第一章 山桜の木(2018年夏)

第1話

  茹だるような暑さが続く夏の日の午後、とある駅のホームに、一組の家族が降り立った。

 東京から新幹線で岡山。岡山から瀬戸大橋を渡って宇和島に向かう特急列車に乗って、ようやくたどり着いた場所は、愛媛県にある彼女の父親の本家だった。

 分家のそれまた分家である父親が、本家に家族を連れて来ることなど滅多なことがない限り行わなかったが、今年は彼女の曾祖母が他界して6年後にあたる。


「兄貴が迎えに来ている筈だ」


 彼女の父親は列車での長旅が堪えたのか、何度も伸びをしたり屈伸したりして、旅の疲れをほぐそうとしていた。


「しかし、マッチは本当に本が好きだな」


 彼は高校2年生になる長女を見て妻に声を掛けた。


「あなたに似てね」


 妻もまた、大きなスーツケースの上に腰掛け、静かに本を読んでいる娘を見て夫に答えた。

 彼等夫婦には3人の娘がおり、この場で本を読んでいる彼女には、三歳年下と五歳年下の妹達がおり、彼女達は持って来たゲーム機を夢中で操作してインクを投げ合っている。


「あははは。やはり血は争えないということか?」


――お父さんのは、本と言うより、説明書とか雑誌じゃない……


 困ったように頭を掻く父親の様子を一瞥して、彼女は小さく溜息を吐いた。

 一緒にして欲しくないなという気持ちが、思わず沸き上がってくる。


 自分の住んでいる場所とは全く異なる、長閑という表現が相応しい町。周りから蝉時雨せみしぐれが絶えず降り注いでくる。彼女の家の近所も蝉は鳴いているが、これほど騒々しくはない。

 でも、その全てが彼女には心地良かった。少なくとも車や雑踏の騒々しさに比べれば何と心落ち着くことか。


 やがて、先にやって来ていた彼女の叔父が、駅まで迎えに来て彼女の一家を車に乗せた。

 さすがに車の中で本を読むと、車酔いしてしまうので、彼女は本を鞄の中にしまい、流れゆく車窓の景色を眺めると、瀬戸内の穏やかな光景がそこには広がっている。


 彼女……朝霧茉莉あさぎりまつり……は、他界した曾祖母『志乃』の7回忌法要に参加するために、この地を訪れていた。

 まだ幼かったので、彼女に曾祖母の記憶はそれほど多くはない。

 しかし、いつも笑顔で笑っていたし、幼い自分に色々な物語をしてくれる優しいお婆ちゃんという印象しかなかった。


 やがて、朝霧家の本家に近づいてきたのか、茉莉まつり達家族を乗せた車が交差点を左折した瞬間、茉莉まつりの目には長い桜並木が飛び込んできた。


 今は夏。桜の花はそこにはなかったが、桜の木々は緑一杯の葉を生い茂らせている。


「ここの桜は名所でね。お父さんも小さいときは、よく此所で遊んだもんさ」


 助手席に座る父親が、並木を指さしてこの並木の由来を話す。

 そんな父の言葉を何の気なしに聞きながら、窓辺を眺めると、桜並木の向こうに一際大きなヤマザクラの木があった。樹齢は300年近くなると言われており、桜並木の桜とは大きさも枝振りも異なっており、この木が朝霧家の目印だった。


――すごい……立派な木……


 茉莉まつりは身を乗り出して、その木を眺めた。

 ここまで大きくなるのに、どれだけの月日を費やしてきたのだろう。また、その時々に住んでいた人達の願いや思いを受け止めてきたのだろう。


“……………………”


 その時、茉莉まつりは何かの気配を感じた。間違いなく木の傍に誰か立っているように見えた。しかし、次の瞬間、その人影らしきものは消え去っていた。


――えっ、何?


 目の迷いだったのか、気のせいだったのか判らない。もう一度目を凝らしてヤマザクラを見ようとした。


「おっ、見えてきた。この辺りの主の木だ。相変わらず見事なもんだな。なぁ、マッチ!」


 彼女の集中力を削ぐように、父親が感嘆の声をあげ茉莉まつりに話しかけてくる。


「この木はな、他の桜並木の木とは違って……」


 父親のことは大好きだったが、この時ばかりは、話を続ける父親の声を煩わしいと思った。

 その瞬間、桜の木から感じていた気配は消えていた。


――もう……


 本を読むこともできず、物思いに耽ることも出来なくなった茉莉まつりは、珍しく不機嫌になっていた。しかし、彼女が向かう家はあの大きな木の近所だ。茉莉まつりは、到着するまで休もうと思い、後部座席で腕を組み、そのまま目を閉じた。




“先輩……私、紫ノ宮星名しのみやせなには判るのです……見えるのです……”



 一つ下の後輩である紫ノ宮星名しのみやせなが、彼女に向かって言い放った言葉が不意に過ぎった。

 それは夏休み前の図書室でのこと。


 いつものように図書館の受付デスクで、図書貸出カードと本の整理をしていた茉莉まつりの前に、星名せなが静かに立っていた。

 手にしているのは『詳説 西洋呪術史』。摩耶は頻繁にこの本を借りに来ており、今日もいつもと同じように図書室にやって来て、茉莉まつりの前にスッと本を差し出していた。


「あっ、ごめんなさい!」


 星名せなの気配に気づかなかった茉莉まつりは、ペコリと頭を下げて本を受け取ろうとしたその時、茉莉まつりの手に冷たい感触が伝わった。

 茉莉まつりに負けず劣らず透明感のある肌。端正な顔つきの星名せなには、それがますます彼女を際立たせている。


「紫ノ宮さん……本当に、よくこの本を借りるのね……?」


 茉莉まつりは興味本位で星名せなに尋ねた。

 そんなに面白い内容なのか?

 正直なところ、茉莉まつりには皆目検討がつかないジャンルであった。


「フフ!……この魔道書、なかなか興味深い物ですよ……先輩も一緒に見てみるのも面白いと思う……」

――ま、魔道書って……


 思わず引き攣るような作り笑いが浮かんでしまう。

 茉莉まつりには、この本が単なる学術書にしか見えない。

 それでも淡々と答える星名せなに、どう返したものか笑顔を浮べながら必死に考えた。同じ種別のタイプと言っても、一人一人の特徴は千差万別だ。


「この書は、これが全てではないの……いにしえのまつろわぬ白き民が授けし力……その欠片が記されている……」

「えっ……?」


 星名せなの言葉に、茉莉まつりは瞼を瞬かせた。


――えっと……ちょっと『中二病』入ってる?


 戸惑う茉莉まつり星名せなの言葉が重ね掛けられていく。


「一度(ひとたび)の闇を力を得て、時の定めより解き放つが、この書に込められし願い。私はそれを果たしているに過ぎない……」

――えっと……要するに、古い本で内容が難しすぎて読み切れないまま、返却期限が来たから一度返して、また借りるって事なのかな?


 何にしても、世の中の殆ど事がスマホやタブレット、パソコンなので見たり聴いたりする事が出来る時代の中で、紙媒体の本を読んでくれるのは、本を愛する者としては嬉しい。

 淡々と言い放つ星名せなの言葉の意味を、彼女なりに解釈した茉莉まつりは、作り笑いから本当の笑顔になった。


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