第2話

 気まずい雰囲気のまま、教室まで行くと思った。


 けれど、その展開に彼女はしなかった。


「気まずい雰囲気にさせちゃってごめんね。私の推測だから言うか迷ったんだけど、例の事件の被害者と加害者とされている子。もしかしたら友達だったんじゃないかなって思ったの。そんなこと、ニュースで報道されていないから、本当に私の予想だけど」


 どうしてそう思ったのか。聞きたい気持ちが溢れた。それでも、それを聞くことは、せっかく彼女が気を遣って話しかけてくれたものを台無しにすることだと思い、私は頷くだけにした。


「話してくれてありがとう。私が聞いたのに、何かごめんね」


「ううん、私の方こそごめん。話は変わるけど……朝から紫苑と一緒に登校できて嬉しかったよ。だから……この状況で言う言葉じゃないかもしれないけど、ありがとうね」


 ――ああ。彼女がクラスメイトから人気な理由が、痛いほど分かる。私の唯一の友達で、その良さはよく分かっているつもりだけど、なおさらにそれを実感する。


「一緒に教室まで行ってくれる……?」


「もちろんだよ」


 私は頷く。

 頷く以外の選択肢が、私には持ち合わせていない。


 人気者の彼女は、教室に入ることに躊躇いというものはない。私とは大違い。人の顔色を窺って教室に入って。それでも尚いじめられる私とは全然。


 出来ればもう少ししてから入りたい。心の準備というものが欲しい。だが、そんな私の気持ちは千夏には伝わらない。千夏はそんな準備をする必要が無い側の人間だから。


 教室のドアを千夏が開ける。


 先に入っていいよ、と悪魔のような言葉を言われ、私は全力でそれを拒否した。千夏が面白おかしく笑ったが、私は必死だった。


 教室の中を見ると、既に複数の生徒が談笑していた。千夏は構わず教室に入る。すると、それまで談笑していたクラスメイトは、視線を教室のドアへ向けた。話がピタリと止まったことに対して、私の心臓はドクン、と嫌な音を立てた。


「――おはよう、千夏」


「ちーちゃん、おはよう」


 クラスメイトが皆、千夏へ駆け出す。千夏は慣れた様子で皆に挨拶する。その空気を吸いたくなくて……そんな千夏のことを見ていたくなくて、素早くカバンを置いて私は教室を出た。


「あ、紫苑――」


 千夏が私の名前を呼んだが、私は聞こえないふりをした。クラスメイトが私の悪口を言っているのが聞こえたが、それすらも聞こえないふりをして、私は教室を後にした。



 一段、また一段と階段を上がっていく。鐘が鳴る前に教室に戻らないと。これでは、早く来た意味がなくなってしまう。それでも、戻りたくないという感情が、私のことを支配する。あの空気を吸いたくないと、心の底から思った。


 私は小さく溜息を吐く。


 きっと、千夏は知らない。私がクラスメイトからいじめられていることに。だから私があの質問をしたことを、彼女は知らない。


 どうしてここまで嫌われたのか分からない。それでも、私の性格がきっとそうさせているのだろう、と思う。誰も教えてくれないから分からないけれど。


 きっと、私が千夏と友達でいることも、原因の一つなのだろう。クラスで一番の人気をを誇る高澤千夏と、クラスで一番の嫌われ者である皇紫苑。本来、一緒にいることなど許されない。友人関係でいることは本来烏滸がましいことなのだ。


 千夏は分け隔てなく皆に優しいから、時々キャパオーバーになって疲れてしまう。クラスメイトもそのことに気付いていて、相談に乗ろうとするけれど、千夏がそれを拒む。クラスメイトに弱音を一切吐かない。そして、私にだけ話してくれる。


 その理由は千夏にしか分からない。私も知らないことだ。


 それでも、その事実は変わらなくて、相談相手になれる私に嫉妬して、気に入らなくて標的にする。幼稚園児以下の思考回路に笑ってしまう。そしてその低レベルな考えに頭を悩ませている自分にも。


 それでも、私に千夏と友達を辞めるという選択肢はない。千夏と友達を辞めるくらいなら、そうなる前に自殺する。関係が壊れてしまう前にこの世界を去れば、高澤千夏と友達だった私のままでいられる。いられるはずだ。


 この気持ちを知られたら、きっと重いと言われるだろう。だから私は言わない。この気持ちは自分の墓まで持っていく。


「さてと……あと少ししたら教室に……」


「やぁ、皇さん。こんな所にいたんだ」


 正面から声が聞こえて、私は思わず顔を引き攣らせる。そこには人をいじめることが大好きな、葛城琴音くずしろことねとその取り巻き五人がいた。


 最悪、最悪、最悪、最悪、最悪。

 どうしてここにこいつらが……? ここに人が来ることなんて滅多に――


「どうして私たちがここにいるのか、不思議だって顔してるね?」


 私の焦りを感じ取ったのか、葛城はにやにや笑う。


「あんたさ、私たちに呼び出されてない時、いつもここにいるんでしょ?」


「どうして、それを――」


 その事を知っているのは、一人だけで……


「――千夏が教えてくれた」


 その言葉を聞いた時、ドクン、と心臓が鳴った。心拍数が上昇していることが分かる。嫌な汗が流れる。


 千夏が……教えた?

 私のことを……裏切ったの……?


「あ、勘違いしないでほしいのは、千夏はあんたのことを売ったわけじゃないよ? 純粋な気持ちで教えてくれた。あんたに用があるから、知っていたら教えてほしいって言ったらね」


 どうして……どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして……


「まあ、そういうわけだから。少し私たちのストレス発散に付き合ってね……?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る