第51話 渾沌の領域
「なるほど、これが『渾沌の領域』か。不思議な空間だな」
右も左も上も下も、今自分がどこに立っているのかすらも分からない。
どこを見渡しても暗黒空間が広がっている。
だが暗いわけではない、自分の手や足元はよく見えている。
どうやらここは『何も見えない』のではなく『何もない』らしい。
地面も空も、ダンジョンにはつきもののモンスターの姿もない。
だがEランクダンジョン特有の、あの肌を突き刺すようなおそろしい感覚だけはひしひしと伝わってくる。
「早くアイツを見つけないとな。しかし……」
俺は自分のスマホで彼女の配信を開く。
現在の視聴者数は2、俺と歩夢さんだけのようだ。
そしてチャット欄にはここに来る前に俺が打った『そこは危険だから今すぐ帰ってこい』というコメントだけ。
だが真琴はそれに気づいていない、というかそもそもチャット欄を見ていない。
正式に事務所に所属するためのテストとしてこの配信をやっているはずなのだが、コメントを見もしないなんて不合格間違いなしだろう。
そもそもテスト自体が彼女をあしらうための形式上のものなので、歩夢さんには正式にデビューさせる気などないのだろうが。
「こうなると俺が捕まえるしかないけど、どこにいるんだ?」
配信中の彼女も俺と同じような暗黒空間を進んでいる。
景色が全く同じせいでなんのヒントもない、果たして今俺と彼女はどれくらい離れているのだろうか。
そもそもどっちに進めば良いのか。
配信を見ていてもわかりそうにはないので、画面を閉じてスマホはポケットにしまう。
「とりあえず進むしかないか」
辺りをぐるっと見回してもう一度何もないことを確認すると、自分の勘に従って適当に歩き始める。
景色は変わらない、モンスターの姿もない。
高低差もないひたすらに平坦で真っ暗な道を進むだけ。
しかしなぜ彼女はこのダンジョンに来たのだろう。
宇宙人と言われても納得できるほどの理解不能な数々の言動に、著しい常識の欠如。
今回に関してもダンジョンの知識が何もなかっただけ、と言われればそれまでかもしれない。
だが俺が歩夢さんの転移魔法陣を利用してきたように、ここは事務所からはかなり距離がある。
適当に選んだダンジョンがたまたまここだった、ということはあり得ない。
狙って来ようとしない限り辿り着かないのだから。
「ホント、なんでこんなとこにって、うお!」
ボヤきながら進んでいたその時だった。
突然足元の感覚がなくなったかと思うと、体が急激にした方向に引き寄せられる。
どうやら落下しているらしいのだが、周囲は暗いままなので何もわからない。
しかし少しして眩い光に包まれた。
「おっと」
どうにか綺麗に着地できた。
しかし今のはなんだったのだろう、モンスターや罠の気配はもちろん、少しの魔力も感じなかった。
急に地面がなくなった、これ以上の表現ができない。
「というか、どこだここ……」
とりあえず一旦落ち着いて辺りを見回す。
先ほどと違って周りがよく見える、フィクションでよく目にするような遥か昔の西洋風の街並みが。
「現実世界、じゃないよな」
斜面に沿って作られたレンガ造りの家や道路、丘の頂上に建てられた石造りの巨大な神殿、どれもリアリティに満ち溢れている。
ここがダンジョンであることを忘れてしまうくらいに。
慌ててスマホを取り出して真琴の配信を確認する。
どうやら彼女も同じような場所に来ているらしい、背景に目印になりそうな場所はないが。
「ここも『渾沌の領域』の一部ってことか」
どうやらその名に違わずこのダンジョンはカオスな構造になっているらしい。
まだ危険なモンスターや罠に晒されたわけではないが、とにかくこれまでの常識が通用しない。
ダンジョンは洞窟型・遺跡型・自然型の3つに分類されるのだが、ここはどれに当てはまるのだろうか。
構造物で構成されている、という点を踏まえれば最も近いのは遺跡型か。
「ふぅ……」
ひとまず息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
ここは凛さんですら攻略できなかった超高難易度のダンジョンなのだ、少なくとも普通でないことはわかりきっていたはず。
「これ以上面倒なことが起きる前に早く真琴と合流しないとな」
ここまで経験したことのないことばかり起きている、これから先も何が起きようと不思議ではない。
とにかく早く合流しないとさらに厄介なことになりそうだ。
「よし、行くか」
念の為に右手に剣を創造し、現実世界とそう変わらない街並みを進み始めた。
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