蒼穹の風 ~遥かなる山河に~

朝霧 巡

プロローグ

 彼女の手には、額縁に入った一枚の古い写真が握られていた。

 大日本帝国海軍の制服を着て、鍔のある軍帽を被った凛々しい青年の顔がそこにはあった。


 彼女がその写真を手にしたのは、まさに偶然だった。彼女の曾祖母が没して6年目にあたる8月のこの日、彼女は東京からやって来て、この場所を訪れていた。

 古い本が並ぶ小さな書斎。近年膝の具合が頓に悪くなってきた祖母に代わって、彼女は部屋の清掃を引き受けてはみたものの、置いてある物が多い上に、そこはすっかり時が止まったかのように彼女には思えた。


「少し物を整理した方が良いわ」


 彼女はそう呟いて、マスクをし、部屋の中に溜まった埃を払いながら掃除を始めた。

 学校で図書委員をやっているせいか、整理整頓は苦手じゃない。

 口数の少ない彼女は、黙々と作業を続け、3時間ほどで部屋の中を綺麗に清掃してみせた。


「だいたいこんなものかしら……」


 見渡す限り物が詰め込まれ、立錐の余地もなかった部屋が、普通の書斎に戻っていた。


 残しておくべき物、捨てても問題ない物、自分では判断できない物に分類し、捨てる物と判断できない物を廊下に出して、下で寝転がって甲子園の高校野球を観戦している父親に荷物を運ぶよう頼んだ後、彼女は残しておくべき物の整理を始めた。

 絵や掛け軸などは倉庫に纏めればいい。此所を書斎として使うのであれば、本棚と机と椅子があれば事足りる。

 写真も一カ所に纏めておいた方がいい。そうした仕分けを始めた直後の事だった。


「お祖母ちゃん」


 彼女は1階に降りて、その額縁に入った写真を祖母に見せた。


「この人は誰なの?」

「おや、上にあったのかい? 最近忘れっぽくてねぇ……」


 祖母は彼女から写真を受け取ると穏やかに笑みを浮べた。


「この人はお前の曾祖父さんに当たる人だよ。そう、私のお父さんさ……会った事ないけどね」

「どうして?」


 大きな瞳を見開いて尋ねる彼女に、祖母は優しく答えた。


「太平洋戦争だよ。曾お祖父ちゃんはね、戦争で亡くなったんだよ。私の顔も見ないままね」

「そうだったの……お父さん、全然教えてくれなかった」


 写真を改めて眺め、彼女は呟いた。何だか可哀想。ご先祖様なのに……


「まぁ、仕方ないね。娘の私が知らないんだから、お前にも伝えようがないのさ。許しておやり」

「うん」


 祖母の言葉に彼女は頷いた。


 12月で、17歳になろうという孫娘は、なんと優しい心の持ち主なのだろうと祖母は思った。


「ところで、上に曾お祖母ちゃんのアルバムがあると思うから探してきておくれ。できるだけ、あの人の若い頃の写真が良いわね。曾お祖父ちゃんと同じくらいのもの」

「うん」


 彼女は再び写真を抱えて2階に上がった。それは彼女の曾祖父の顔。そして一度も会った事のない彼女の先祖。

 初めて知った自分の家の歴史の一部に触れ、彼女の心は躍った。


 彼女の曾祖母は、彼女が小学生の時に他界している。でも、祖母や母親の話では、かなり勝ち気な性格で、かつ、おしゃれ好きだと聞いたことがある。

 何だか自分とは正反対だなと思いながら、彼女は写真を広げてみた。スマホやデジカメどころか、カラーフィルムもなかった当時の日本では、写真は当然モノクロームのみ。おまけに年月が経っているせいか、色褪せている写真も多い。

 彼女の写真を探す目は真剣そのものだった。

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