第31話 葵の抱擁
昨日は期待に胸膨らませて歩いた駅から学校までの通学路、今日は沈んだ気持ちで足取り重く学校へと向かう。
「うちの弟馬鹿でさ~、このまえ『極上手作り』を『ごくうわてつくり』って読むのよ」
「え~マジ、ウケる」
前を歩いている同級生の楽しそうなおしゃべりが耳に入ってくる。
いつも通りの光景ではあるが、今日に限っては明るく楽しい声が逆に僕の気持ちを暗く辛い気持ちへとさせる。
気持ちの整理が付かないまま教室にドアを開けると、そこもいつも通り友達通しおしゃべりする子、終わっていない宿題をやっている子、スマホを触っている子などいつも通りの風景が広がっていた。
「おはよ」
「夕貴、今日の下着も新作かな?」
「う…ん。きょ、今日は、む…ら…さきだよ」
僕が教室に入ったのに気付いた佐野っちが、いつも通りお尻を触ってきた。
痴漢のいやらしい触り方とは違うフレンドリーで優しい手触りに、ほっとしたのか涙があふれてきて、涙混じりの返事になってしまった。
「どうした。私の触り方嫌だった?」
「違うよ」
思い出したくもない嫌な今日の電車での出来事を、佐野っちと茜に涙ながらに伝えた。
「許せない!」
「痴漢なんて最低!」
佐野っちは手を握りしめて怒りをあらわにしており、茜に至っては怒りのあまり握りこぶしを机に叩きつけた。
「夕貴のお尻を私の許可なしに触るなんて!」
「そうよ、私たちの
「二人とも怒るポイント、そこなの?」
怒る矛先がちがうとはいえ、ショックのあまり何も言えない僕に代わって怒ってくれるのはありがたかった。
ヒートアップしてきた茜は、さらに話を続けた。
「私ね、胸大きいでしょ。それで嫌らしい視線で見られることが多いの。とくに高校生男子。目の痴漢だね。あいつら、野獣でケダモノよ」
「共学に通っている女子ってすごいと思うよ。あんな欲望にまみれた生き物と一緒にいるなんて考えられない」
二人とも普段から貯めこんでいた男子高校生に対する不満を口にした。僕自身もほんの少し前までは、クラスメイトの女子生徒を性的な視線で見たことあるだけに居たたまれない気持ちになってしまう。
「ごめん、私も男子高校生」
「いいのよ、夕貴は。私たちの仲間なんだから」
「こんなスカートを短くして、紫のブラジャー着けて喜んでいる男子はいないって」
確かにそうなのだが改めて言われると、僕は男子から遠く離れてしまったと再確認してしまう。
「あっ、葵、おはよ」
「どうしたの?今日もみんなで集まって」
今日も葵は女子たちの輪に加わらず、自分の席へと直行していった。
「ねぇ、聞いてよ葵。夕貴が痴漢に遭ったんだって」
「ふ~ん。大変だったね」
葵も茜たちと同じように怒ってくれるものと期待していたが、意外に素っ気ない。
「みんなも痴漢とか変質者に気を付けないとね」
平然としている葵に、僕を心配する様子はない。葵ならきっと優しく慰めてくれるはずと期待していた僕は、痴漢されたときと同じくらいの衝撃を受けた。
茜も佐野っちも葵の予想外の冷静さを不審に思っていたが、ちょうど先生が朝のホームルームのために教室に入ってきたので、その話題はいったん中止となった。
◇ ◇ ◇
お昼休み教室では、みんな仲の良い友達とお弁当や売店で買ってきたパンなどを食べている。
僕たちも葵と茜と佐野っちの4人でいつも通りお弁当を食べている。
「文化祭もうすぐだね」
「ドレス着るの楽しみ」
「私も。昔から憧れだったんだ」
プリンセス喫茶をやることに決まった文化祭で、誰がどの衣装を着るかを先週のホームルームで決めた。
クラスの半分くらいの生徒が希望しており、午前と午後で交代して着ることになった。希望者が多いので男の僕は辞退しようと思ったが、クラス全員の要望で辞退は許されず美女と野獣のヒロインであるベルに決まってしまった。
「意外とみんなドレス着たいんだね」
「当たり前よ。プリンセスに憧れない女の子はいないよ。葵、衣装提供してくれてありがとうね」
「まあ、系列の写真スタジオが持っていて、借りてきただけだから気にしないで。私も着てみたかったし、夕貴のドレス姿を見たかったしね」
葵はにこやかに雑談には応じているが、朝の痴漢の話題には触れてこない。
「夕貴、ちょっといい」
弁当を食べ終わったタイミングで、葵から声がかかった。
ついてきてという葵に三歩下がって付いて歩いていく。
階段をのぼり、屋上へと向かっているようだ。屋上には鍵がかかっており、屋上には出られない。そのため誰も来ることもなく、にぎやかな昼休みの校舎内でもここだけは静かだ。
「ここなら、ゆっくり話せるしね」
静かな笑みを浮かべた葵が振り向いた。
「朝の痴漢のことなんだけど、大変だったと思うけど夕貴も無防備だったんじゃない?」
「えっ!?」
人目のつかないここで、葵に慰めてもらえるという僕の期待は無残にも打ち砕かれた。
「だって夕貴、階段上がるときもスカート押さえないし、痴漢に遭ったのも夕貴に隙があったからじゃないの?」
「確かにそうだけど」
「夕貴は女の子として無防備なのよ。電車に乗るときは前後を確認して、できるだけ女性の近くにいるようにするとかするものよ」
厳しい葵の言葉に、自分の愚かさを悔いた。以前は女性を性的な視線で見つめていただけに、僕自身がその対象になるなんて考えていなかった。
「ごめん、葵」
「女の子は危険なのよ。わかった?」
「うん」
情けない自分に嫌気がさして、気づけば涙が出ていた。
そんな僕を葵はギュッと抱きしめてくれた。
葵の左手で僕の頭を、右手でお尻を撫でてくれた。
その温かな手は、朝の痴漢でけがれた体を癒してくれるようだった。
「もう、夕貴。女の子らしくないところが、大きくなってるよ」
「ごめん」
昼休みが終わる5分前を知らせる予鈴のチャイムがなるまで、僕は葵に抱きしめられた
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