第三章 デート

 リコから借りた魔術を使い、古里たちを撃退してから、一週間が経過した。


 あれから奴等は、何のアクションも取ってこなかった。新たな刺客が現れることもなければ、集団で出向いてくることもなかった。祐真の予想通り、もう標的にすることを諦めたのだろう。


 古里たちを撃退するために使った魔術は、リコに礼を言ったあの晩、リコ本人へと返却した。あのまま不必要に保持し続けても、発覚のリスクを高めるだけであったからだ。必要があれば、また何かしら力を貸してくれるという。


 これにて一件落着と相成ったが、新たな問題が一つ噴出していた。


 それは当のリコのことである。


 あの件以降、リコのアプローチは激しさを増していた。祐真の感謝の言葉が、リコの情熱をさらに燃焼させたらしい。


 激化した点を挙げると、例えば、入浴の際、これまでリコは共に入浴を催促したり、覗き程度に留まっていたものが、今は裸になって風呂場へと追従するようになった。また、祐真が入浴していると、あとから風呂場に押し入ることもあった。


 就寝の際も同様で、妙なメンズ用のセクシー下着を着用し、頻繁に祐真を性交へと誘う行動をとっていた。


 つまりは、これまで以上に、祐真の体に並々ならぬ執着を示すようになったのだ。誘惑の激化である。一応は拒否をすると、身を引いてくれるのだが、言動自体を抑えることはなかった。


 いよいよ貞操の危機を覚えた祐真は、一刻も早くリコを元いた世界へ送り返すために、あの赤い召喚の本を本格的に探すことにした。


 連日、学校帰りにあの図書館へと通い、本棚を隅々まで調べる。目立つ本なので、見落とすことはないはずだった。

 しかし、赤い本は全く見当たらない。図書館に設置してある端末で検索するも、一切引っ掛からなかった。


 図書館の職員に訪ねてみても、同じだった。それどころか、妙なことに、祐真の貸し出し履歴には、確かに借りたはずの、あの赤い本の記録が載っていなかったのだ。


 その時に貸し出しされたことになっている書物は、数学の問題集のみで、赤い本は始めから存在していなかったかのように、完全に記録から消え去っていた。


 おかげで祐真は、赤い本の紛失届けを提出しようとしたものの、職員からおかしな目で見られる結果となった。もっとも、紛失した事実さえなかったことになったので、弁済は発生せず、その点は幸運と言えるが。


 図書館では赤い本を発見できなかったため、次はネットで調べることにした。

 それらしい単語を検索サイトのバーに入力して、検索してみる。思った以上に複数のサイトがヒットするが、どれも祐真が狙っている本ではなく、いかがわしい悪魔召喚本や、儀式本ばかりの情報しかなかった。


 ネットも駄目となると、祐真はさすがに頭を抱えた。貞操が危ぶまれていることもそうだが、『ペナルティ』のリスクは常に付き纏っている。可能な限り、早めにリコを送り返したい。


 残る方法は、数多くある図書館へと赴き、しらみつぶしに探すことしか思いつかなかった。元々千葉の片隅の図書館にあったシロモノなのだ。他の図書館でも見付かる可能性はあるかもしれない。


 祐真は諦めず、これからも時間があったら、図書館を巡り、赤い本の探索を行うことを心に決めた。


 その最中のことである。


 リコは、あの時の約束を履行することを要求してきた。


 古里たちを撃退するために、手を貸してくれたことへの礼である『デート』であった。


 祐真としては望ましくないのだが、自分で約束した手前、断るのも気が引けた。リコのお陰で解決したのも事実ではある。


 よって、休日になると祐真は、リコと共に街の中へと『デート』に繰り出したのだった。




 祐真たちは、その日、高速バスに乗り、舘山自動車道から東京湾アクアラインを通って、渋谷へと赴いていた。


 渋谷をチョイスしたのは、リコだった。なぜ渋谷かと祐真が質問すると、若者の街だからと、リコは年寄りみたいな説明を行った。


 ちなみに、ひどく人目を引くリコの銀髪だが、魔術により、他の人間には黒髪に見えているらしい。これで、買い物などで頻繁に外出するリコに対し、妙な噂が立たない理由が判明した。


 それでも、リコはその美貌そのものにより、衆目を集めるようだ。


 渋谷に向かうバスや電車の中でも、数多くの人から刺さるような視線を投げ掛けられていた。隣にいる祐真はひしひしとそれを実感する。


 そのほとんどが、羨望や敬愛のものであり、中でも女子高生や若い男などは、二人に聞こえるような声で、リコの容姿を賛美することすら少なくなかった。


 当然だが、人外の存在だと疑いの眼差しを向けるものは皆無である。むしろ、アイドルや俳優などに対する目線に酷似していた。


 祐真もリコの容姿が優れていることは認めていたが、もうすでに見慣れている上、毎日のように行われるアプローチと、インキュバスという人外の存在が相手であるため、リコの美貌の効力自体が、すっかり祐真の意識から除外されていたのだ。


 今回、リコとの初めての遠出で、リコがどれほど魅力のある容姿を誇っているのか、再認識できた。とはいえ、それが祐真にとって、大してメリットにならないことは理解しているが。


 渋谷駅前にある忠犬ハチ公像広場に二人は降り立つ。祭りのように多い人混みの中で、なおもリコは周囲の視線に晒されていた。共にいる祐真にもその視線は刺さっており、恥ずかしくなる。


 「行こう」


 リコは歩き出した。109の建物がある方角だ。


 祐真は、リコに訊く。


 「どこに行くんだ?」


 「ちょっと色々買い物しようと思ってさ。まずは服を買うよ」


 「服かよ」


 祐真はリコの服装を見た。


 普段どこで買っているのか知らないが、リコは、己のファションを磨くことにも余念がなかった。今も薄手の黒いスタンドコートにベージュのカーゴパンツ、足元はチャッカブーツといった出で立ちだ。白人モデルのようにスタイルがいいため、ファッション雑誌からそのまま抜け出てきたような雰囲気を纏っている。


 比べて祐真は、パーカにジーンズという適当に選んだ服装だ。隣を歩いていると、少し気後れする。


 「祐真の服も買ってあげるね」


 リコは優しくそう言った。


 「いいよ別に」


 「遠慮しなくていいよ。僕が色々見繕ってあげるから」


 リコのことだから、おそらく自分色に染め上げようという魂胆だろう。面倒だが、損はないので好きにさせようと思う。今日はこいつのためのデートなんだし。


 祐真は、大人しくリコに従うことにした。




 109も含め、渋谷周辺で買い物を行う。リコは完全に祐真のコーディネーションを把握しており、祐真に似合うであろういくつもの服を買い与えてくれた。


 リコ曰くこうだ。


 「祐真の体重、身長、スリーサイズ、体脂肪率全て頭に入っているから、安心して任せてね」


 祐真には鳥肌物だが、もうそれくらいでは驚かない。むしろこのレベルならば、穏健なほうだと言えた。


 買い物がある程度済むと、昼食をとり、ロッカーに荷物を預けて映画を観る。ジャンルは恋愛物だ。


 まさに『デート』といった流れで、二人は時を過ごした。


 夕方になると、さすがに疲れたので、東急百貨店内のフードコートで休憩をとることにした。


 喉が渇いた祐真のために、リコは、飲み物を買いに祐真のそばを離れる。


 一人になった祐真は、喧騒の中、手持ち無沙汰にスマートフォンを弄りながら、リコの帰りを待つ。


 その時であった。


 近くに人の気配がした。声がかかる。


 「あれー? 祐真君じゃん」


 顔を上げると、見覚えのある人物が目の前にいた。


 「横井さん」


 クラスメイトの横井彩香だ。


 彩香は、デニムのシャツに、黒いスカート、茶色のコアブーツと、カジュアルな服装だ。髪型こそは相変わらずの健康的なショートカットだが、私服姿を見るのは初めてなので、とても新鮮に感じる。別人のようだ。


 「ここで何しているの? 買い物?」


 彩香は祐真のそばに置かれた大量の荷物に目を向けながら、訊く。


 「まあ、そんな所かな」


 祐真は曖昧に答えた。そして、彩香の隣にもう一人、別の人間がいることに気がつく。

 中学生くらいだろうか。とても綺麗な顔立ちをした少年だ。さらさらで黒いメンズショートカットの髪型の持ち主である。


 日本人離れした美少年であるため、周囲の人間から時折視線を投げかけられていた。まるでリコのようだ。


 弟なのだろうか。祐真は少年を見ながら思った。それにしては、あまり似ていない気もするが。


 祐真の視線の意味を察したのか、彩香は隣の少年の肩に手を乗せ、紹介する。


 「この子は……駿しゅん君。私の従兄弟だよ」


 彩香はなぜか一瞬言い淀んだあと、少年の名前を口にした。


 紹介された駿は、すぐには挨拶をしなかった。何かに取り憑かれたかのように、祐真の顔を凝視している。


 洗練された刃物のように、美麗な駿の目に直視され、祐真はやや緊張する。同時に一体どうしたのだろうと、不安になった。顔に何か付いているのか。


 どうしようもないので、祐真は見つめ返した。


 少しだけ間があり、やがて彩香が駿の肩を叩く。


 「おーい、俊君、自己紹介」


 彩香にせっつかれ、そこで初めて駿は我に返ったように、はっとした表情になった。


 「ごめんなさい。ぼーっとしてて。よろしく。駿っていいます」


 駿は、爽やかな笑顔を作り、頭をぺこりと下げる。


 そして顔を上げたあとは、何事もなかったように、平然とした様子で、その場に佇んでいた。


 何か考え事でもしていたのだろう。祐真はそう解釈した。


 その後、彩香と祐真は二、三言葉を交し、やがて二人はその場を離れていった。最後に駿は、愛くるしい笑みをこちらに向けた。


 少し時間が経ち、リコが戻ってくる。


 「ごめん、祐真。お待たせ」


 リコは、手に持っていたソフトドリンクを祐真に渡し、隣に座った。まるで恋人のように距離が近い。祐真は少し離れた。


 リコはその行動を微笑んで見ていたものの、祐真の顔に目をやると同時に、何かに気づいたような表情になった。


 リコが、不思議そうに質問をする。


 「何かあったの?」


 一瞬、クラスメイトと邂逅した話をしようと思ったが、意味もないので、伝えないことにした。


 「別に何も」


 祐真はそれだけ答えた。


 「ふうん」


 リコはそれ以上追及しなかった。


 それから二人は、一通り店を回り、帰路へと着く。


 こうしてリコが要望した『デート』は、終わりを迎えたのだった。




 ユーリーと共にアパートへ到着した彩香は、購入したペンタブ用の専用ペンを袋のまま、机の上に放り投げた。これは渋谷にあるビックカメラで購入したものだ。今まで使っていたものは、酷使し過ぎたせいで反応が悪くなり、役に立たなくなっていた。そのため、息抜きがてら、渋谷へと買い物に赴いていたのだ。


 そこでまさか、クラスメイトに出会うとは思わなかった。


 彩香は途中から様子が変わったユーリーに、問いかける。


 「ねえ、もしかしてユーリー、祐真君に惚れちゃった?」


 ユーリーは明るく答えた。


 「うん。わかる?」


 「もちろんだよ」


 二ヶ月は一緒にいたので、それくらいは読めるようになっている。


 「一目惚れしちゃった」


 ユーリーの目は、恋する乙女のように、キラキラと輝いていた。


 「それじゃあ、早速食べに行く? その時は私も同行したいな」


 「そうしたいのは山々なんだけど、祐真君って例の子でしょ? その場合は慎重にいかないと」


 「祐真君が魔術師かもってこと?」


 「そう」


 ユーリーは頷くが、どこか釈然としない顔だ。


 ユーリーは続ける。


 「でも、今日見た限りだと、そんな様子はなかったよ。魔術師や退魔師なら、それとわかる。相当クラスが上位なら、それも隠せるけど、祐真君は違う気がする」


 「だったら、私たちみたいに、何かを召喚したとか?」


 「その場合、例えばサキュバスやインキュバスを召喚したとするなら、毎日精を吸われているはずだから、インキュバスである僕にはすぐにわかるよ。それは魔術師かどうか見極めるより簡単だ」


 「なら夢魔以外ってこと?」


 ユーリーは腕を組み、少し悩む。美ショタの悩ましげな顔も、腐女子の琴線に大きく触れる。今度この顔をモデルに話を進めようかな。今のスランプを脱出したら。


 ユーリーは答えた。


 「それも何となく違う気がするんだよね。精霊や悪魔の場合でも、必ず対価は支払わないといけないから、その影響は感じ取れる。でも、祐真君からは一切そんな気配はなかったよ。魔術を身に纏っている形跡もない」


 「なら私たちの勘違い?」


 それだったら、ユーリーは簡単に祐真を食えるし、『例の計画』も障害なく進めることが可能だ。朗報である。


 「それもあるかもしれない。けど、屋上の件を考えると、完全にシロとも言えない。だから……」


 ユーリーはそこまで言い、押し黙った。どこか思いつめたような様子だ。


 「だから?」


 彩香は先を促す。


 「彩香」


 ユーリーは、続きを言わず、彩香の名を口にした。


 「何?」


 彩香は、怪訝そうに返事をする。どうしたのだろうと思う。様子がおかしい、


 ユーリーは、決心した表情をしていた。


 ユーリーは口を開く。


 「彩香、例の計画を実行に移そう」


 『計画』という言葉が出て、彩香の胸は微かに高鳴った。だが、あまりにも急過ぎて、戸惑いも生まれた。


 彩香は、手を前に突き出し、ユーリーを押し留める動作をする。


 「ちょっと待って。それは私としても本望だけど、どうして突然?」


 「タイミングさ」


 「どういうこと?」


 ユーリーは、彩香を真っ直ぐ見つめた。


 「彩香、今またスランプでしょ?」


 「う、うん」


 この間のサラリーマンの件で、少しは持ち直したものの、再び暗礁に乗り上げたのだ。よくあることではあるが。


 「そして、僕は祐真君に一目惚れをした。正直言って、今すぐ彼が欲しい」


 ユーリーは、目をぎらつかせた。


 「だから、このタイミングで決行しようと思う。彩香はスランプから脱出できる上に、新しいアイディアも生まれる。そして何より、彩香が以前から望んでいる世界を見ることができるよ」


 ユーリーの説明により、次第に自身の中で、期待が膨らんでいくことを彩香は実感する。


 彩香は自身の頭の中に、ある世界を思い描いた。それは、計画が実行されたあとに訪れる、素晴らしい世界。何度も何度も夢想を続けた世界。


 そこには、男女の汚らしい『性』が存在しないのだ。ヘンリー・スコット・デュークが描く絵のように、甘美で清らかな光景が地平線の大地まで広がっている。それは何物とも比肩し得ない、高潔な世界だ。


 その世界の中央に、自分は立っている。そこにいれば、今陥っているスランプなど簡単に脱却できる上に、無尽蔵の油田のように、アイディアが溢れ出てくることだろう。


 「素敵」


 彩香は、自身の顔が、だらしなくうっとりとした表情に包まれたことを自覚する。いけないけない。妄想に浸り過ぎだ。


 ユーリーは、そんな彩香の姿を見ながら、ニヒルに口角を上げた。白い歯がのぞく。


 「彩香も納得したようだね」


 「うん」


 彩香はニッコリと笑って頷いた。


 そして、彩香は訊く。


 「方法は? 前から計画した通り?」


 「そうだね。ただし、出力は随分と抑えようと思う。祐真君がまだシロかクロかわからないからね。小規模に進めて、その中で祐真君がどうなるか確かめよう。シロなら、話は簡単。影響を受けるだろうから、すぐに食べてやる」


 ユーリーは、舌なめずりを行った。


 「もしもクロなら?」


 「その時は慎重にいこう。影響を受けない可能性があるから、警戒は必要だ」

 「大丈夫なの?」


 ユーリーは、自信たっぷりに頷く。


 「大丈夫だよ。相手が魔術師だろうと、サキュバスを召喚していようと、僕なら勝てる。そして、必ず彼をモノにするよ。それに、クロなら、色々と体に聞きたいことができるからね。楽しみが増える」


 「いつ動き出すの?」


 「明日の晩。休み明けから効果を出したいから」


 「わかった」


 そして、いくつか計画の打ち合わせをユーリーと行う。これはある程度前から決まっていた部分もあった。


 それが終わり、一段落した時だ。


 彩香はユーリーに伝える。どうしても頼みたいことだ。もしかしたら忘れているかもしれない。


 「その前に一ついい?」


 「何?」


 ユーリーは、首を傾けた。


 「祐真君を食べる時は、必ず私を呼んで。そして、この間のサラリーマンの時みたいに、目の前で、死ぬほどイカせてあげて」


 彩香は、最後にウィンクを行った。


 ユーリーは肩をすくめて、軽やかに笑う。


 「もちろんだよ」




 古里清春は、木更津駅近くにあるパチンコ店の裏で、詰まった排水溝のような声と共に、唾を地面に吐き出した。そして、チクショウ、と悪態をつく。


 今の時刻は夜の十時。わざわざ木更津までやってきて勝負をしたのに、閉店すら持たず、もう素寒貧になってしまった。とことんついていないと思う。


 表の通りからは、闇を明るく照らすネオンと、パチンコ店から流れてくる喧騒が、ここまで届いてくる。


 明日は学校だが、このままふけちまおうかと考える。単位はやばいが、退学になったらなったで、構わない。あんな高校、未練はなかった。


 古里は、路地裏の汚れた地面に尻を付き、金髪の頭をガリガリと掻き毟る。


 問題は今日、金がないので家へと辿り着けないことだ。いっそそこらにいるガキをカツアゲして、金をせしめて帰ろうかと考えた。しかし、最近は警察の取締りが多く、危険であった。今日も何人か、私服警官らしき人物を見かけた。カツアゲをやるタイミングとしては、最悪だろう。


 古里は、再度チクショウと呟いた。近頃、そんなことばかりだ。ついていないことが続く。まるで神に――元々自分を見守っているとは思わないが――見放されたかのようだ。


 脳裏に、一人の男子生徒の姿が蘇る。トイレで自分をねじ伏せ、屋上で菅野をいとも容易く沈めた下級生。


 あのガキだ。得体の知れないあのガキと関わってから、ツキは下り坂なのだ。あいつが全ての元凶だ。


 年下の地味なオタクにやられた屈辱が再度噴出し、古里のイライラはピークに達した。今、表の通りを歩いているサラリーマンをひたすらボコボコにしたら、さぞかし爽快だろうと思う。


 学校は退学になって構わないが、その前に、あのガキを一度は半殺しにしたい。いや、いっそ、殺しても構わないではないか。とすら考える。自分は少年院など怖くない。


 古里は立ち上がり、ポケットに手を伸ばす。


 とはいえ、今解決しなければならない問題は、電車賃の件である。とりあえずスマホの充電が生きている内に、鴨志田に連絡を入れようと思う。


 スマホを取り出し、鴨志田と連絡をとる。そして、何とか電車賃を持ってきて貰う算段を取り付けた。


 鴨志田との電話が終わると、再び怒りが再燃した。こんな面倒なことをわざわざ俺がするなんて。金だって返さないといけないのだ。


 再度あの下級生の顔が思い浮かび、強い殺意を覚える。サボろうと思っていた学校へ明日赴き、あいつを殺そうかと考えた。ナイフには少し自信があるため、いくら格闘技に心得がある人間が相手でも、勝てるはずだ。


 古里は、あの下級生の腹部にナイフを深々と突き刺す姿をイメージしながら、路地裏を出ようとした。その時、路地裏の入り口に人影が差した。表から差し込んでくるネオンを背にしているため、はっきりと姿は見えない。


 「鴨志田か?」


 そう口にしてから、古里はすぐに違うことがわかった。到着があまりにも早過ぎる。ついさっき、電話を切ったばかりなのだ。そして、何より、身長が低い。中学生くらいだ。


 人影は、こちらに歩み寄ってくる。やがて、容姿がはっきりと浮かびあがった。


 その人物は、白人の美少女のように、整った容姿をしていた。非常に中性的だが、男だとわかる。銀髪であることが、目を引く。


 「何だ? お前」


 なおも、歩み寄ってくる少年を古里は睨みつけた。日本人離れしているので、少し怯んでしまう。


 少年は、こちらの目の前までやってきた。少年は優しく微笑んでいる。どこかのジュニアアイドルなどよりも、遥かに魅惑的な容貌だ。一瞬だが、見とれる。


 そして、少年は顔を近付けた。キスができるほどまで近い。


 何のつもりだ。


 古里は、さすがに文句言おうとした。その時だ。不意のことである。


 少年は古里と唇を重ねた。


 マシュマロのような柔らかい唇の感触がし、そして、頭が真っ白になる。それと同時に、全身が燃えるように熱くなった。




 古里ははっとする。気がつくと、地面に座り込み、うな垂れていた。どうやら眠っていたようだ。古里は立ち上がった。


 途端に、立ちくらみのような眩暈に襲われる。


 頭がぼんやりとし、直前の記憶がないことに気がつく。鴨志田を呼び出した記憶までは残っているのだが、それ以降がすっぽりと消失していた。


 路地裏の入り口に、人の気配がした。


 「おい清春。いるのか?」


 声が聞こえる。鴨志田だ。ちゃんときてくれたようだ。記憶が飛んでいるので、随分早い到着のような錯覚を受けた。


 鴨志田は、こちらに歩み寄ってくる。それに合わせ、胸の鼓動が高鳴り始めたことを古里は自覚した。


 なんだこれは。


 鴨志田は、古里の目の前までやってくると、立ち止まった。


 鴨志田は、古里の顔を覗き込み、眉根を寄せた。


 「どした?」


 体が熱かった。強い度数のアルコールを飲んだ時のように、頭もボーっとしている。


 鴨志田から目を離せなかった。こいつ、こんな素敵な顔をしていたっけ? 何だか格好いいぞ。


 徐々に、頭が真っ白になっていく。夢遊病のように、制御が利かない。


 怪訝そうな面持ちの鴨志田に向かって、古里は、ゆっくりと歩み寄った。

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