第四章 全世界BL化計画
リコとの『デート』を経た休み明け。祐真は月曜日特有の億劫な気分で起床し、体を引きずるようにして洗面台に行くと、顔を洗った。
『デート』をしたせいで、ますます親密になったと思い込んでいるリコの誘惑を避けながら、食事を済ませ、登校の準備を行った。
休み明けでダレているとはいえ、家を出る時間はいつもと大差がない。人間の習慣化の能力に従い、普段通りの時刻に祐真は部屋を出た。
相も変わらず、リコは新婚ホヤホヤの夫婦のように、にこやかに手を振って祐真を見送った。
大貫地区に到着し、他生徒と共に学校の校門を通る。
下駄箱へと向かっている最中だった。前方に、見覚えのある二人の姿があった。古里と鴨志田だ。二人共に下品な金髪であるため、すぐに分別が付いた。
二人は並んで歩いている。それを祐真が背後から着いていく形だ。こちらの存在には気がついていない。
あれ? と思う。おかしな点があった。
古里と鴨志田は、手を繋いでいるのだ。そう見えた。まさか。そんな馬鹿な。
勘違いかと思い、凝視してみる。間違いない。二人は手を繋いでいた。恋人のように、衆目の中、恥ずかしげもなく。
祐真は呆気に取られたまま、前を歩く二人の姿を見つめていた。周りの生徒も、二人が手を繋いでいる事実に気がつくと、怪訝な表情を向けていた。
ただでさえ、人目を引く古里たちの容貌に加え、男同士が仲良く手を繋いでいるのだ。注目の的となっていた。
下駄箱に入り、祐真は、そっと二人の姿を追った。祐真だけではなく、周囲にいる皆も唖然とした様子で、二人の行動を注視している。
そんな周囲の様子など意に介さず、古里と鴨志田は仲睦まじく、手を繋いだまま、楽しそうに会話をしながら靴を履き替えていた。
やがて、三年生の校舎へと消えていく。
何なんだ。あれは。
二人を見送り、祐真は今見た光景が現実のものであるという認識ができていなかった。幽霊でも目撃した気分だ。
周囲の人間たちも、同様だった。慄然とした表情をしている。
あの札付きのヤンキー共が、手を繋いで登校など、何か悪い夢でも見ているようだった。
祐真は軽い眩暈を覚えつつ、靴を履き替え、自身の教室へ向かう。
すでに登校していた星斗へ、先ほど目撃した古里たちの姿を報告した。
「はあ? 何言ってんの?」
星斗は、祐真が異常者であるかのような眼差しを向ける。
「なんであいつらが手を繋ぐんだよ」
「それはわからないけど」
祐真は頬を掻く。妙な光景を目撃したせいで、全身がむず痒くなっていた。
「でも、本当だよ。他にも大勢が目撃しているぜ」
「もうちょっとマシな嘘をつけよ」
星斗は、全く信じていないようだ。呆れた顔でため息をつく。
その時、数名のクラスメイトと共に、直也が教室へと入ってきた。直也は、まるでエロ本を拾ったかのように、物言いたげな表情をしている。
直也はこちらに近寄ると、唾を飛ばしながら喋り出す。
「ねえ、さっき聞いたんだけど、古里と鴨志田が、手を繋いで登校してきたんだって」
直也の言葉に、祐真と星斗が顔を見合わせた。
「ほら見ろ。本当だろ」
嘘つき呼ばわりしやがって。祐真は星斗に指を突きつけた。
「マジか」
星斗は、銀縁眼鏡をずり上げる。
近くの女子のグループからも、この件に関して話す声が聞こえてくる。その誰もが、怪奇現象を噂する時のような、半信半疑の面持ちであった。
そして、そのグループに、別の女子が新たに加わる。その女子は、新ネタを持ってきたようだ。
「古里君と鴨志田君、トイレでキスしていたらしいよ」
それを聞いた女子たちは、小さな驚きの声を上げた。
祐真たち三人も、同時に顔を見合わせた。
学校のヤンキー二人が、『デキた』らしい、という噂は、瞬く間に学校中へ広まった。
客観的に見れば、ただの一カップルが成立しただけの話なのだが、それが男同士で、しかも高校きっての不良であり、ましてや衆目の中堂々と乳繰り合っていたのだ。注目するなというほうが無理であった。
時間を経るに従い、二人の情報が集まってきていた。二人はお互いがイチャつくだけではなく、他の男子生徒を口説いているらしいのだ。つまりは『ナンパ』である。それまで、恫喝やカツアゲばかりを行っていたヤンキーが、同性をナンパし始めるという、極めて理解に苦しむ、悪夢のような光景であった。
そのため、古里たちの周辺の人間は、軽く混乱しているらしい。
もっとも、蚊帳の外にいる人間たちからは、こちらのほうがマシだという意見がチラホラ出ていた。古里と鴨志田が、突然同性愛に目覚めたきっかけは不明だが、以前のように暴力的で、害を撒き散らすだけのススメバチのような存在よりかは、今のほうが、遥かに平和的であるとの見方だった。
それは祐真も同意である。
別にこちらに影響がない以上、気にする必要はなかった。
しかし、カツアゲの次は同性愛に目覚めるなどと、つくづく妙な連中だと思う。
その日の学校は、古里たちの話題で持ちきりだった。それは止むことはなかった。
やがて放課後になる。
祐真は帰宅し、リコに二人のことを話す。
てっきり同性愛者であるリコは、このことに興味を持つかと思っていたが、意外にも反応は薄かった。
「ふーん、そうなんだ」
男に興味がなくなったのだろうかと、祐真は一瞬訝しむ。だが、違うようであった。
「どんな風にイチャついていたの? 僕とやってみようよ」
鼻息荒く、リコはそう言った。やはり、リコの興味は祐真だけらしい。言わなければよかったと、祐真は後悔する。
翌朝。祐真はリコが作った朝食を食べ、登校を行う。
遅刻することなく、校門をくぐった祐真は、ふと思う。
今日も古里たちは、新婚夫婦のように、ラブラブなのだろうか。
今日もその冗談みたいな状態を晒すのなら、まだまだ生徒たちの噂の的になり続けるだろう。本人たちはそれに対し、全く気にも留めていないようだが。
校舎の入り口へ向かう最中、祐真はあることに気がつく。
あれ? と思った。
また古里たちを目撃したのではない。
目の前に、二人の男子生徒が並んで歩いている。その二人はカップルのように、手を繋いでいるのだ。昨日の古里たちと同じように。
祐真は不思議に思う。今度は別の男同士のカップルを目撃するとは思わなかった。古里たちに影響を受けて、隠れていた同性愛者が、堂々と振舞う選択をしたのだろうか。
会話を弾ませながら歩く二人の後ろで、祐真は周りの様子をうかがう。
昨日と同じく、皆が注目していると思ったからだ。しかし、その予想は外れた。
周りを見た祐真は目を丸くする。驚愕の事実。どうして気がつかなかったのだろう。
登校している他の男子生徒たちの中にも、同じように、手を繋いだり、腕を組んで歩いている者たちがチラホラ見えた。中には三人で仲良く手を繋いでいる者もいた。
その全てが男子生徒である。
女子生徒たちや、そうじゃない男子生徒たちは今の祐真と同じように、驚きの表情で、カップリングが成立した男子生徒らに視線を投げていた。
校舎の中も同様だった。下駄箱から、教室に着くまでの間にも、何組かの男子同士のカップルが散見された。
祐真は教室へ着き、中に入る。星斗や直也はまだきていなかった。
祐真は、自身の席に座り、ぼんやりと思索する。何なのだろうか。一体。
すでに登校しているクラスメイトたち皆が、急に増えた男同士のカップリングに対し、方々に固まって会話を行っている。それが、耳に入ってくる。
やはり、皆も不思議に思っているようだった。
今、世界的にLGTBの解放運動が取り沙汰されているが、その波がこの高校へと押し寄せたのかもしれない。それにしては、妙に広まりすぎだが。
祐真は、窓から見える運動場へと顔を向けた。運動場を通って登校してくる生徒たちの中にも、男子同士のカップルが存在していた。
「おはよう! 祐真君!」
突然後頭部に、明るい声が刺さる。声だけ聞くと、修学旅行に行く日の朝のような、楽しみに満ちた雰囲気を纏っているように聞こえた。
祐真は顔を向ける。彩香がニコニコ顔で立っていた。
「おはよう」
祐真は、彩香に挨拶を返す。彩香は何があったのか、上機嫌だった。
その彩香の顔が、神妙になる。
「どうしたの祐真君。何か悩んでいるみたいだけど」
顔つきこそは心配げだったが、機嫌の良さは全身から溢れ出ていた。よほど良いことがあったのだろう。
祐真は彩香の質問に答える。彩香もここにくるまでに、男子生徒のカップリングを何組か目撃しているはずだ。悩みではないが、それについて、困惑していると伝えた。
彩香は、目を細め、納得したように頷く。
「あーそうだよねー。いきなり増えたから私もびっくりしたよー」
どことなく、楽しそうに彩香は言う。
祐真は疑問を口にした。
「でも、どうしてだろう。なんで急に増えたのかな? 昨日の古里たちもそうだけど」
それに対し、彩香は首を捻った。
「さあ。わかんない」
彩香は、でも、と続けた。
「素敵だよね。男同士って。祐真君もそう思わない?」
何を突然。祐真は困惑した。同時に、今朝見た男子同士のカップルの姿が脳裏に思い浮かぶ。あれが素敵なのか。確かに愛し合っているようだが、他人事なので、素敵かどうかはわからない。それが男女の組み合わせでも同じように感じるはずだ。
そして、リコの姿が浮かび上がった。素敵と言うならば、あのリコと恋愛をした場合もそう呼ばれてしまう。だったら、認めたくない。あんな奴と乳繰り合うのが素敵なんて、冗談じゃない。
祐真は、手を顔の前で振って答える。
「思わないよ。男同士とか、俺は嫌だ」
彩香は、にんまりと笑う。
「そう? でも、もしかしたら、いきなり同性愛に目覚めるかもよ。他の人たちみたいに。同性愛なんて普通なんだから」
「普通ね」
普通だとしても、いきなり増えるのはおかしい気がする。あるいは、今まで気がつかなかっただけで、潜在的に相当な数がいたということか。どこで聞いたかは忘れたが、同性愛の因子を持つ者は、そうでない者よりも多数を占めるという。それが一気に表層化したという話なのかもしれない。
とはいっても、やはり大げさ過ぎる。それとも、そんなものなのか。自分が同じように『目覚める』気配は微塵も自覚がないが、彩香が言うように、突然変貌する時が訪れるのだろうか。彩香と話すうちに、よくわからなくなってきた。
「おはよー。何か変なことになってるね」
登校してきた直也が、祐真の席へとやってくる。直也も異変を目撃し、困惑しているようだ。
「じゃあね」
それを期に、彩香はこの場を離れていった。
男同士のカップルが急増した事象は、そうではない生徒たちに、大きな衝撃を与えた。古里たちが『デキた』ことに対しては、面白半分で済んでいたが、こちらはそうはいかない。なにせ、その数が多かったからだ。
およそ、全男子生徒の二割といったところか。それらがある日突然、示し合わせたように、いきなりカップルとして学校生活を送り始めたのだ。それは、どことなく、テレビ番組の『ドッキリ』を思わせた。それほど、不自然な展開であった。
だが、もちろんそのようなことはなく、『ドッキリ成功』の看板を持った芸能人が現れないまま、これを一つの事実として認識しなければならなかった。彼らは本当に、付き合い始めた男女のように、恋人として仲睦まじく振舞っているのだ。
そうではない生徒の中には、本人たちにどうしたのかと聞く者もいた。以前とはまるで違うではないかと。
その質問の答えに、彼ら全てが「突然目覚めた」と答えた。本人たちにもその根源がわからないらしいのだ。
そのような環境のまま、数日が経った。始めは沈静化するかと思われたが、その予想は外れた。むしろ逆である。
日を追うごとに、男子生徒同士のカップルが増えていっているのだった。その増え方は加速度的で、インフルエンザの流行のように、次々と男子生徒たちが同性愛者に変貌していったのだ。
今では、すでに全男子生徒の過半数を超えていた。
祐真は、二年一組のクラスへと足を踏み入れた。今日はいつもより到着時間が早い。目覚ましより、遥か先に起きたためだ。
祐真は自身の席へ向かう。教室にはすでに、何名かのクラスメイトがいた。
その中の数組の男子生徒たちが、デート中の恋人のようにイチャついている。お互い同じ椅子に座りながら、寄り添い合ったり、手を握ったまま、仲良くお喋りしたり。
それらを女子生徒や他の男子生徒が、意識しないようにしながら過ごしていた。最近定着した様式だ。
祐真は自分の机に着き、鞄を横のフックにかけた。そして、教室を出る。あまりクラスメイトの同性愛のシーンなど、見たくはなかったからだ。
そうはいっても、それは廊下に出ても大して変わらないのだが。
祐真が歩く廊下でも、男子生徒同士のカップルが多く目に付いた。仲良く手を繋ぎ、登校している者たちや、窓際で相手の腰に手を回し、外を眺めている者たち。まるでデートスポットだ。
祐真は、そのような生徒たちの中を通り、男子トイレに入った。そして、足が止まる。
トイレの中で、一組の男子生徒たちが、キスを交わしていた。確か隣のクラスの生徒だった気がする。名前は知らないが、見覚えがあった。
一人は小柄な体格の男子で、もう一人はバスケ部に所属している長身の男子だ。背の低いほうが、踵を上げ、少女マンガのワンシーンのように、キスを受け入れている。
硬直したままの祐真を尻目に、二人は濃厚なキスを続けていた。舌すら入れているようだ。
祐真は踵を返し、トイレをあとにする。
教室へ戻りながら、祐真は、悄然とした気分に陥った。まさか男同士のキスを目撃するとは。
これまでイチャつく姿はいくらでも見てきているが、キスまで行くと、生々しくて衝撃を受ける。おそらく、今までも、彼らはそのような行動を取っていたに違いない。だが、それは人目につかない所で行っていたため、認識されなかったのだ。それが、数が増えたせいで、目撃しやすくなっている。おそらく、これから、目にする頻度さらに上昇するかもしれない。
それに今は先ほどのように、人目に付かない場所を選び、自重しているが、後々はわからなかった。学校の中、人前で堂々とイチャつく彼らなのだ。この先、キスだろうと、平然と人前で行うようになる可能性があった。
祐真は教室に舞い戻った。教室内には、登校を終えた彩香がいた。祐真と入れ違いになったようだ。
彩香は、教室で熱く寄り添い合っている男子二人に、どこか魅入られたような表情を向けていた。気を取られているらしく、祐真がそばにきても気がつかない。
祐真は声をかける。
「おはよう。横井さん」
そこでようやく彩香は、我に返ったように、こちらを振り返った。声をかけてきた人間が祐真だと知ると、彩香は、優しい笑みを浮かべる。
「おはよう、祐真君」
「横井さん、今、何を熱心に見てたの?」
祐真は、先ほどの彩香の行動について尋ねた。
「ううん、何でもないよ。ただ、愛が広まっていってるなって思って」
彩香は、頬に手を当て、吐息を漏らす。
この前の言動もそうだが、彩香はこの状況をどこか歓迎している節があった。それがよく理解できない。とはいえ、そのような女子も何人かいた。男同士の恋愛に目を輝かせているのだ。彼女たちにとっては、男女のそれより、魅力的に映るらしい。イマイチ理解できなかった。
祐真が首を捻った時だ。
「おはよう祐真」「おはよう祐真」
死角から、祐真に同じ挨拶が同時にかかった。ステレオボイスだ。二人の人間が、同じタイミングで祐真へ挨拶したのだろう。それでも、星斗と直也だということがわかった。
そちらへ顔を向けながら、祐真は挨拶を返そうとする。
「おはよ……」
そこまで口を開き、祐真は絶句する。
隣の彩香が「まあ」と感極まった様子で、自身の口を手で覆う動作が目に入った。
「ど、どうしたんだ? お前ら」
星斗と直也は、お互いぴったりとくっ付き、腕を組んでいた。星斗よりも背の低い直也は、星斗の肩に頬を付けるようにして、首を傾けている。
二人共、実に晴れやかな様子だ。付き合い始めたばかりのカップルのように。
「いやー、俺たち付き合うことになっちゃって」
星斗はそう答えた。
星斗の言葉を理解するのに、僅かばかり時間がかかる。ツキアウコトニナッタ? 何を言っているんだ? こいつは。
何とか言葉を探し、質問を行う。
「ど、どうしてそうなったんだ?」
星斗は、照れたように頭を掻く。
「なんかこいつのことが急に好きになったみたいで」
星斗は、直也の方を顎でしゃくった。直也は、恥ずかしそうに頷く。童顔の顔が、少し赤らんでいた。
加速度的に頭が混乱してくることを、祐真は自覚する。変な冗談を聞いている気分だ。こいつらまで同性愛者になったのか。
「で、でも変だろ? 昨日まで普通だったじゃん。おかしいだろ」
祐真の言葉に、どういうわけか星斗は憤慨した。
「普通って言うなよ。祐真。男を好きになったから異常か? 違うだろ。人を好きになるのに、普通も異常もない。そうじゃないか?」
星斗は、狐のような目を三角にし、唾を飛ばしながら語る。
隣の彩香が、そうよ! と同調した。
「ちょっと待って。頭が追いつかない……」
軽く眩暈を覚えた。この二人といい、彩香といい、おかしいのは自分のような気がしてくる。何も変じゃないよな? 俺。
頭を抱えていると、星斗が直也の腰に手を回し、誇らしげに口を開く。
「今、周りで同性愛者が増えているけど、気持ちがわかった気がするよ。男だろうと女だろうと、好きになってしまったら、関係がないんだよ」
直也も、うっとりと星斗の顔を見上げる。そこから完全に恋をしているのだと、はっきりと読み取れた。
おそらく、今、自身は口を開けた間抜け面をしているんだろうなと祐真は思う。自覚しても、どうしようもなかった。
「ま、お前も素敵な恋をしろよ」
星斗は、間抜け面のまま立ちすくむ祐真の肩を叩き、直也と共にここから離れていった。
「ああ、素敵だなー」
二人の背中を見送りながら、彩香は小さな歓声を上げる。恋愛ドラマを観た後のように、目を輝かせていた。
「大丈夫? 祐真君」
ハニワのような顔になっている祐真に、彩香は声をかける。
だが、祐真は返事ができない。あまりにも衝撃が強かったからだ。UMAや宇宙人を目撃したかのような気分だ。つい今しがた見たものは現実なのか。
彩香が、まだ他にも祐真に話しているが、耳に入らなかった。
仲の良いクラスメイトが同性愛者になり、付き合い始めた。この事実は、他の生徒たちがそうなったのとは違い、少なからず、祐真の学校生活に影響を与えた。
祐真は、休み時間は、ほとんど星斗や直也と共に過ごしている。だが、二人が恋仲になってしまった以上、どうしても歪が生じてしまう。
休み時間、二人の元へ行っても、二人は祐真そっちのけでイチャつく始末。ついには昼休みになると、星斗は、お前が邪魔だと言わんばかりに、直也と二人っきりで食べたいとこちらに伝えてきた。
祐真はそれに対し、首を縦に振らざるを得なかった。祐真は仕方なく、自分の席で、一人で昼食を摂ることになった。
ちょっとした寂しさと、濁りのようなモヤモヤとした複雑な感情を抱えたまま、リコが作った弁当を口に運ぶ。
祐真が弁当を食べ終わるタイミングで、彩香が自分の席に戻ってきた。そこで祐真へと話しかけてくる。その時祐真は、最近、よく声をかけてくるな、とチラリと思う。
「あれ? 星斗君たちと一緒じゃないの?」
彩香はイタズラっぽく笑う。すでに理由を察しているらしかった。それでも祐真は、ありのままを伝える。
「あいつら、二人っきりで食べたいんだってさ」
彩香は嬉しそうに、何度も頷く。
「そうだよね。好きな人と一緒に食べたいもんね」
言いながら彩香は、ピンク色の弁当箱を通学鞄の中へとしまう。これまで仲良しグループと一緒に、昼食を摂っていたのだ。
「まあ好きにさせるさ」
祐真の言葉に、彩香は温和そうに整っている眉根を上げた。
「本当? 寂しいんじゃない?」
「そんなことはない」
内心はまるっきり本音ではないが、わざわざそれを訴える必要はなかった。
「祐真君もパートナー見つけなよ」
「あいにく俺のことを気にかける女子はいないんだ」
「そお? 男の子にはいるんじゃない?」
また変なことを。男に好かれたって嬉しくもなんともない。
「馬鹿言うなよ」
彩香は意味深に肩をすくめると、祐真に言った。
「その内男の子からアプローチがあるかもね」
そう捨て台詞を残し、その場を離れていった。
学校が終わり、帰宅した祐真は、パソコンの前に座る。リコは今、買い物にでも行っているらしく、姿はなかった。
祐真はパソコンを立ち上げ、星斗から借りたアダルトゲームをプレイする。学校は今あんな状態だが、やはり自分にはこれだ。
ゲームは、借りてから少し時間が経っているお陰で、随分と進めることができた。ヒロインそれぞれのルートもほぼ攻略済みだ。この手のゲームにありがちな『全員と付き合いエッチをする』というセッションをクリアしたということである。
評判の通り、文句の付け所もないほど素晴らしい作品だった。ヒロインたちのデザインも秀逸で、とても可愛くてエロい。有名声優の演技も相まって、夜のおかずに役立ってくれた(もっともリコがいるので、トイレや風呂場で行ったが)。
ストーリーも掛け値なしに抜群だった。アダルトゲームと侮ることなかれ。ストーリーが絶妙に素晴らしい作品はいくつもあるのだ。
残る作業は、ゲーム内に用意されたイラストを最後まで集めることだった。とても美麗な作りでなので、祐真としてもぜひコンプリートしたい。そのため、ヒロイン全ての会話を見なければならなかった。
それには、一度行った会話シーンを再度見る必要もあった。スキップ機能はあるが、それでも、作業的単調さは拭えない。
プレイし続けている内に、学校のできごとが頭をもたげてくる。
一体何が起きているのだろうか。なぜあんな急に男の同性愛者が増えたのか。それに、星斗たちまで、そうなってしまって。
祐真の脳裏に、『魔術』の二文字が浮かび上がる。
可能性としてはありえるだろう。奇跡のような現象を引き起こせるシロモノだ。大勢の男子生徒を、同性愛者に変貌させることなど容易いかもしれない。
だが、それならば『誰が?』という疑問が付く。
該当しそうな人物は、今のところリコしかいない。だが、リコは一度も祐真が通う喜屋高校を訪れたことがないのだ。
仮に内密に訪れて今回の現象を仕組んだとしても、今度は動機が不明だ。わざわざ他の男子生徒を巻き込まず、ダイレクトに祐真を狙えばいいのだから。一緒に住んでいるため、回りくどい真似をする必要などないだろう。
それでは、他は誰の仕業になるのか。アネス? しかし、彼こそ動機がない。そもそももう『向こう』の世界に帰っているはずだ。
新たな淫魔が出現した可能性もあるが、この短期間にこの狭い範囲で、リコに続き、そう何人も淫魔が現れるものだろうか。
祐真は首を振った。
『魔術』や淫魔は関係ないのかもしれない。しかし、それならば、やはりどうしてあれほど同性愛者が増えたのか。しかも男ばかり。偶然か、社会的な問題でもあるのだろうか。答えは出なかった。
いずれにしろ、由々しき事態なのは変わりはない。別に同性愛者が増えた環境そのものが問題ではなく、祐真を取り巻く状況の変化が恐ろしかった。
このまま続けば、何だか、自分が孤立してしまいそうな気がしてくるのだ。すでに星斗たちも、祐真そっちのけで、二人きりになることを所望している。今日は不覚にも、孤独感を覚えてしまった。独りぼっちというのは、やはり楽しくない。今日のような日が明日から続くのだと思うと、不安になる。
鬱々としたものが、川底の砂のように、少しずつ堆積していく。ゲームに身が入らなくなってきた。
その時、玄関の扉が勢いよく開いた。祐真はそちらのほうに顔を向ける。中間にあるガラス戸は開け放たれているので、リコが買い物から戻ってきたのだと視認できた。
リコは、祐真が部屋にいるのを確認すると、両手にスーパーのビニール袋を提げたまま、飼い主を見つけた犬のように、表情を明るくした。
袋をキッチンの床に下ろし、部屋の中へと入ってくる。
「だたいま。祐真。またそのゲームやってるの? 二次元の女の子よりも、僕と遊ぼうよ」
リコは椅子に座っている祐真の後ろから、艶やかな白い手を回し、抱きつく。あまりにも自然な流れだたっため、すぐに拒否ができなかった。
それを勘違いしたのだろう、リコは、祐真の背中に抱きついたまま、嬉しそうに言う。
「今日は拒否をしなのかな。ようやくその気になったようだね。言ったでしょ? いずれ必ず君は僕を――」
「うざい」
そこまで喋っていたリコの言葉を遮り、祐真は身をよじってリコを振りほどく。毎度毎度のことだが、特に今のように気持ちが沈んでる時は、本当にうんざりする。
いつもより強い拒否にあったリコは、キョトンとした顔を見せた。そのあと、こちらの肩や顔を探るように見る。また抱きつこうと考えているのか。
祐真は、リコに背を向け、ゲームに集中する。
リコの声がかかった。
「何かあったんだね?」
祐真はそれを無視した。学校で起きている現象を説明しても、こいつはそれをネタに、では自分もと、再度こちらに迫るだろう。気分が悪くなるだけだ。
祐真はそれ以上リコとの会話を絶つことにした。イヤフォンを付け、ゲームを続ける。
やがて、リコがそばから離れる気配がした。
翌日。祐真は昨日クリアしたアダルトゲームを持って、学校へ向かった。
大勢の男子生徒たちが手を繋ぎながら歩く中、教室へと辿り着く。今日は昨日よりも早い登校だ。
星斗はすでに教室におり、直也と仲良く会話を交わしていた。他のカップル同様、近付き辛い雰囲気だ。
それでも祐真は、星斗の元へ行き、借りていたアダルトゲームを返そうとする。だが、星斗はそれを受け取らなかった。
「ああ、もうそれ要らないよ。好きに処分してくれ」
「はあ?」
次に直也に渡そうとするが、直也も断った。
「俺もいい」
祐真は困惑する。
「でも、二人共これ楽しみにしてたじゃん」
祐真がそう指摘すると、星斗と直也は、お互い、手を握り合った。
「恋人ができたからな。二次元の女なんてもう興味なくなったよ。そんなゲーム、もう見たくもない」
そして二人は、祐真の存在を忘れたかのように、再び乳繰り合いを始める。
祐真は呆然としたまま、その場を離れた。自分の鞄にゲームを戻し、ぼんやりと考える。
あいつら、本当に男にしか興味がなくなったのか。それまで夢中だった美少女ゲームを拒否するなんて。
ショックを受けながら、祐真は教室を出る。あまり教室にいたくなかった。
しばらく廊下をうろつき、やがてトイレへと入る。中を確認すると、この間のようにキスをしている人間はおらず、無人だった。
祐真は、安心して用を足したあと、手を洗う。その時、背後に人の気配がした。
顔を上げ、鏡を見る。自身の背後に人が立っている姿が目に入った。
黄色い髪に、柄の悪そうな猿に似た顔。
古里だ。
振り返ろうとした瞬間、そのまま、洗面台の上に体を押し付けられた。
肩が洗面台にぶつかり、鈍い痛みが走る。思わず祐真は呻いた。
祐真は、洗面台に、前のめりの形で押さえつけられていた。それに乗り上げるようにして、古里は祐真を見下ろしている。
古里の声が頭上から聞こえた。
「よう。久しぶりだな。クゾガキ。覚えているか?」
静かだが、湧き起こる興奮を押さえ込んでいるような色が、そこに込められていることがわかった。
またこいつかと思う。懲りたんじゃないのか。こいつもこいつのボスの菅野もやられているのだ。どうしてこうも、返り討ちにしてきた奴を狙えるんだ。馬鹿なのか?
とはいえ、今のタイミングはまずい。
「は、離せ」
祐真は、押し付けられた状態から逃れようともがくが、全く敵わない。現在の祐真は、リコの肉体強化の魔術を借りていないため、素の身体能力のままである。
古里の腕力が、自身を圧倒していることを改めて自覚した。
ライオンの牙に捕われたガゼルのように、虚しく抵抗する祐真を見て、古里は怪訝な声を出す。
「なんだお前。あの時の馬鹿力はどうした?」
そう言いながら古里は、さらに力を込めて押さえ付ける。洗面台の淵が、腹に深く食い込む。
祐真は、小さく悲鳴を上げた。とてつもなく痛い。こいつは手加減を知らないようだ。
祐真が抵抗できないことを悟り、余裕が生まれたのか、古里の声は幾分か、穏やかのものになった。
「やっぱ妙なガキだな。何で今日はこんなに貧弱なんだよ」
少しだけ、力が緩まる。しかし、逃れられるほどではない。
「まあ、いいや」
古里は、こちらの耳元にまで顔を近づけ、囁く。生暖かい息が首筋にかかった。
「散々舐めた真似をしてくれたな。おい。覚悟しろよ」
古里は、そう言い終わると、祐真のズボンに手を伸ばした。そして、ベルトに手をかけ、外そうとする。
最初は理解不能だったが、祐真はすぐに古里の意図を悟った。恐怖と嫌悪感が業火のように、一気に沸き起こる。
祐真は、がむしゃらにもがいた。古里の力が緩んでいたことと、押さえ付ける腕が一本だったことで、運よく逃れることができた。
祐真はそのまま、トイレの奥へと足をもつらせながら避難する。本当は入り口の方へ行きたかったのだが、それには古里が邪魔だったので、不可能だった。
古里は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。以前向けられた、弱者をいたぶる時の可虐にまみれたものとはまた違う、肉欲に彩られた笑みだった。
壁際に追い詰められる形になった祐真は、その場で足を震わせた。純粋な恐怖が、心の奥底から這い上がってくる。蛇と対峙した野鼠のような気分だ。
祐真はそこで、あることに気がつく。鴨志田の存在だ。いつも古里とセットでいる鴨志田が、トイレ内にいない理由がわかったのだ。
鴨志田は、入り口にいた。その背中がここから見えた。門番のように、このトイレに他者を入れないように見張っているのだ。
つまり、誰かがここを訪れ、その者に、救助を要請する道は絶たれているということである。事が終わらない限り、もう逃げられない。
古里が、眼前まで迫る。祐真の心臓が激しく波を打ち、呼吸が喘息を起こしたかのように、荒くなった。
「大人しくやられろよ。抵抗すると痛いだけだからな」
古里が、こちらに手を伸ばす。体がすくんで、身動きが取れなかった。叫ぶことも不可能だ。
古里の手が、祐真の胸元に触れようとした。
その瞬間、それは起こった。
古里は、小さな叫び声を上げ、祐真の胸元にまで伸ばしていた手を、慌てて引っ込める。ペットを撫でようとしたら、噛み付かれた時のようだ。
なんだ? と思い、古里の手元を見て、祐真はギョッとする。
古里の手に、手の平ほどの黒い物体が、くっ付いていたのだ。
それは蝙蝠だった。なぜだがわからないが、自分の胸元から出てきたらしい。
「なんだこいつ」
古里は、腕を動かし、蝙蝠を振り払おうとする。だが、蝙蝠は離れない。
それでも必死に腕を振っていると、やがて蝙蝠は離れた。そう見えたが、違っていた。
蝙蝠は移動したのだ。古里の首筋へ。
「うお!」
古里は、呻き声を上げた。慌てて首筋の蝙蝠に手をかける。しかし、その動きが突如停止した。
古里は、スタンガンを喰らったかのように、一瞬痙攣したかと思うと、そのままトイレの床に崩れ落ちた。そして、動かなくなる。
静かになったトイレ内で祐真は、その光景を唖然として見つめていた。古里のレイプ未遂に続き、奇妙な蝙蝠の出現である。頭が混乱し、パニック寸前だった。
古里を襲った蝙蝠は、蝶のように羽ばたきながら、今度はこちらに寄ってくる。祐真の全身が、一気に粟立つ。今度は俺を襲うつもりか。
祐真は恐怖のあまり、目を瞑った。相変わらず足が麻痺したようにすくんでおり、逃げることができなかった。
そこに声が聞こえる。それは聞き覚えのあるものだった。
「大変なことになっているね。祐真」
祐真が目を開ける。声の発生源は蝙蝠だった。
「リコ!?」
祐真は目を丸くした。蝙蝠の存在自体も驚きだったが、そこからリコの声が聞こえることにも驚く。リコは蝙蝠だったのか。
「何なんだ一体? その蝙蝠は何だ?」
「この蝙蝠は、僕の使い魔さ」
「使い魔?」
中空を羽ばたいていた蝙蝠は、祐真の肩に止まった。反射的に振り払いそうになるが、危険はなさそうなので、堪える。
「そう。僕が魔術で使役したんだ」
肩に止まった蝙蝠から、無線のように声が聞こえる。だが、無線とは違い、音声は本人と会話している時と同じくらいクリアだ。
「昨日祐真の様子がおかしかったからね。念のためボディガードとして付けておいた」
ボディーガード。とりあえず、リコに守ってもらったらしい。
祐真は、床に倒れ込んでいる古里を見下ろした。
「古里はどうなったんだ?」
「眠ってもらった。命には別状ないよ」
祐真は少しだけ、ホッとする。殺人に関与されたと疑われる心配はなさそうだ。
「しかし、今のこの学校の惨状。とても恐ろしいよ。どうして相談しなかったんだい?」
蝙蝠からは、若干だが咎める声がした。
祐真は口ごもる。
「ちょっと言い出せなくて……。そんなにひどいのか? 確かに異常だけど」
「うん。これは間違いなく『淫魔術』が使われているね」
「淫魔術?」
「そう」
そこまで言うと、蝙蝠は、祐真の制服の首筋部分に潜り込んだ。くすぐったく、思わず身震いする。
首筋から、声が聞こえた。
「とにかく説明はあと。ここを離れよう」
リコに促され、祐真はトイレの入り口に向かう。入り口には、鴨志田がいるが、気にせず真横を通り抜けようとした。
祐真が一人でトイレから出てきた姿を見て、鴨志田は驚いた表情をする。
「おい!」
鴨志田が祐真を呼び止めるが、祐真は無視をして、廊下を進んでいく。
鴨志田は追ってこなかった。恋人の古里が気になったようで、トイレの中へ入ったらしい。
祐真は、トイレから一定距離離れた所にある窓際で立ち止まった。外を眺めながら、制服の中に潜り込んでいる蝙蝠に話しかける。
「さっき言ってた淫魔術って何だよ」
「魔術の一つさ」
昨日、『魔術』とは関係ないと祐真は結論付けたが、どうやら違うらしい。今回の件はやはり魔術が関わっているようだ。
祐真は訊く。
「お前が使っているやつと同じか?」
「ちょっと違う。僕が基本、行使するのは『黒魔術』。この学校を襲っているのが『淫魔術』」
「どういうこと?」
そこまで言い、祐真は口を噤んだ。そばにいた女子生徒が、独り言を言う祐真に、おかしな視線を向けたのだ。今はまだ登校のラッシュアワーだ。廊下にも大勢の生徒たちがいる。おかしな素振りは見せないほうがよかった。もっとも、その半数は、他のものには眼中にない男子生徒同士のカップルだったが。
祐真は、屋上へ行くことにした。生徒たちの間を縫うようにして、屋上に続く階段を登る。
屋上に着き、誰もいないことを祈りながら、扉を開ける。朝の爽やかな風と共に、朝日が祐真を照らす。
幸い。屋上には誰もいなかった。朝っぱらからこんな場所に用があるのは、悪巧みを行う奴か、何か秘め事がある奴くらいだろう。
祐真は、可能な限り周りから死角になる場所を選び、リコに先ほどの質問の続きを行う。
「淫魔術ってなんだよ?」
制服越しに声が聞こえる。
「インキュバス、サキュバス等の『淫魔』が使う固有の魔術さ」
「つまり?」
リコは言い切った。
「この状況の首謀者は、淫魔である可能性が高いってこと」
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