利口

「久しぶりに声を掛けられたと思ったら、まさか校舎裏に呼び出されるとはね。物騒なことはやめてくれよ」


「……待ち合わせ場所に校舎裏を指定したのは、楊広だろ」


「そうだったっけ?」


 楊広がわざとトボける。


 楊広は、そういう奴なのだ。紗杜子とは対照的に、真面目さや誠実さはなく、その時々で「面白い」と思ったことを散発的に口にする。


 頭が良いのに、わざと支離滅裂なことを言ってみて、他人の反応を楽しむところがあるのだ。



 あの日の采奈のように、僕は、花壇の石囲いに座りながら、楊広が来るのを待っていた。

 そして、あの日のように楊広は少し遅れてやってきた。


 ただし、あの日とは違い、花壇には緑が生い茂っている。もう少しすると、チューリップも咲き始めるかもしれない。



「でも、道人が、物騒なことをしようとしてるのは事実だろ?」


「え? どういうこと?」


「道人、いや、クライシスは、俺に極めて物騒な質問を投げつけようとしているんだ。『楊広、君が地獄丸だろ?』って」


 楊広に思惑を読み取られ、ドキッとする。



「どうしてそれを……」


「例の地獄丸の配信は、うちの学校ではそれなりに話題になってるからね」


 それは知らなかった。


 そうであるならば、なおさら次の配信を止めなければならない。


 地獄丸が、「今度こそ暴露配信をする」と予告している配信は、今日の十九時にまで迫っていた。

 プレチャでも、その時間に配信予約がされている。


 今日の十九時までに、僕は、地獄丸の正体を突き止め、地獄丸にDMをしなければならないのである。


 残り時間はあと三時間程度。



「……楊広、僕が『クライシス』だということまで分かってるんだね。さすがだよ」


「それくらい分かるよ。俺を誰だと思ってるんだ」


「学年トップの秀才」


 結局、楊広は卒業まで、校内試験で学年トップの座を誰にも譲らなかった。


 進学先の高校は、誰もがその名を知る有名な私立進学校だ。


「ただし、本来ならば学年二位だけどね」


 楊広は、まばらに雲が散っている青空を見上げる。

 黒縁眼鏡の奥の目が、寂しそうにまばたきをする。



「……楊広、本来の学年トップは采奈だって言いたいんだよね?」


「ああ、そうだ。仮に采奈が生きていて、そして、仮に――」


 楊広は、今度は地面を見て、ハアとため息をつく。



「采奈が美術に対する変なこだわりを捨てていればね」


 楊広が、突然采奈の下駄箱に手紙を投函し、采奈に「友達になって欲しい」と頼んだ所以は、ここにある。


 生前、采奈は、校内試験で学年四位か五位くらいの成績を収めていた。

 もちろんそれだけでも十分過ぎるくらいに立派な成績なのだが、采奈の試験結果には、ある偏りがあった。



 美術の試験の点数だけ、異様に低かったのである。


 采奈が美術が苦手、ということは断じてあり得ない。

 采奈は美術部だし、むしろ美術分野において天才的な能力を持っている。


 もちろん、絵の才能と、美術の試験で、歴史上有名な画家の名前を答えるのとは違っている。

 しかし、采奈は、美術史にも造詣があった。

 僕がにわか知識で、采奈が描いていた風景画を「マネの作品みたい」と称したところ、「マネの主流は人物画だ。それを言うならモネじゃないか」と冷静にツッコまれた。

 それ以外にも、采奈が芸術について語っていたことはあるが、難し過ぎてよく覚えていない。

 それくらいに、采奈は美術に詳しかった。



 では、なぜ采奈の美術の点数が異様に低かったのか。



 それは、楊広の言うところの「変なこだわり」のせいである。



「美術に点数を付けるということ自体が、ボクの美術観に反するんだ」


 采奈は、さらにこう続ける。



「美術の良さは、客観的に評価されないことなんだ。美術を客観的に評価しようとするのは、美術を殺すのに等しいんだよ」


と。



 要するに、僕には、分かるような分からないような理由で、采奈は、美術の試験を「ボイコット」していた。


 裏を返せば、それ以外の試験に関しては、美術の点数の不在を補うほどの高得点を須く収めている、ということになる。


 楊広が、采奈に興味を持ち、果し状なのかラブレターなのか分からない怪文書を送ったのは、このことに気付いたからだった。



 楊広から見れば、采奈は、この学校で、唯一、自分より頭の良い人物だったのである。


 それでいて、采奈は、試験の点数にはこだわらず、毎日のんびりと絵を描いているだけ――のように見える。


 そして、采奈は、左腕がないというハンディキャップを背負っている。


 楊広は、采奈に対して、感情を抱いていたのだろう、と僕は想像している。

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