第6話

普通なら落ちるという状況ではあるけれど、その感覚はなかった。

「道を開ける」という言葉そのままに、その開かれた道を通っている。

例えば、エスカレーターや動く歩道のようなものに乗って、自動的に目的地に運ばれているという感覚。

やがて、足の裏にふっと何かに触れるような感覚がした。

それと同時に風が巻き起こり、その風に吹きはらわれるように闇が後ろへ下がっていった。

そのあとに見えた風景は、闇と真逆の純白。

白い霧に覆われた空間だった。

その空間に、巨大な樹が浮いていた。

根が見えるわけでは無いから、どこかへは生えている様子だったが、その樹の根元もまた、霧に覆われている。

木の根以外に見えるのは苔に覆われた岩と土。

「ようこそおいで下さいました」

さわさわと葉擦れの音と共に、穏やかな女性の声が降ってきた。

「世界樹様」

ベルガモットが弾んだ声を上げると、世界樹からするすると細いツルのようなものが伸びてきた。

それがベルガモットに触れると、その体が優しい光に包まれた。

「案内ありがとう。お疲れ様でしたね」

ベルガモットはそれを気持ちよさそうに浴びている。

「あの、」

それを見ていて、一つの考えが浮かび、つい声をかけてしまった。

「それの力をこの子に分けてあげることはできませんか?」

そう言って胸元に隠れている龍の子を指さした。

「残念ながら、ベルガモットがしてやっている以上の結果は得られぬよ」

だが、と、声は続けた。

「其方の力を借りれば、その子を救うことはできよう」

どうすれば、と、言いかけた台詞を遮るようにミシミシと何かが動く音がした。

「説明は私からしよう。イツキの君、助力を」

今度は落ち着いた男性の声がした。

その声に応えて、世界樹、イツキの君から、細いツルが、木の根元へと伸びていった。

それを追いかけていくと、苔生す大地に降りている根の一部に大きなこぶのようなものが在るのが見えた。

よく見ると、そのこぶが動いているのが分かる。

ツルはそこへと伸びていき、その先端がベルガモットの分身のような形をとった。

小さな精霊たちはこぶの一部を持ち上げ、支えているように見えた。

「ありがとう」

そう言いながら精霊たちに支えられて首をもたげたのは半分ほど樹に同化している状態の龍だった。

「ようこそ、人間殿。私は原初龍ジョカ。もうすぐ命の終わりを迎える故、聞き苦しいところもあろうが、寛容しておくれ」

命の終わり。

その言葉に、私は共感を覚えた。

自分もそうだ。

この龍はある意味、自分と、同じ。

今、胸元に隠れている龍の子もそうだ。

このままにしてしまえば、消えてしまう。

それに逆らうのは、ある意味愚かなことなのかもしれない。

それは、自分の時も何度も思った。

そのとき置かれていた環境が最悪だったせいもあるけれど、最初に病気を告知されたとき、神様から帰ってきていいと言われているのかとも思った。

そんな辛い現世に居る必要はもう無いのだと。

還っておいでと。

だから、多少なりとそこに嬉しさがあったことは否めない。

でも、逆に、今は。

「私はとても長く生きた。こうして、最期のときも穏やかに、愛に包まれて過ごしていられる。寿命が来ることに何ら異存はない。だが、その子は違う。そして、」

ジョカは私を見て微笑んだ。

「あなたも、だ。まだ消えてはいけない」

そう言われて、涙が溢れそうになった。

ずっと、死ねと言われているような気がしていた。

どこかしらから、なにがしかから。

苦しみから解放されるならそれもありだと自分で思うのと、周りから言われるのでは違う。

否、周りからそう言われることが、人を殺す。

自分から死を心底望むということは、本当はないのかもしれない。

そう考えれば、自殺、など存在しない。

それはもう、意図するしないに関わらず、殺人になるのではないか。

法では裁けないだけにタチの悪い殺人。

でも、私はその世界を捨てた。

この世界はそうじゃない。

少なくとも、私に居てほしいと言ってくれる存在がある。

それなら、この世界のためにできることをしたい。

「私、に、何ができますか?」

私がそう言うと、ジョカは、ほ、と、驚いたような声を出した。

「己の延命よりも、使命に興味がおありの様子。なるほど、さすがに」

「今、私の心は救われています。せめてこの命がなくなる、それまでの間だけでも、この子の助けになることをしたい。ベルガモットやサイモンの願いを叶えたい。ジョカ様、あなたの願いも」

素直な気持ちだった。

そこで生きられるように努力するからそこにいられるのではない。

ありのままの自分を愛して、生かしてくれようとする場所だから、努力したいと思うのだ。

それが自然だと思う。

「私の願いをどうか叶えてほしい。これは、あなたにしかできないことだ」

「はい」

ごくり、と、喉が鳴った。

どんな重大な決断を迫られるのだろうと思う。

そんな不安な気持ちを察してか、サイモンが私の後ろに立ち、そっと両手を肩に乗せた。

その重量がなんとも心地よくて、私は不安が消えてなくなるのを感じた。

それが私にしかできない事だというのなら、応えは一つしかない。

残り少ない命でも、せめて最期には穏やかな時を迎えたい。

私を望んでくれる人たちの温かい涙に送られて天に帰りたいと思うから。

延命など、考えてはいない。

それは少し怖いからかもしれないけれど。

「サイモンの花嫁となって欲しい」

「は、え?」

全く思いもよらなかった要求に、私は言葉を失った。

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