挑戦状
地獄丸の配信は、定刻どおり、十九時ちょうどに始まった。
画面の中央には、まるで宇宙服のような、テカテカのワンピースを着た美少女が現れる。
小動物のように黒目の大きな目と、ラクダのような長いまつ毛で、ゆったりと瞬きをする姿は、自分が弱い生き物であり、庇護の対象であることをあからさまにアピールするかのようである。
そんな美少女アバターの頭上には、今日もやはり憎たらしい固定メッセージが掲げられている。
「本日ついに永倉采奈を殺した犯人を暴露します」
配信のスタートを待ち伏せした甲斐あって、最初に訪れた視聴者は僕だった。
配信開始と同時に雪崩れ込んできたほかの視聴者も、わずか五名。
地獄丸は、視聴者が増えるのを待っているのか、まだ一言も話し出さない。
今がチャンスである。
僕から先に仕掛けるのだ。
僕は、クリップボードにコピーしておいたコメントをペーストし、投稿する。
「この配信ヤバいんじゃない? 永倉采奈が殺されたなんて根拠のないこと言って大丈夫?」
この配信全体で最初のコメントである。
とはいえ、視聴者がコメントを投稿してから、配信者のモニターにそのコメントが表示されるまで、若干のラグがある。
僕はドキドキしながら、地獄丸がコメントを読み上げるのを待つ。
「クライシスさん」
まず、地獄丸は、僕のアカウント名を読み上げた。
「初見だね。どうもありがとう」
と杓子定規の歓迎まで口にした後、地獄丸は、僕のコメントを、動揺する様子なく、かつ、淀みなく読み上げた。
「『この配信ヤバいんじゃない? 永倉采奈が殺されたなんて根拠のないこと言って大丈夫?』」
そして、ニヤリと笑った。
「クライシスさん、心配してくれてありがとう。でも、大丈夫。ちゃんと根拠はあるから」
「根拠はある」と断言したのである。
ニヤリと笑ったのはアバターであるが、アバターは、特殊なカメラによって、配信者本人の表情がそのまま反映されるようになっている。
この自信満々な様子は、演技なのだろうか、それとも――
思わず僕は「根拠って何?」とコメントを打ちかける。しかし、送信ボタンを押す直前で、指を止める。
今回の僕の目的は、暴露を止めさせることである。暴露をさせる方向に水を向けるようなコメントは自爆だ。
「根拠はさておき、人を殺したとかという物騒な配信するのヤバくない? 運営に見つかったらどうするの?」
現在のところ、視聴者数は、僕含めて十二名。ジワジワと増えてきているが、コメントを投稿する視聴者は僕だけだ。
僕が送ったコメントは、間も無くして地獄丸の目に触れる。
地獄丸は、僕のコメントを読み上げることなく、返事をする。
「クライシスさん、また心配してくれてありがとう。でも、その点も大丈夫。BANされても、またすぐに別のアカウント作るから」
地獄丸はニコニコと笑っている。
その愛らしいルックスに相反して、かなりタチの悪い配信者である。
とはいえ、この手の返しは、事前に想定済みだ。
「一人の人が複数アカウント作るのは規約違反じゃない?」
たしかに規約違反なのである。この配信が始まる前に、僕は、プレチャ――この配信サイトの会員規約を隅々まで確認している。
プレチャ会員規約には、「一人のユーザーが複数アカウントを作成する行為」が明確に禁止事項に上がっている。
しかし、地獄丸は、「バレなきゃ大丈夫じゃない?」と平然に言う。
「別の端末使えば絶対にバレないし、だいたいバレてもアカウント停止になるくらいでしょ? また別の端末で別のアカウント作ればよくない?」
本当にタチが悪い。
そこまでして、暴露配信をしたいと言うのか――
僕は別のプレチャ会員規約を持ち出すことにする。
「規約上、名誉毀損になる行為は禁止されてる。誰かを『犯人』だと名指ししたら、それは名誉毀損でしょ」
地獄丸の表情が一瞬固まった――ように見えた。
「『犯人』と名指しする行為って名誉毀損に当たるの? それが真実でも?」
銀髪の美少女が、大きく首を傾げる。
「そうだよ。真実でもアウト」
そこまで言い切れるかは分からないのだが、「真実だからといって名誉毀損を免れるわけではない」と書かれている、弁護士のブログは見つけた。
「名誉毀損に該当したら、規約違反にとどまらず刑法犯だよ。警察に捕まる」
これもその弁護士のブログからの引用である。
「うーん」
と三次元の少女が唸る。
僕は、とどめに正論を打ち込むことにした。
「仮に真実なら、配信でやらないで、まず警察に通報すべき」
これには反論の余地はないはずだ。
「永倉采奈は殺された」などと半年前の事故を掘り起こそうとすること自体が問題なのだが、それに目をつぶったとしても、配信という手段が大問題である。
配信とは、すなわち、全世界への一斉生中継なのだ。
友達同士の噂話の交換とはまるで違う。
配信で発言するからこそ、名誉毀損となるリスクも生じる。
僕の狙いどおり、地獄丸はしばらく黙り込んでしまった。表情も曇っている――ように見える。
勝った――と思った。
しかし――
「私、捕まっても良いよ。代わりに永倉采奈を殺した犯人が捕まるなら」
地獄丸は真顔でそう言った。
「こうなったら死なばもろともだよ。私は命懸けで真実を伝えたい」
地獄丸がここまで開き直ることは想定外だった。
何か反論しなければと必死で頭を動かすのだが、何も思いつかない。僕の親指は、スマホの画面に触れられないまま、ソフトウェアキーボードの上を彷徨っている。
もはや地獄丸の暴露を止めることはできないのか――
「でも、クライシスさんの親切な忠告も、少しは参考にしようと思うよ」
――え?
「『地獄丸』の正体が警察にバレたら、たしかに名誉毀損で捕まっちゃうかもしれない。だから、私は、『地獄丸』の正体がバレるものなのかどうかを知りたい」
僕はコメントを返そうと、必死で親指を動かす。
しかし、僕が打とうと思っていたコメントの内容は、地獄丸に先読みされた。
「警察なら、メールアドレスとかIPアドレスからアカウント主を特定できる、と思うでしょ? その点は大丈夫。ちゃんとケアしているから。海外のドメインを使ってるから、そう簡単には特定できないよ」
地獄丸は、なかなかの知能犯のようだ。
「そうじゃなくて、『地獄丸』の正体が誰なのか、クライシスさんが当ててみてよ」
地獄丸は、指を三本立てる。
「三日間あげる。三日後のこの時間の配信までにクライシスさんが『地獄丸』の正体を特定して、私にDMを送る。ただし、回答は一度までね」
なんだそれは――
「正解だったら、私は金輪際配信をやめる。不正解だったら、三日後、今度こそ暴露配信をする」
ふざけている――
まるでゲーム感覚ではないか――
ふと気付くと、視聴者は三百人を超えていた。おそらく、何者かが、地獄丸と僕とのやりとりを面白がって、SNS上で拡散したのだろう。
不特定多数が見ている中で叩きつけられた挑戦状。
それを受けないわけにはいかないのは、僕の沽券に関わるから、というわけではない。
それしか、地獄丸の悪どい企てを防ぐ手段がないからである。
「それじゃあ、クライシスさん、DM待ってるね! バイバイ!」
地獄丸は笑顔で手を振る。
そして、暗転した画面には、「ご視聴ありがとうございました!」の白文字が無情に浮かんだ。
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