第2話

 星名せなの顔つきは、オカルト研究部の部長で同級生の島村美優しまむらみゆよりもキリッとしているので、存在感はあるが、やはり知識の面では美優の方が上なのかもしれない。そう思うと、茉莉まつり星名せなが可愛らしく思えた。


――紀香のりかは、ファインダーで本質を覗いているのかな……?


 友人であり写真部の部長である篠山紀香しのやまのりかの『女子撮りコレクション』は、雑誌の取材がくるほど有名でありSNSでも取り上げられるほど写真が美しい。

 それほどの実力を持つ彼女が、星名せなをリストアップさせている訳が、よく判った気がする。


「長期貸し出しの手続きも出来ますけど……手続きしましょうか?……もう夏休みになりますし……」

「えっ! マジでっ!?」


 直後、星名せなの顔がパッと輝いた。年相応の少女の反応だ。

 しかし、素の自分を曝け出してしまった事に気が付いた星名せなは、コホンと咳払いをして、直ぐに我に返り表情を引き締めた。


「ええ……大丈夫ですよ……じっくりとこの本に向き合ってくださいね……」


 本好きなら大歓迎だ。たとえ自分の専門外のジャンルでも、図書室に置いてある本をここまで大事に読んでくれる生徒は多くはない。


「私と先輩とは……魂が繋がっているのです」

――いや、その言い回しいいから! 怖いから!


 再び星名せなの独特の言い回しで、彼女が言葉を紡いできて、茉莉まつりは再び乾いた笑顔を浮かべてしまう。


「運命には逆らえない……それが摂理……私は甘んじて受け入れるのです」


 彼女なりのお礼のようだ。夏休みの間、星名せなはしっかりとこの本を読み通してくることだろう。手渡した本を受け取ると、星名せなはまっすぐ茉莉まつりを見つめ口を開いた。


「先輩……私、紫ノ宮摩耶くろさきまやには判るのです……見えるのです……」

「はいっ!?」


 茉莉まつりはキョトンとした。今度はいったい何だろう?


「先程、先輩の手を触った時、大きな力を感じましたわ……まさにまつろわぬ魂の力と言うべきでしょう……」


 何かに憑かれているとでも言いたいのかと茉莉まつりは訝った。


「朝霧先輩は、その魂に触れる事になるのです……そう遠からず……」


 そう言い残すと、星名せなは静かに図書館を立ち去った。それは、茉莉まつりに対する星名せななりの感謝の形であった。


「えっとぉ……」


 立ち去る後ろ姿を茉莉まつり呆気あっけにとられながら見送った。



 車の中で目を閉じた時、不意に星名せなの言葉がフラッシュバックしてきた。言われた時は何だか判らなかったし、時間が経つ程に茉莉まつりの記憶の表層からも薄れてしまっていたことだ。


――でも……わたし、霊感ないからなぁ……判らないと思う……


 それが茉莉まつりの正直な気持ちだった。




□■□■□■




 それから家に到着するのに、さほど時間は掛からなかった。家の中で待っていた彼女の祖母も、茉莉まつりを温かく出迎えた。

 大阪や広島と言った大都会に出て行ってしまい、年頃の若い女性の数が少ないこの町に、久しぶりにやって来た孫娘は、それはそれは美しく成長している。


 だからこそ、茉莉まつりは下へも置かない待遇を受けており、自宅にいる時よりも自由に行動することが出来た。

 地方の町に行ったのだから、茉莉まつりも女の働き手として、明後日開かれる7回忌法要のために、色々な事を手伝わなければならないと覚悟していただけに、この扱いはむしろ拍子抜けだった。


 茉莉まつりも何度かこの家を訪れた事があったはずだが、幼かったので家の中の事は、あまりよく覚えてはいない。

 それでも幼心に、この家を包み込むような気を感じたことは間違いなかった。それが何なのかさえも判らぬまま、17歳になって再びこの家を訪れた。


 しかし、この大きなヤマザクラの木だけは見覚えがある。

 茉莉まつりも幼い頃よくよじ登って叱られたものだ。

 それでも、止めなかったのは、この幹や木の枝に触れるとなんとも言いようがないほどの安らぎと温かさを感じてしまう。


――この木の下で本を読んだらどんなに心地良いだろう……


 そう思った茉莉まつりは、その思いを実現しようと行動に移した。


 東京のそれとは異なり、こちらの蚊は刺されると痒さも一入ひとしおなので気になるが、防虫スプレーをしておけば、本を読む間ぐらいは何とかなるだろう。

 祖母が用意してくれた浴衣に袖を通し、茉莉まつりは、家から本と椅子を持ち出してきて、木陰に格好の読書スペースを作り上げると、そこに腰掛け静かに本を読み出した。


 この家は、古くから建っていることもあって、いろいろな本が置いてある。まさに古本屋を開いてもおかしくない程の量がある。それは、亡くなった曾祖父の蔵書だというから、本好きな茉莉まつりの興味を引くのに十分だった。

 幼い頃は何が何だか判らず、何となくカビ臭い匂いがして苦手だったが、今日改めて部屋に入ってみると、興味深い本が山のようにあった。


――明日はこの部屋お掃除しようっと……


 目についた本を数冊手に取り、茉莉まつりは部屋を出た。

 今彼女が読んでいる、古い装丁の本は、今では図書館でも殆ど見ることが出来ない。それが何冊も積んである。


――この本を集めたのは曾お祖父ちゃんってお祖母ちゃんが言ってたけど……凄い尊敬しちゃうな。


 今となってはとても貴重な本だ。確かに文体が文語体かつカタカナ表記で、21世紀生まれの茉莉まつりには読み辛い。

 しかし、それを補って余りある程の文字の海は、瞬時に彼女をその世界へと誘っていく。こうして茉莉まつりは一心不乱にページを捲り、時が経つのを忘れて読み耽っていた。


“キニイッテクレタカイ?”


 確かにそう聞こえた。

 思わず顔を上げて、辺りを見回した。しかし周りに人影はなく、青い空と大きなヤマザクラの木があるだけだった。


「……気のせいかな?」


 ふと腕時計を見る。手首に回した文字盤は、すっかり午後5時を回っていた。


「いけない……もう戻らないと……」


 さすがにいつまでもこの場所に居るわけにもいかない。茉莉まつりは、そそくさと椅子と本を抱えて、その場を立ち去ろうとした。



ザッ……



 その時、つむじ風が吹き抜け、茉莉まつりの浴衣の裾を揺らし、茜色の長い髪を靡かせる。


「きゃっ……」


 思わず身を屈めながら振り返ると、ヤマザクラの枝が大きく揺れていた。

 その枝の動きは、まるで人が手を振っているようにも見え、何かを出迎えているように茉莉まつりには思えた。



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