第二章

出会い

 僕が永倉采奈と出会ったのは、中学に入学して二ヶ月ほどが経った頃である。


 暦どおり、その日は長雨が降っていた。


 朝にテレビで見た天気予報の言葉をそのまま借りれば、「発達した梅雨前線が日本列島全体を覆っている」状況だった。


 それがどうしたのかといえば、当時サッカー部に所属していた僕にとって、部活の練習が休みだった、ということである。


 ゆえに、その日、僕は、放課後、校舎内に残っていた。

 家に帰っても良かったのだが、その日はそうしなかった。


 理由はよく覚えていない。


 学校生活に少し慣れてきたところで校舎内を少し探索してみようと思ったからかもしれないし、単に、雨の日に外に出るのが億劫だったからかもしれない。


 大事なことは、とにかく、その日の放課後、僕は校舎内にいたということ。



 そして、上級生の教室が並んだ一階の廊下で、采奈とすれ違いかけたということである。



 「すれ違いかけた」というのは奇妙な表現であるが、まさにそうなのである。


 本来、二人はすれ違うはずだった。


――しかし、すれ違えなかった。


 なぜなら、向かい側から歩いてくる采奈を見つけた僕は、反射的にその場で立ち止まり、采奈に見入ってしまったからである。



 それは、采奈の容姿ゆえだ。



 別に一目惚れをしたわけではない。



 


 采奈は、黒いブレザーの左手をダボつかせながら、身体の右半身のみを使って、木でできた柱のようなものを抱えていた。



 同じ学年に、生まれつき左腕がない女子がいる、ということは噂では聞いていた。しかし、実際に見たのは初めてだった。



 采奈を初めて見た僕は、失礼ながら、ゾッとした。

 それは偏に僕の人生経験の狭さゆえである。僕は、今まで身体障がいを持った人に出会ったことがなかった。


 本来あるはずのものが、あるべきところにない、ということが、とても怖いことのように思えた。


 まるで廊下で幽霊に鉢合わせたような、そんな気分だったのである。



 片腕の少女と目が合う。


 ヤバい、と思って目を逸らした時には、時すでに遅しだった。



「ねえ、君」


 「君」とは間違いなく僕のことである。この廊下には、今、采奈と僕しかいない。



 僕は顔を下げてしまう。


 間違いなく怒られると思った。


 障がい者をジロジロと見るのは、極めて失礼な行為である。


 采奈は、僕の無礼な態度に腹を立てたに違いない、と思った。



 しかし、違った――



「君、ちょっと手伝ってくれない?」


「……え?」


「これを代わりに運んで欲しいんだ」


 采奈が、「これ」と目で合図したのは、右腕の脇に挟んだ木の柱だった。一本の柱ではない。数本の柱が組み合わさったものである。



「ボクは左腕がないからさ。こういう重たくて大きい物を持つのは苦手でね」


 それは言われなくても分かる。

 しかし、それを言われたことに僕は驚く。



「欲張って画材まで背負ってきたのも良くなかったよ。これのせいで、歩く時にバランスが取りにくい」


 采奈の発言で、僕は、采奈の背中に布地の小さめのリュックがあること、それから、采奈が抱えている柱が、絵を描くのに使う道具なのだということに気が付く。

 後で采奈から教えてもらった知識だが、それはイーゼルと呼ばれる、キャンバスを固定するための三脚だった。



「ここまで頑張って運んできたけど、もう限界だ。君、ボクを助けてくれないか?」



 采奈は、自分の弱さを堂々と曝け出す人間だった。


 そのことが僕には驚きで、新鮮だった。


 そして、僕は、采奈は誰よりも強い人間であることを、初対面ですでに正確に悟っていたのである。

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