり、王は他にいるということだろうと思った。

そもそも、翁たちの話の通りであれば、王は水晶の精霊のはずなのだ。

「ここに、」

今度は柔らかい女性の声がした。

ダイヤの精霊が一見、何もない空間に手を差し伸べる。

するとそこに光が生まれ、一人の女性が現れた。

長い着物を身に着け、頭に水晶でできた飾りをつけている。

その飾りが、シャラシャラと美しい音を奏でていた。

彼女はダイヤの精の手を取り、貴婦人のような優雅な動きでふわりと地に降り立った。

「全て私が命じたこと、ダイヤの精に罪はありませぬ」

「そもそも、何一つ罪ではないでしょう。私の心の中の澱を一掃するための手助けをしてくださったのでしょう?そしてそれは、これからの私にどうしても必要だった」

自分の中にある、怒り、憎しみ、恨みつらみ。

それを抱えたままでは、先へは進めない。

かといって、それを全て無くすことも、その必要もない。

澱となるのは、それを抱えようとする自分の心。

怒りも、憎しみも、恨みも、哀しみも、傷ついた記憶も、全てあっていい。

ただ、とらわれてはいけない。

ネガティブな思いは、消そうとすればするほどよみがえり、より強くなる。

だから、あっていいと決める。

そこにあることが当たり前になれば、固執しなくなる。

惑わされなくなる。

最終的に、どうでもよくなるまで放置すればいい。

それに負けないくらい、幸せになればいい。

そのことに時間を、労力を費やしていけば、いずれそれは薄れる。

完全に消し去ることはできなくても、変容させることはできる。

その存在も、その意味も。

私は、変容への一歩を踏み出した。

私は、幸せになれる場所へ、生まれ変わったのだ。

「一つ、お願いがあります」

私はそう言ってサイモンのそばへ行った。

「彼の傷を、治していただけないでしょうか」

そういうと、水晶の精はにっこりと笑った。

「そなたの手で、治した方が良いと思いますよ」

「それは、どういう、」

「水晶玉を、持っていますね」

水晶の精に言われ、サイモンは持っていた珠を見せた。

「シア、その珠に手をかざしてください」

言われた通りにすると、水晶からいくつもの光が飛び出して私たちの周りを旋回した。

それらは光る尾を伴って飛び、その残像は繭のようになった。

その中で、サイモンの輪郭が光り、崩れ始めた。

「手を離してはなりませんよ」

水晶の精の声が聞こえる。

私は大きく息をして心を静めた。

何が起ころうとしているのか、不思議と理解できた。

つまり、この中はさなぎのようなものだ。

サイモンも、今一度形を取りなおそうとしている。

今、私が動揺してしまえば、サイモンの中に不純物が混ざりかねないと思った。

出来るだけ冷静に。

努めて心穏やかに。

そして、ただ、彼を愛しいと思う気持ちだけを、心に描いた。

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