第3話

 『一式陸攻』10機……それに搭載された『桜花』も10機……ただひたすらに敵艦隊を目指して飛んでいた。

 もうこれ以上の航空特攻作戦はできなかった。

 搭乗員達の表情も硬く、きつく唇を噛みしめて群青の海を見つめている。


――ただ一矢報いたい……


 彼等に共通する思いは、ただそれだけだった。

 政治的思想、信念、宗教……もうそんな物はどうでも良い。ただ、自分達を生み出し、育んだ、この山も河も大地を護りたい……それだけだった。


 彼等は高級軍人でも政治家でも官僚でもない。

 一介の兵士である……考える事を許されず、命令に従い行動する事しか許されなかった兵士である。

 それぞれの故郷に帰れば、土地を耕したり、街で働いていたりしたであろう何の力もない平民なのだ。


 それでも彼等は、命を賭して空を進んでいく。


 だからこそ、和人は彼等に続いた。

 愛機『03-103号機』は、轟々とエンジン音を響かせ僚機10機と共に、攻撃隊の直掩を行っている。垂直尾翼の数字『03』は和人がかつて所属していた第203海軍航空隊の識別番号だが、書き直す暇もなく塗料も無かった。


 やがて、和人の右手上空に黒い胡麻粒のような点が幾つも見えてきて、和人は翼を何回か振って、後続機に合図をすると無線機のスイッチを入れた。


「こちら朝霧一番……敵機見ゆ……高度7000……方位02……全機戦闘態勢!」


 そう言うと彼は、胴体下の落下増槽を切り離して、先行する特別攻撃隊の『一式陸攻』を追い抜いた。和人機に続く『零戦』は10機……各地から寄せ集められた物で、形式も塗色もバラバラだが市郎達整備兵達が丹念に整備した機体ばかりだ。


「我に続け!」


『03-103号機』が唸りを上げて突進して行き、後続機も和人の指示通り2機一組になって、編隊を組み突っ込んでいく。

 彼等を待ち構えていたのは、予想通り艦載機の『F6Fヘルキャット』だ。発艦した空母毎に梯団を組み、それはさながら雲の層のように何層にも渡っている。


「カミカゼなんてさせるかよ! ジャップ!!」


 愛機である『ホワイト10』を駆る第1空母飛行隊の『撃墜王エース』ティベッツ大尉は、向かってくる『零戦』を見下ろしながら口角を吊り上げて嘲笑った。


 彼我の戦力差は100対11。

 おまけにF6Fの対日本軍機の撃墜対被撃墜比率キルレシオは19対1とされており、圧倒的な戦績を残している。

 どう考えても負ける要素が一つもない戦いだ。


「全機散開!『日本人黄色猿』どもを血祭りにあげてやれ!!」


 彼の号令で、F6Fが大出力のエンジンに物を言わせて、一気に散開し零戦隊を包囲しようと広がっていく。


「これで包囲殲滅だ……たかが10機程度で何ができる?」


 接近する『零戦』を真正面に捉えたF6Fのパイロットが見下すように笑う。

 照準器の中にその薄汚い緑色と赤いミートボールの機体を捉えたら、弾幕を浴びせ掛ければいい。

 そう思った瞬間、先頭の『零戦』の両翼から光が放たれた。


「ヘッ、そんな小便弾……当たるものかよ!」


 が……次の瞬間、コックピットの風防ガラスが砕け散り、続いて20mmの機関砲弾がコックピットをズタズタに引き裂いていく。飛行帽ごと頭部を撃ち抜かれたその操縦士は、瞬時に物言わぬ肉の塊となり、そのまま白煙を引きながら海面に向かって降下していく。


「ジャックがやられた!」

「『零戦ジーク』の中にプロがいるぞ!」

「クソッ、回り込めない!」

ケツに付かれた! 離れない!」

「援護する、ちょっと待て!」

「ノーッ!! 撃たれた! 撃たれた!……穴が開いた! 分解するっ!!」

「何だ此奴コイツ!? 後ろに目でも付いてやがるのか!?」

「こちら『ホワイト24』、メーデー! メーデー! 操縦不能! 墜落するっ!!」

「死にたくないっ! 助けてくれっ!!」

「あれは悪魔だ! 『ブルー・デーモン』だ! 誰か何とかしてくれっ!!」



 ティベッツ大尉は、無線機から飛び込んで来ている仲間の交信に耳を疑った。


――『ブルー・デーモン』だと!?


 噂には聞いた事がある。

 沖縄戦の際に恐ろしく手練れの『零戦ジーク』がいたと言う。

 そいつはこちらの予想がつかない機動マニューバ―を行い、こちらの射点を外し追い越オーバーシュートさせて、背後から機銃弾を数発叩き込んで仕留めるという。

 そしてその『零戦ジーク』の胴体には水色のストライプが描かれていると言う。

 今、ティベッツ大尉の眼前を、その『零戦ジーク』が飛び去って行く。


――こん畜生ガッデム


 ティベッツは、『零戦ジーク』を追いかけるべく愛機『ホワイト10』の速力を上げ、照準器のその機影を収めた。


「くたばれっ! ジャップ!!」


 F6Fの両翼から6挺の12.7mm機銃弾が一斉に放たれる。

 が、その弾丸の行き先にある筈の機影は、一瞬にしてその姿を消した。


「なにぃっ!?」


 気が付けば、彼の背後を護っていた僚機が主翼をもぎ取られ錐揉み状態になって墜落し始め、直後に青い帯の施された『零戦ジーク』が真下から上昇して行った。


「いかん! 編隊を整え直せ! これでは奴の思う壺だ!!」


 ディベッツは、無線機に向かってがなり立てた。

 100対11という圧倒的な戦力差は、裏を返せば、敵味方入り交じる乱戦に持ち込まれると、味方が味方を攻撃するという同士討ちの危険も孕んでいた。


 乱戦状態になってしまうと頭に血が上ってしまい照準器に『敵機』の機影が入った瞬間、発砲するパイロットは少なからず存在する。

 それが流れ弾となって、味方機に被弾させる事もあれば、撃墜した後それが味方機だったと気づくこともある。

 本来であれば、そうならないように徹底的に訓練されるのであるが、米軍とて無限に資材や人材がある訳ではない。

 操縦士のみならず、練度の高い兵員の消耗は戦力そのものを低下させている。


 逆に劣勢の日本機側から見れば、周りの機影は全て敵と見做していい状態になる。見境なく機関砲弾を放てば敵機に当たる。そして、あの『青い悪魔ブルー・デーモン』は味方を次々に『その狩場』に引き摺り込み翻弄している。


 実際、『青い悪魔ブルー・デーモン』の接近に恐慌を来たしたF6Fのパイロットが機銃を乱射すると、その弾丸は味方機に命中するというていたらくだ。

 乱戦に持ち込まれ100機いたF6Fは、既に8機が墜落し、損傷の激しい19機程が編隊から脱落していた。

 編隊を組み直してはみたものの、被弾して煙を噴きながらフラフラと飛んでいる機体が多い事にティベッツは驚いていた。

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