第15話 補習授業
テスト用紙を何回見ても、数学のテストの点数が38点という事実は当たり前だが変わらない。他の教科はなんとか乗り切ったが、人生初めての40点以下の赤点をとってしまった。
苦手な化学や古文に力を入れすぎた分、どうにかなりそうな数学が疎かになってしまった。
「そんなに落ち込まなくていいわよ。2科目までなら補習受ければいいだけだし」
葵が肩を叩きながら励ましてくれるが、赤点のショックは簡単には回復しない。
前の学校では赤点とは無縁で、むしろ上位の方にいたのに、この学校では落ちこぼれとなってしまった事実が受け入れられない。
「まあ、仕方ないよ。転校してきて前の学校では習っていないところだったし。次は大丈夫だよ」
桜ノ宮は中高一貫ということもあり授業の進度が早く、授業内容は前の学校と比べて半年以上先をいっていた。
「教えてあげるからさ、期末は頑張ろうよ。そうだ、今度の日曜日、気分転換かねて遊びに行こ。行ってみたかったカフェあるんだ」
僕の背中をたたきながら、葵は励ましてくれた。こんな状況になったのも葵のせいだが、いま頼れるのは葵しかいないのも事実だ。
最初は憎たらしさしか感じなかった葵の笑顔が、最近では僕を癒してくれる。
放課後の補習授業が終わると、7時近くになっていた。
こんな時間に学校を出るのは初めてのことだ。完全下校の時刻が迫っている校門付近は、同じように補習授業を受けた生徒と部活が終わった生徒にぎわっていた。
これなら集団に紛れて男とバレずに駅まで帰れそうだ。転校して1か月ちょっと。誰かと一緒にいるときはいいが、未だに一人だとまだ男とバレないか不安だ。
女子高生の集団の中に紛れると、周りの人もその中に一人だけ男が紛れているとは想像もしないので、とくにすれ違う人から変な注目を浴びることもない。
いつになく安心した気持ちで駅に着いたとき、ルーズリーフを切らしていることを思い出した。
確か駅ビルに100円ショップがあったはず。そう思いながら、エスカレーターで駅ビルの2階へと上がった。
思った通り駅ビルの2階に100円ショップがあった。
お店に入り文具コーナーを探してみて回る途中、化粧品コーナーの前を通りかかった。
今まで化粧品に興味がなかっただけに気付かなかったけど、100円ショップに化粧品あることに初めて気づいた。
この前葵の家でメイクをしらったことを思い出しながら、ピンク色のリップを一つ手に取った。
100円なら僕のお小遣いでも買える。そう思うと、急に欲しくなってきた。でも、種類がいっぱいありすぎて、化粧品の知識がない僕にはどれを買ったらいいかわからない。
日曜日葵と遊びに行ったときに相談しよう、そう思いながら手に持っていたリップを棚に戻した。
「下野さん、何してるの?」
急に声を掛けられてびっくりして、振り返ると右田さんがいた。
「あっ、いや、化粧品って100円ショップにもあるんだなと思って」
「そういえばコスメ持ってないって言ってたね。初めてなら100円ショップでもいいかもね。高いのは慣れてから買えばいいし」
「そうだね」
「買っちゃいなよ。日曜日、葵と遊びに行くんでしょ。葵から聞いたよ。メイクしていったら、葵喜ぶよ。選ぶの私も手伝ってあげるから、買おうよ」
部活帰りにもかかわらずハイテンションな右田さんに押し切られて、化粧品選びが始まった。
「下野さんのは肌感だと、これかな?こっちでもいいかも?リキッドよりもパウダーかな?」
右田さんはファンデーションやチークなど次々に手に取り楽しそうに選んでは、買い物かごに入れていった。
「ところで下野さん、葵は仲いいけどどんな関係なの?」
「単なる幼馴染だよ。小学生の時、僕が女の子になりたいってのを覚えていてくれたみたい」
トランスジェンダーという設定が崩れないように、話をあわせた。
「そうなんだ。その割には、いつも手つないでるし、抱き着いたりもしてるし、仲いいから付き合ってるのかと思った」
「付き合ってる?僕と葵が?女の子同士でしょ。それに手をつなぐくらいみんなしてるよね」
「よっぽど仲良くないと学校で手つないで歩かないよ。それに、女の子同士でも恋愛するよ。下野さんも、もともとは男子なんだし、葵と付き合ったら案外うまくいくかもよ」
葵と付き合う。思いがけない展開に、頭がついていかない。買った化粧品がいっぱいにつまったビニール袋を手に下げ、頭の中を整理しながら家路へとついた。
無理やり女子高に転校させたり、抱き着いてきたり、ひょっとして葵は僕のこと好きなのか?
思い返せば、小学生のころ、叩いたり意地悪したりしてきたのは、愛情の裏返しだったのか?
そんなことをずっと考えていると、いつの間にか家についていた。
「おっ、夕貴。お帰り」
家に帰ると父親が上機嫌にビールを飲んでいた。
以前は4Lの安ウイスキーをやけ気味に飲んでいたのとは大違いだ。
そんな父を横目に自分の部屋に行き、スカートのプリーツにしわが付かないように制服から部屋着に着替え、リビングに戻った。
「今日は遅かったね。お腹すいたでしょ」
「ちょっと、補習授業があってね」
「そう、勉強頑張りなさいよ。工場も持ち直してきて、大学に行けるんだから」
温めなおしてもらった肉じゃがを口に運ぶ。以前なら豚肉だったが、今日は牛肉だ。ちょっとずつ暮らしが良くなってきている。
ご飯を食べ終わり、部屋へと戻ってビニール袋から化粧品を取り出し机の上に並べた。
メイクってどうやるんだろう。まあ、どうにかなるだろう。まずは下地からだったなと、下地用のクリームを塗り始めた。
数分後、その考えは甘かったことに気付かされた。どうやっても、この前葵にやってもらっていたようにはならない。
眉毛は左右対称にならないし、マスカラはダマになってしまう。チークも薄いと思って濃くしたら、アンパンマンみたいになってしまった。
鏡にうつる自分の姿をみて、絶望的な気持ちになっていると突然ドアが開いた。
「夕貴、そういえば頂き物のシュークリームがあったんだった。食べる?って何その顔?」
母は手に持った皿からシュークリームが落ちそうな勢いで笑い始めた。
「ごめん、ごめん」
「ひどいよ、お母さん」
「まあ、夕貴もメイクに興味をもつ年頃になったんだね。お母さんも初めてメイクしたのは高校生の時だったよ。いつも嫌気がさしていたのっぺりした顔が、女優さんみたいに輝いてみえて、ほんと化粧って化けるだなって思った」
母は思い出話をしながら、僕のメイクを直してくれた。
「チークはね、この位置から少しずつぼかしながら塗るの。そしたらアンパンマンみたいにならないから。眉もね、眉頭と眉山の眉尻の位置を決めてから塗れば、左右揃うからね」
母にメイクを教わっていると、息子じゃなくて娘になったような気持ちになる。
「お母さんね、本当は女の子が欲しかったんだ。女の子が生まれたら、こんな風にお化粧教えたり、一緒に買い物行ったりしたかったの」
母も同じようなことを思っていたようだ。工場も持ち直して父も喜んでいるし、女の子になったことで母も喜んでいる。
「ほら、できたよ。あとは、自分で練習してみて、わからなかったら聞いてね」
その晩、母に習ったこと思い出し、スマホの動画も参考にしながらメイクの練習を続けた。
日曜日、メイクしていったら葵は喜んでくれるかな?練習しながら、ずっと葵のことばかりを考えていた。
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