第4話

「昨日はね、大日本婦人会の方々が押しかけてきて、大変だったのよ……」


 その時、メイが穏やかに口を開いた。

 連合国軍による土佐湾上陸の可能性について、様々な憶測や流言飛語が飛び交う中で、婦人会の防空訓練も厳しさを増し、藁人形を相手の竹槍訓練も始まったのだが、志乃は参加しなかったのだ。

 当然、婦人会の幹部は血相を変えて朝霧家に乗り込んできた。


 曰く「如何なる場合に遭遇するとも、断じて殉皇の大義に生くるの覚悟を堅持すること」

 曰く「大御宝おおみたからとして子女を育成し、喜んで皇国に捧ぐること」

 曰く「少年女に対するお母さん運動を強化すること」

 これらの決意と断固遂行する意志、そして実践を通して日本の母としてなすべきことを成す。志乃にはそれが欠落していると糾弾してきたのだ。


――あはは、目に浮かぶようだ……


 和人はその時の光景を想像して苦笑した。

 志乃は、そんな事をされて畏まるような存在ではない。当然のように反論して論破してしまったのだろう。


「どうやって追い払ったんだ、志乃?」

「ああ……竹槍投げてB-29やグラマンを撃ち落とせるなら、お手本を見せてって……だって、あたしの旦那様は毎日空に上がって、必死でそれをやっているのに僭越ってものじゃない? それに竹槍で敵の鉄砲に立ち向かうなんて……武田の騎馬隊に出来なかった事が、付け焼刃の人間にできる訳ないじゃない」

「そりゃそうだな。竹槍でも何でもいいけど、人が乗っていないもので敵機を容易く撃墜できるなら、俺みたいな航空兵は予備役よびえきだ。まぁ、その方が良いのかも知れないが……」


 和人は数日前の鹿児島上空での空戦を思い出した。

 その時の相手は海軍の艦載機である『グラマン』ではなく、陸軍の戦闘機『P-51マスタング』だった。速度と武装と急降下性能を生かした一撃離脱戦法に対応できず、多くの仲間が犠牲となった。漁船や家屋などを攻撃し、挙句の果てには走行中の列車や民間人を直接機銃掃射するようになった。


 和人が目撃したのは、顔が見えるほどの低空で飛来し『動く物全て』を狙っていたP-51の傍若無人振りだった。

 付近にある民家に火を噴く武器で爆破し、火で焼かれて逃げ惑う人間を片っ端から銃撃する様子に、和人の血が激しく沸騰した。


――相手は武器も持たぬ非戦闘員だぞっ!


 その時和人は、地上掃射に目を血走らせているそのマスタングに接近し、背後から銃撃を加えて地面に叩き付け爆砕したが搭載していた兵器に驚きを隠せなかった。


――あれが、噴進ロケット弾って奴か?


 もしあれが対空用に実用化されれば、空戦のやり方が根本的に覆るかもしれない……と彼はその時直感した。やがてそれは『ミサイル』という兵器に発展していくのだが、当然和人は知る由もない。


「それにさ、近頃『神風特攻後続隊』って言う物も作られたって聞くわ……」


 志乃が呆れたように眉根を寄せて口を開く。

 本土決戦時の特攻に志願する予備軍的なものであり、民間有志で組織された団体だった。その人員の募集が近隣でも始まっているのだと。


 志乃の言葉に、部屋の中は静まり返った。


 特攻隊は、自らを砲弾として、敵の攻撃を掻い潜り、必殺必中の体当たりを敢行する。

 和人が直掩として参加した4月の神風特別攻撃隊での航空部隊による『戦果』として大本営は「空母2隻、戦艦1隻、船種不詳6隻、駆逐艦1隻、輸送船5隻を『撃沈』し、戦艦3隻、巡洋艦3隻、船種不詳6隻、輸送船7隻を『撃破』したと高らかに喧伝していた。

 しかし現場に居た和人が後から知らされたのは、特別攻撃で撃沈できたのは、駆逐艦2隻他数隻だけだった。

 戦艦『大和』以下の水上部隊の特攻に至っては、襲撃した艦載機をほんの僅かを道連れに撃墜しただけで戦艦『大和』、軽巡洋艦『矢矧』以下6隻の艦艇が沈没し、作戦は失敗、壊滅したのだという。


 どう考えても日本の敗戦は時間の問題だった。

 軍人である和人は、その事を口にすることは無かったが、空の上で見た特攻機の若い操縦士の顔を思い出す。

 和人だって毎日覚悟はしている。櫛の歯が抜け落ちるように、言葉を交わした仲間が消えていく。特攻も通常戦闘も関係ない。ただ敵を殺す……それが戦場なのだ。


 しかし故郷は、和人が『心の底から護りたい』と思う人達までも、強引に戦場に駆り出そうとしている。職業軍人の道を選んだ和人は、その事がどうしようもなく悲しかった。


――そう……もうやるしかない……


 和人は改めて心に誓っていた。

 きっと家族の誰もが望んでいない事を、自分はやろうとしている。今の自分の行動を知っているのは、墓前の向こうに居る父、弘道だけだ。


――俺はこの人達を騙している……


 そう思うと心が激しく軋んでしまい、決意が大きく揺らいでいく。

 勲や戦功を挙げなくても良い、ただ無事で還ってきて欲しい……それが志乃やメイ、慶子や春子の偽らざる気持ちだろう。

 だからこそ、そんな家族を見るにつけ、罪悪感で胸が締め付けられる思いがして居たたまれなくなった。


「ちょっと夜風に当たってくる」


 と言い残して食卓から離れた。

 これ以上、この温かい家族を見ているのは辛かった。



 灯火管制で囲いが付けられた室内は薄暗く、和人は静かに縁側に出て空を眺めた。

 月は煌々と輝き、今日も大地を静かに照らし続ける。この地球上で人間同士が醜く争っていても、月は輝くことを忘れず、陽はまた昇り行く。


――もし、全能の神とやらが存在するのなら……争ってばかりの我々人間にどのような裁きを下すのだろうか?


 答えが明かされることはない疑問を心の中で問うてみる。

 海兵や陸軍と違い速度の出る航空機では、人間の顔など出てこない。人の生き死を見る事はないし、自分が死ぬ時でさえも一人だ。


 それでもパイロットは次々に死んでいく。

 彼自身撃墜された事はないが、B-29を迎撃に出て、墜落する機体から落下傘パラシュートで脱出した日本人パイロットが、殺気立った地元住民に敵兵と間違えられリンチを受けて殺害されるという事もある。

 また、名の有る撃墜王エースパイロットが機体の整備不良で墜落し、命を落とすこともある。


 自分達戦闘機パイロットにとって、生か死かなんて常に紙一重なのだ。今この瞬間を生きていられるのは、自ら鍛え上げてきた技量とほんの僅かな幸運でしかないのだろう。


――それでも俺は護りたい……志乃の住む、この山を、この河を……この世界を……


 それは和人の偽らざる気持ちだった。

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