ボクらの京都の夜に
鴨川の河川敷には、すでに僕以外の五人が集まっていた。
五人は、僕が現れたことに気付いたようで、僕を見上げ、手を振る。
河川敷に降りるための階段はどこにあるのだろうと僕がキョロキョロしていることも、すぐに気付かれた。
「こっちだ!」
新多が太い声を出しながら、腕を胸の前で交差するようにして、僕の方を指差す。
――いや、新多が指しているのは、僕ではない。
僕の足元に階段があったのだ。
「ありがとう!」
僕は声を張り上げてお礼を言うと、急な階段に足を踏み入れる。
この時期の京都は「これが盆地型気候か」と実感できるような蒸し暑さである。
それは日が落ちてからも少しも変わらなかった。小走りで階段を降りるだけで、汗が溢れる。
とはいえ、河川敷につくと、路上よりも幾分か涼しく感じられる。もしかすると、気分の問題に過ぎないのかもしれないが。
五人は、円になって、川沿いに生えた雑草の上に、制服のまま座っていた。
制服やスカートが汚れることは、気にしていないようだ。
そんなツマラナイことよりも、今この開放感を味わうことの方が優先なのだろう。
修学旅行二日目の夜。
宿泊先の旅館と、夜の街の喧騒から離れた川辺。
ここには、親も、教師も、僕らを縛る者は、誰もいない。
僕も、円に加わると、みんなに倣って、緑の上にお尻をつく。
そして、空を見上げて、そのまま伸びをする。
――最高だ。
雲ひとつない星空も、僕らの「特別な夜」にあつらえ向きである。
「道人、遅かったね。どこで道草を食ってたんだい?」
そう言って、僕の胸をポンと押したのは、
「うわっ!」
上体を後ろに反らしていた僕は、楊広に押された勢いで、そのまま頭から倒れ込みそうになったものの、両手を先に地面に付くことによって、事なきを得た。
僕を倒せなかったことが、残念だと言わんばかりに、楊広は「チッ」と舌打ちをする。
黒縁眼鏡を掛け、うざったいほどに前髪を伸ばした楊広は、秀才であり、成績は学年でトップである。
しかし、秀才であっても決して優等生ではない。イタズラ好きで、善悪よりも、面白いか面白くないかを基準にして行動するタイプである。
「道草食ってたわけじゃないよ。旅館から抜け出すのに苦戦したんだ」
「部屋の窓に、お腹がつっかえたのかい?」
楊広の手が今度は僕のお腹を伸びる。
僕はすんでのところでそれを躱す。
「そんなに太ってないよ。僕の部屋は、みんなと違って四階にあるんだ」
僕以外の五人の部屋は、一階か、もしくは二階だった。それなのに、僕の部屋は四階。部屋割りを決めた担任を恨むしかなかった。
「道人君、四階から飛び降りたんですか? 怪我はありませんでしたか?」
心から僕を心配してくれたのは、
楊広とは対照的に、紗杜子には邪心がない。
とはいえ、こうしてルールを破り、夜の旅館を飛び出してきているのだから、清廉潔白というわけでもない。
紗杜子は掴みどころの無い子である。
決まって髪型は三つ編みなのだが、親の教育方針でもなければ、本人のこだわりでもないらしい。ただ「なんとなくずっとそうしている」というのが本人談。
もしかすると、いわゆる「不思議ちゃん」の部類に入るのかもしれない。
親友に対しても敬語を使い続けるあたりも、なんとなくそれっぽい。
「まさか四階からは飛び降りれないよ。下手したら死ぬから」
「じゃあ、道人君はどうやって旅館から抜け出したんですか?」
紗杜子が首を傾げる。それに合わせて三つ編みも傾ぐ。
「それは……」
「まさか教師に見つかってないよね?」
僕の言葉を遮ったのは、
「大丈夫。撒いてきたから」
「何!? 本当に見つかったの!?」
「冗談冗談」
負けず嫌いの朝雨は、僕に騙されたことへの悔しさで、頬をぷくっと膨らませる。
おかっぱ頭で、元々顔も丸いので、まん丸だなと思ったが、それを口にするとさすがに怒られそうなのでやめておく。
「じゃあ、どうやって旅館を抜け出したの? 出入口は複数の教師が見張ってたはずだけど」
「まさか出入口はなんて使わないよ」
「非常階段でしょ」
いきなり答えを言い当てられて、ドキッとする。
答えたのは朝雨ではない。
永倉采奈である。
河川敷に吹く風で、黒い長髪が靡く。
采奈は、それを白く細い指でスッと束ねる。
そして、涼しい顔のまま、「図星だね」と言う。
僕は「正解」とは言っていない。
采奈は、僕の心が読めるのだろうか。
だとすると、僕の采奈に対する気持ちも――
「ボクの部屋は二階だったけど、同部屋に規律に厳しい子がいてね」
采奈の一人称は、「ボク」である。
「部屋の窓から抜け出すわけにもいかなかったんだ。ゆえに、鍵の開いていた三階の非常階段から抜け出した。道人もそうなんだろう?」
「……うん」
――そうか。采奈もあの階段を通ってここに来たのか。そのことを知っただけで、少しだけ心がときめく。
「それにしても時間がかかり過ぎじゃないか?」
采奈に真顔でそう訊かれると、僕は戸惑わざるを得ない。
実は、答えは単純だ。
僕は、采奈ほど賢くないのだ。
采奈のように、三階の非常階段の鍵が開いていたことにすぐに気付けなかったのだ。
出入口の見張りの教師の隙を狙ったり、トイレの小窓から抜け出そうと無理な方向に身体を捻っていたりしている間に、徒に時間が過ぎていった。
「まあ、そんなことはどうでも良いよ。道人も来て、無事に六人揃ったんだから。まだ宵の口だ。修学旅行最後の夜を楽しもうじゃないか」
気付くと、僕以外の五人は、それぞれの手にジュースの缶を持っている。
六人組の円の中央には、誰かがコンビニで買って来たお菓子の袋が山盛りになっており、その隣に、コーラの缶が一本だけ置いてある。
このコーラは僕のものに違いない。
僕は、常日頃からコーラ好きを公言している。
僕がコーラの缶を拾い上げたのを確認して、采奈が、手に持っていたサイダーのプルトップを、人差し指一本で上げる。
プシューッという爽快な音を合図に、他の五人もそれぞれのジュースの封を開ける。
采奈が号令をかける。
「ボクらの京都の夜に――」
「乾杯!!」
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