シンパシー

 采奈は誰かに川に突き落とされた――


 楊広は、理路整然と、しかし、乱暴にも、パンドラの匣を開け放ったのである。



「采奈は赤ん坊じゃない。だけど、身体障がい者だ。鴨川は増水していたとはいえ、それでも、比較的穏やかな河川だ。普通は中学生が溺れ死ぬほどじゃないだろう。はね」


「……つまり、采奈は左腕がないから、それで溺れた、と」


「そうだ。もちろん、制服を着ていたから、というのも原因の大きな部分を占める」


 楊広の推理は、筋が通っていて、説得的だと思う。


――とはいえ、僕は、楊広の推理が正しいことを認めるわけにはいかない。



「……でも、警察は、采奈の死は事故死だと判断している。誰かが突き落としたなんて、警察は言ってないんだ」


「証拠がなかったんだろ」


 楊広は涼しい顔で言う。



「犯罪証明の世界では、証拠がない限り、その事実がなかった、ということになるんだ」


「そんなのオカシイよ。警察は、司法解剖だってしてるはずだ。誰かに突き落とされたんだったら、争った跡が死体に残るはずだろう」


「そうとも限らないよ。采奈が油断しているうちに、背後からトンっと押した場合には、争った跡なんて残らない」


「そんなの屁理屈だ!」


「それはお互い様だろう?」


 楊広はとても弁が立つ。


 同年代で、楊広にディベートで勝てる者がいたとすれば、それこそ生前の采奈くらいだろう。



「道人、お互い冷静になろう。たしかに、俺は、采奈は誰かに突き落とされたとは思ってる。だけど、その犯人が道人だと思っているかと言われれば、話は別だ」


 たしかに楊広は、僕が「地獄丸の言うとおり、采奈を殺したのは僕だと思った?」という質問に、「難しい質問」と返したのである。



「俺は、采奈の死の真相を明かすべき、という点では地獄丸派だが、地獄丸の言っていることを全て鵜呑みにするかと言われれば、そうではない」


「地獄丸が、『永倉采奈を殺したのは清周道人』と言っても、信じないというわけか」


「そういうことだ。『可愛いは正義』だけで地獄丸に信奉している奴らと俺は違う」


 楊広が皮肉ったのは、おそらく、「清周道人犯人説」に軽率に乗っかった書き込みをSNSでしている連中だろう。



「昨日の配信で、クライシスが、道人を犯人と特定する根拠を訊いた時、地獄丸はお茶を濁しただろう? 地獄丸に真相を明かして欲しい者として、あの態度は頂けないね」


 楊広は、僕の肩をポンっと叩く。


 そして、反動をつけると、ベンチから立ち上がる。



「そろそろ学校に戻ろうかな。退屈な午前のホームルームもそろそろ終わるし」


 楊広のブレザーの背中を見ながら、僕は思う。



 おそらく楊広が学校を抜け出したのは、僕を励ますためなのだ。


 楊広は、采奈の死の真相を明かすべきだ、という点で、僕とは意見が対立している。


 もっとも、SNS上で、事情も知らないまま僕を犯人扱いする連中や、根拠も無く僕を犯人と糾弾した地獄丸に対しては憤っていて、その点では、僕にシンパシーを覚えているのである。



 楊広は、昔からそういう奴なのだ。

 わざと斜に構えたことを言うものの、根はまっすぐなのだ。

 他人を小馬鹿にしながらも、思いやりの心を常に持っている。



 采奈が死んで、仲良し六人組が解散しても、楊広は少しも変わっていない。



 そういえば――



 僕は、楊広の名前を呼ぶ。


 「何だい?」と楊広が振り返る。その際、ブレザーの右ポケットは翻らない。


 今日も、が入っているのである。



「楊広、は捨ててないんだな」


「……ああ、これのことか」


 楊広が、ブレザーの膨らんだ右ポケットを手でさする。


 そこには、昨日、僕が楊広の胸ぐらを掴んだ際に、地面に落ちたキーケースが入っている。


 そのケースには、ミサンガがキーホルダー代わりに付いている。結び目を留める部分に金属を使った、青を基調にして編まれたミサンガである。



「……道人はどう考えてるか分からないけど、俺にとっては、これは大事なものなんだ」


 楊広が、先ほどまでとは全く違う声のトーンで、少し照れたように言う。



 もっとも、すぐに取り繕うように、また茶化す。



「まさか道人はこのミサンガを捨てたのかい? だとすると、俺は道人犯人説に傾くんだけど」

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