第3話

 結局、本鈴ギリギリに私は教室に飛び込んだ。いつもと変わらない結果になってしまった。教師は溜息を吐いただけで何も言わず、クラスメイトはクスクスと私のことを見て笑っていた。千夏は私の身なりを見て目を見開いて驚いていた。


 ボロボロな格好で私が入ってきたからだろう。朝に千夏と会った時とは大きくかけ離れた姿をしてしまっている。


 ――埃は出来るだけ払ったんだけど、目立つかな。


 そんな見当違いなことを思ったりした。私はゆっくりと席に着いた。


 制服から体操服に着替えれば良かったかな……まあ、ボロボロな制服を身に纏って何も言われないし、いいか、別に――


 ふと机に視線を向けると、何やら落書きがしてあった。それは全て悪口なのだが、それを消すことすら億劫で、私はそのままにした。


 授業が始まり、私は取り敢えず黒板に書かれている内容をノートに模写する。


 書いたところで無意味になると分かっているが、書かないと教師に何を言われるのか分からない。ノートの無駄遣いだなぁ……と心の中でゴチる。


 九十分の長い授業が終わった。小さく溜息を吐くと、千夏が心配そうに駆け寄ってくる。


「――紫苑、その制服どうしたの……!?」


「――大したことじゃないよ」


「大したことないわけないじゃない! そんなにボロボロで何言ってるの……!」


 いや、千夏が教えたからこうなったんだよ、なんて言えず、私は黙るしかない。


 本気で心配してくれている。それは分かっている。それでも、今は聞かないでほしい。こんなクラスメイト全員がいる前で――


「――階段から足を踏み外しちゃったんだよね?」


 真後ろから声が聞こえ、振り返ると葛城がにやにやしながらこちらに来た。


「何か用……?」


 私が睨むと、葛城は「そんな顔しないでよ」とヘラヘラした面を見せる。


「ちょっと皇さんに用があってね。千夏、悪いけど借りてもいい?」


「授業前も同じこと言ってたけど、そんなに大事な話なの?」


「うん、大事だよ」


「本当なの、紫苑」


 真剣な表情で見られ、思わず否定したくなった。それでも、ここで否定をするということは、つまり千夏にも……


「うん、そうなの。他の人にはあまり聞かれたくないことなんだ……だから、ごめんね」


 私は席を立つ。

 千夏が焦った様子で止めようとしたが、私はそれを制す。


「――千夏、心配してくれてありがとう。それでも、大丈夫だから」


 私は教室を出た。

 葛城は気持ちの悪い笑みを浮かべながら私の後ろを歩く。取り巻きもいたが、葛城の機嫌を損ねないように、合わせているだけのように見えた。


「――皇さんの割には、ちゃんと空気読んだね」


「……千夏に何かしたら許さないからね」


「何かって……?」


「白々しいよ。あそこで私が否定したら、千夏にも何かしようとしていたでしょ」


「千夏は私の友達だよ? 何もしないよ」


「信用できると思う?」


 私の言葉に、葛城は舌打ちをする。


「勘のいいガキは嫌いだよ」


「同い年だけど? それに、その厨二病みたいな発言、とあるアニメの台詞パクってるの?」


 すると、葛城はズカズカと歩き私を追い抜くと、ガっと私の腕を掴んでまで引っ張る。


「ちょっと、痛いんだけど!」


 けれど、葛城は反応しない。


 いつもの場所。そこは使われていない、閉鎖されているトイレ。何故そこが閉鎖されているのか。これは噂でしかないが、何年か前にそのトイレで首を吊って自殺した生徒がいたとかいないとか。何故今も取り壊されずにそのままにされているのかは、誰にも分からない。関係者以外は。


 そのトイレに着いた時、私は思い切り投げ飛ばされた。背中を壁に打ちつけ、苦痛で声が思わず出た。


「流石に横暴すぎない?」


 それでも、葛城は何も言わない。何も言わずに、いつものように殴る蹴るの暴力を振るってきた。それでも、何故だろう。いつもより覇気がないように見えた。


 当然それには取り巻きたちも混ざっており、葛城のというより、取り巻きからの暴力の方が、今日はダメージが大きかった。


 取り巻きの一人の拳が私の鳩尾を捉え、思い切り吐血した。


 それを見た取り巻きは「汚ったないなぁ」と悪態をつく。


「ねぇ、琴音。今日はもういいんじゃない?そいつ吐いて汚いし、また今度で――」


 取り巻きは葛城のことを見る。それでも、葛城は反応しない。


「……?」


 先程から様子が変だ。


「……葛城?」


 私が名前を呼ぶと、ハッとしたように意識が現実に戻った。目の前で吐血している私を見て、葛城は踵を返す。


「えっ、ちょっと琴音?」


 取り巻きは困った様子で葛城の後ろを歩く。バタンとドアが閉まる。かと思ったら、再度そのドアが開き「それ、ちゃんと掃除しておきなよ」と葛城が虚ろな目をして言った。


 何が起きたのか分からない。

 葛城はそれだけ言うと、教室へ戻っていった。


「わけわかんない」


 自然とそんな言葉が零れた。それでも、これ以上痛いことをされないと思ったら、何も言う気にはなれなかった。掃除をし終えてから、教室へ戻る。


 千夏が心配そうに私のことを見たけれど、授業が始まってしまったため、その時は何も話すことなく終わった。葛城のことを見ると、相変わらず虚ろな目をしていた。


 あの一瞬で何があったのだろう。

 突然の様子の変化に、流石に戸惑いを隠せない。授業に集中出来るはずもなく、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、九十分間を過ごした。


 本来、授業終わりの十分間休みは連れ出されていたが、先程吐血したこと、そして葛城の様子がおかしいことが理由で、連れ出されることは無かった。


 千夏は心配そうな面持ちをずっと浮かべており、私の隣から離れなかった。何かあったらいつでも私に言って。そう言われ、私は笑顔をうかべた。

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