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盛山山葵

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彩理あいり、俺たち別れよう」

 シャワーから上がった私は、半年前から付き合っていた彼氏であるはるくんから突然そう告げられた。

「え? ちょっとまって。一体どういう――?」

「これだよ」

 悠くんが手に持ったスマホを掲げ、画面に写った写真を見せる。

 それは、私の趣味であるコスプレの自撮り写真であった。

「あ、それ……。ていうか、それ私のスマホじゃん。なに勝手に見てんの?」

「そんなことよりさ、なにこれ。正直、気持ち悪いんだけど」

 そう言って悠くんは荷物をまとめはじめる。

「まってよ悠くん。今日、泊まっていくんじゃないの」

「だから、もう別れるんだって。こんな趣味隠し持ってるやつと付き合えるわけないよ。俺たちの間に秘密はなしって言ったじゃん」

 自分勝手にまくしたてる悠くんを前に、私は反論する気にすらならなかった。

「今までありがとう、彩理。それじゃあ」

 悠くんがアパートを出ていくと、物悲しい静寂が耳につく。

 ああ、やっぱりダメだったか。いつかは話そうと思っていた。でも、まさかこんな形になるとは思っていなかった。まさかこんなに一方的に蔑まれるなんて、まさか別れることになるなんて。

 もっと早くに打ち明けておくべきだったのだろか。しかし、たとえ包み隠さず趣味のことを話していたとしても、きっと同じことになったのではないだろうか。

「どうすればよかったのかな」

 誰もいない部屋に向かってつぶやく。

 ふと、棚に飾ってある写真に目が留まる。

 悠くんと付き合って数ヶ月のころに撮った写真だ。

 その日はクリスマスだった。

 普段は着ないドレスに身を包まれ、私は少し落ち着かない心地で悠くんを待っていた。

「お待たせ」

「もう、遅いよ」

「ごめん、待った?」

「ううん、さっき来たところ」

 イルミネーションで彩られた街中を2人で手をつないで歩くだけで気分が高揚する。一歩進むごとに、鼓動が強く、なめらかになっていく。

「今日の彩理、いつもより可愛い」

 今日の私は一段と気合が入っていて、大学の友人に手伝ってもらいながらとびきりのおしゃれをしてきた。だから悠くんの言葉は嬉しかったけど、もっと早く言ってほしかったな、と思ってしまった。……本当は、私の姿を見て最初にそう言ってほしかった。

 しかし、悠くんの顔を見るとほんのり頬が赤くなっていて。照れ隠しをして目をそらす悠くんの姿に、私のそんな考えは一瞬で消え去り、私は素直になることができた。

「ありがとう」

「あ、そうだ。せっかくだし写真撮ろうよ」

 ちょうど、一番イルミネーションが綺麗に見える場所に来ていた。

 私たちは、今日一番の笑顔で写真を撮った。

 今思い返せば、私たちの幸せの絶頂はこのときだったのかもしれない。

 写真の中でニコニコと笑っている自分たちの姿を見て、懐かしさと寂しさがこみ上げる。

 無造作に放り投げられている自分のスマホを開き、過去の写真やメッセージを見返す。

 地方の高校から関東の某大学に進学してきて。大学一年生の十月に、生まれて初めて恋人ができた。それが、悠くんだ。

 特に喧嘩をすることもなく、穏やかで満ち足りた日々だった。あるいは、それは嵐の前の静けさだったのかもしれない。

 私は悠くんのことが好きだったし、それは今も変わらない。あんなひどいことを言われたけれど、やっぱり私は悠くんのことが好きだ。どうしようもなく。

 できることなら、もう一度悠くんとやり直したい。そう思って、私は大学の友人に相談した。クリスマスの日、私のコーディネートを手伝ってくれた、あの友人だ。

「えぇ〜、やめときなよ復縁なんて。悠樹はるきでしょ? そんなに悪くはないと思ってたけど、彩理の話を聞くかぎり、そいつ絶対クズだよ」

 案の定、友人は否定してきた。

 分かっている。私も、友だちから同じことを相談されたら確実に同じようなことを言うだろう。

「それでも、私にとって悠くんの存在は大きいの」

「彩理の言いたいことも分かるけどさ、この世にはきっとそいつよりもいい男はいっぱいいるよ。それに、いくら彩理が復縁したいと思っても、向こうがそれに応じるかは分からないでしょ。彩理にとってその男はそんなに大事なの?」

「大事だよ。私のこの感情を支えているのは、理屈なんかじゃない。今まで共有してきた時間や感情によって形作られているの」

「でも、悠樹は彩理の趣味のことで別れようって言ってきたんでしょ? じゃあ、もしそいつにその趣味をやめろって言われたら、彩理はどうすんの? きっぱりやめれる? そいつのために」

 言葉に詰まった。

 私は、悠くんと復縁するにあたって、趣味をやめるという発想は持ち合わせていなかった。きちんと説明すれば、きっと認めてもらえると思い込んでいた。

 でも、たしかにそのとおりだ。私の趣味に気づいたときの悠くんのあの様子だと、悠くんにそう言われてもおかしくはない。むしろそっちの方は自然だ。そんな簡単なことに気がつかなかった自分に落胆する。悠くんとのことで、いまだに動揺しているのだろうか。それとも、昔知人に指摘されたように、私には夢見がちなところがあるのだろうか。

 それに、友人の指摘にはもう1つ大きな意味があった。

 目の前にいる友人とは、今話題に上がっているコスプレの趣味で仲良くなったのだ。お互いに自撮り写真も送り合う仲だ。

 もし私が悠くんのために趣味をやめても、この友人は私の友だちであり続けてくれるだろう。しかし、それはもう今のような関係ではなくなってしまうだろう。いくらこのままでいたいと思っても、たしかなつながりがなくなってしまえば、それは時の流れがゆるしてくれないだろう。

 私にとって、趣味とはそういう意味も含んでいる。

 私は一度目を閉じ、心の奥で考える。

 私のスマホを勝手に見た挙げ句、一方的に趣味を否定してきた悠くん。趣味を通じて知り合った、かけがえのない友人。

 自分が心の底から楽しいと思える趣味。二度と戻ってこない、織り重なった大切な思い出。

 どちらの方が大切か。どちらの方を選びたいと思うか。

 私は静かに目を開けた。

「ありがとう。やっぱり相談してよかった」

「そう、答えは見つかったみたいね」

「……うん」

 友人に礼を告げた私は家に帰ると、スマホに保存されていた写真を削除した。

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写真 盛山山葵 @chama3081

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