【絵】
両脚をジタバタさせても、右腕で水を掴もうとしても、身体の向きは変えられない。
川の流れに完全に自由を奪われたことによって、永倉采奈――ボクは、ついに死を悟った。
まだ十五歳の中学生であるが、決して短い人生だったとは思わない。
むしろ、ボクはよく生き永らえたのだ。
ボクは、生まれつき左腕がない、ということになっている。
しかし、実際には、それはボクがみんなについていた嘘であり、ボクが左腕を失ったのは、八歳の頃だ。
ほとんど前例のない、珍しい小児ガンが、左腕に見つかったのだ。
ボクが生き延びるためには、左腕を切断するしかなかった。
麻酔が切れて、病院のベッドで目覚め、あったはずの腕が無くなっていることを確認した時の絶望は、未だに忘れることができない。
いっそ腕を切らずに、このままガンで死んでしまえば良かった、とすら思った。
ボクはその時の絶望について、誰にも話したくなかったので、あえて、生まれつき左腕がない、という嘘を吐くようになったのだ。
失ったのは、左腕だけではなかった。
友達も、である。
退院し、通い始めた小学校では、左腕のないボクは気味悪がれ、バケモノ扱いされた。
今までボクも遊んでくれていた友だちも、意識的なのか無意識的なのかボクを避けるようになり、誰もボクと遊んでくれなくなった。
小学生とは、正直であり、それゆえ、残酷なのである。
――それだけではない。
今まで、できたことも、急にできなくなった。
スポーツはもちろんそうだし、読書ですら、片手だとシンドイ。朝起きる時にベッドから起きることさえも一苦労なのだ。
左腕がないことに慣れてくると、次第にできることも増えてきた。
とはいえ、それは、
バリアフリーやユニバーサルデザインは世に広まったが、それは、障がい者でもかろうじてできることを増やしたに過ぎない。
決して、障がい者は、健常者以上に何かができることはないのである。
厄介なことに、ボクは、生まれつき、大の負けず嫌いだ。
そんなボクにとって、何をやっても健常者を超えられない、ということは、人生の意味を奪われたに等しかった。
そんなボクを救ってくれたのがある――それは、父親が勧めてくれた絵画である。
絵であれば、片腕でも描けるし、いくらでも時間を掛けることができる。
絵であれば、努力さえすれば、障がい者が健常者を超えることができるのである。
才能はなかった、と思う。
それは絵を習い始めた頃、先生にもハッキリと言われたし、両親にも陰で言われていた。
しかし、ボクには絵しかない、と確信していた。
だから、常に絵を描き続けた。
友だちがいないことは、アドバンテージだった。
他の人が遊んでる時間を、すべて絵画の練習に回せたのである。
小学校高学年になり、ボクの絵は、次第に評価されるようになった。
絵の先生も、両親も、手のひらを返すように、ボクのことを「天才」と褒めそやすようになった。
ボクは、自分の絵が飾られている展覧会に行き、ボクの絵に心奪われている鑑賞客をこっそり遠くから見るのが好きだった。
決して、その客に声を掛けて、「その絵を描いたのはボクなんです」なんて言うようなことはしない。
絵の良いところは、描き手の姿が見えないことなのだ。
ボクの絵を見ている客は、当然の前提として、この絵を描いた人は健常者だと思い込んでいる。
そのことが大事なのである。
その上で、ボクの絵を評価してくれないと、ボクは健常者に勝ったことにはならないのだ。
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