第七章 一陣の風になって(1945年夏)

第1話

「搭乗員、整列!」


 司令官の厳しい声が掛けられ、待機所で車座になっていた特攻隊員達はすっくと立ち上がる。

 順に待機所を飛び出して行く特攻隊員達を和人は静かに見送っていく。ある者は勇躍して、ある者は落ち着いて、ある者は悲壮感を纏って……それが正直な彼等の気持ちなのだ。


 今回も和人以下の零戦隊に特攻出撃命令は下されなかった。

 しかし、彼は麾下の『零戦』パイロット達を待機所に集めていた。飛行前のブリーフィングを行なうために集められていたパイロットは全部で10名。

 いずれも和人より若い者達ばかりであった。


「第三天雷特別攻撃隊の出撃に沿って、我々も出撃する!目的は直掩だ。1機でも多く叩き落とし、彼等の花道を作る。それが我々の任務だ」


 和人は言葉を紡いだ。

 去る6日と9日には、広島と長崎に新型爆弾が投下され甚大な被害が出てしまった。情報によれば新型爆弾を投下したのはたった1機のB-29だと言う。

 その1機の爆撃機さえ、迎撃・撃墜することができなかったのは、戦闘機パイロットとして忸怩とした思いに駆られてしまう。

 だが、燃料は払底し、もはや帝国海軍は軍艦一隻満足に動かすことができない。刀折れ矢尽きた海軍に、日本を護る術はもう無いのだ。


 和人が少尉候補生時代に乗り組んだ、かつての連合艦隊旗艦『長門』も横須賀港に繋留され、浮遊砲台としてカモフラージュの為の迷彩塗装や木々の取り付け、主砲以外の兵装等々の撤去が行われた挙句、米軍艦載機の攻撃を受け中破した状態のまま、放置されたままだと言う。

世界の7大戦艦ビッグ・セブン』の1隻と称され『日本海軍の象徴』『日本の誇り』として、国民から親しまれた『長門』であってもこのような状態では、日本の敗戦も時間の問題でしかない。

 それは若い彼等も肌感覚で判っているのだろう……和人の言葉に誰もが俯き、そして小さく肩を震わせている。


「この基地からの特攻出撃はこれが最後になる。もう燃料も機材も無くなるからだ……そして貴様達は2機一組で行動し、決して離れるな。敵戦闘機群を突破後、離脱……帰投せよ」


 隊長である和人の言葉に「『死ぬ事』で国に報いろ」と散々に教え込まれていた隊員達は息を飲んだ。


「隊長……自分は、突入します!そうでないと……先に征った連中に……」


 その中の一人が声を振り絞るように声を上げた。彼は既に何度も出撃を繰り返している。しかし、機体トラブルで引き返したり不時着したりで、その都度帰還してきている。

 部隊内でも『死に損ない』『腰抜け』『卑怯者』と陰口も叩かれているのを和人も聞いた事がある。


「貴様達に回せる爆弾はもう無い」


 凛とした声で和人が告げた。

 今、特攻機として集められた『零戦』に爆弾は搭載されていない。機銃の弾丸だけが目一杯搭載されているだけだ。


 それは冷静に戦局を分析していた司令官小谷の意向でもあった。

 小谷は攻撃ではなく、防衛のために戦闘機を温存したかった。訓練生たる予科練も廃止された今、補充のパイロットの当てもない。だから、特攻で今や貴重となった戦闘機と人員を浪費する事は避けたかった。


 本当の事を言えば、『一式陸攻』や『桜花』の搭乗員も全員戦闘機パイロットに転換させたい位であったが、時局と命令はそれを許さない。

 だから和人達『零戦隊』に出撃させなかったのだ。

 まして和人は、数少なくなった『撃墜王エース』の一人だ。彼が転属したのも、他の若いパイロット達に地上でできる戦闘訓練をして欲しかったからだ。

 それを和人自身に小谷が打ち明けられた時、和人は言葉を失った。


――志乃にまた会える……


 既に覚悟を決めていたつもりだったのに、一縷の希望が見えてきた。

 しかし、和人は首を振ってその気持ちを追い払ったのだ。

 そして彼はこの場に臨んでいる。


「此処からは俺の本音だ……」


 和人は、部下達を見回す。「顔を上げろ」と肩を叩く。


「もうすぐ戦争は終わる……徹底抗戦、本土決戦を主張して全員玉砕を唱える者もいるだろうが、そうはならない……」


 それは和人の確信にも似た思いだった。


――志乃のような人間が生きている限り、日本は滅びない……必ず生き残る!


 遠く離れた場所でも、和人は志乃を信じている。

 降伏し占領された故国がどのような目に遭わされるのかは判らない。それでも彼女は力の限り生きていく事だろう。例え塗炭に塗れたとしても、いつか必ず立ち直り、前を向いて歩き出す事だろう。


「貴様達は、今は生き残る事だけを考えろ! 例え死に損ないとあざけりを受けたとしても、それは天が貴様達の命を奪う必要が無いと考えたからだ。特攻隊員である事を誇りとし、生きてこそ目にする未来を掴み取れ!」


 部下達は互いに顔を見合わせた。それまでの上官や先輩兵に「死ね」と命令され続けた彼等が、今は「生きろ」と命令を受けている……それに当惑したからだ。


 そして2機一組の編隊飛行……格闘戦に入った時の空戦技術はもはや修得する暇はない。となれば、1機の戦闘機に2人掛かりで挑んで討ち取ろう……相手が得意とする『一撃離脱戦法』で。


 本来格闘戦用に開発された『零戦』に、速度と上昇力を要求する一撃離脱戦法は向いていないのかもしれない。

 それでも2機一組にすることで、長機が攻撃を行っている間、僚機が上空や長機の後方に付いて援護・哨戒を行えば、攻撃を行う長機は後方に留意する必要がないため、攻撃に集中する事ができる筈だ。


 攻撃を行った後は、速やかに離脱することで攻撃を受けなくする……そうすれば生存性は、飛躍的に向上する。

 現場の指揮官として、そう結論付けた和人は手早く各隊員のすべきことを伝達する。複雑な事をする技量はない彼等には、単純かつ明快に指示するしかない。

 説明するにつれ、彼等の顔に赤味が差し来るのを和人は感じていた。死ぬ事を覚悟していた若者達に、次の目標を指し示す事こそ年長者の役割だ。いずれは果てる命だとしても、それに至るまでに何を為すのかを考える事。

 和人は、限られた僅かな時間の中で、彼等の未来を拓こうとしていた。


「よし、総員乗機せよ!」


 和人の命令に、隊員達は一斉に駆け出す。

 先程出撃した特攻隊員達に勝るとも劣らない表情を、その若き顔に宿しながら。

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