第14話 メイクの魔力

「ようこそ」


 玄関をあけると中年の女性が迎え入れてくれた。葵の母親にしては、あまり葵と似ていない。


「お邪魔します」


 右田さんも佐野さんもやはり育ちがいいこともあり、玄関から上がるときちんと靴をそろえた。僕もそれに習って靴を並べた。

 遠慮がちに最後を歩いていてよかった。先頭だったら、間違いなく靴なんて揃えないところだった。


「三田さん、お母さんは?」

「奥様は、ご主人様とお出かけです。夕方には戻ると言っていました」

「そう、三田さん。あとでみんなに飲み物お願いね。私はアイスコーヒーだけど、みんな何がいい?」


 どうやら中年の女性は、家政婦のようだ。家政婦なんてドラマの世界だけかと思っていた。


「私、ミルクティーがいいです」

「茶葉はいかがしましょう。アッサム、ダージリン、ウバがあります。あと、アイスとホットはどうします?」

「じゃ、ダージリンのアイスでお願いします」

「私、ハーブティーがいいんですけど、カモミールあります?あったらホットでお願いします」


 ダージリン?カモミール?右田さんと佐野さんが魔法の呪文を唱えるかのように、耳慣れない単語を口にしている。

 飲み物なんて、コーヒーと緑茶と麦茶しか知らない。

 コーヒーと緑茶は苦いから好きではないし、でも麦茶と言える雰囲気ではない。


「夕貴はどうする?」


 葵が催促するかのように聞いてきた。


「コーヒー牛乳、お願いします」


 言った途端、3人から笑い声が漏れた。


「夕貴、マジうける」

「下野さんって時々面白いよね。この前もキッシュのこと、卵焼きって言ってたし」


 笑っている3人をよそに、三田さんは「カフェオレでよろしいでしょうか?」と事務的に確認した後、キッチンの方へと去っていった。


「私の部屋、2階だからこっちだよ」


 教室より広いリビングを横切り、階段を上って2階へと向かう。一番手前の部屋のドアを葵が開けた。

 この部屋も僕の家のリビングぐらいの広さがある。

 座っているクッションもフカフカで、座り心地がいい。

 僕の隣には葵が座り、テーブルの対面には右田さんと佐野さんが座っている。


「葵、この問題どうやって解くの?」

「すくなくとも一つは正の解を持つだから、解を持たない場合と、解が1つでゼロの場合と、2つとも負の解の場合を求めるの。まずは、判別式で解がある範囲を求めて……」

「葵、この英作文あってる?」

「間違いじゃないけど、『私は明日銀行に行くことにしている』だから、もともと決まっていた予定だから、『will』ではなくて、『be going to』の方がしっくりくるかな」


 全国模試で1位になったことがある葵は、右田さんと佐野さんの質問にも的確に答えていく。


「葵、この問題どうやって解くの?」


 僕も苦手な化学の問題を葵に聞いてみた。


「どれどれ」

「この問題だけど、ボイル・シャルルの法則使うのは分かるけど、どうしたらいいの?」

「物質量は一定だから、それを使って方程式を組み立てて……」


 葵が僕のノートに式を書いていく。自ずと距離が縮まり、肩が触れ合っている。真剣に教えてくれる葵の横顔が凛々しく感じる。

 性格はともかく、顔はアイドル並みにかわいい葵。そんな葵と距離感ゼロで接していると思うと、ドキドキしてしまう。


「こんな感じで式を変形させて後は計算するだけ、この後はできるでしょ?」

「うん」

「じゃ、もう1回自分で最初から解いてみて。勉強は繰り返しが大事だからね」


 そう言って葵は離れていった。名残惜しさと肩に残る葵の体温を感じながら、僕は計算を始めた。


 ノックの音がして、サンドイッチをもった三田さんが部屋に入ってきた。


「お昼ごはんお持ちしました」

「三田さん、ありがとう」


 勉強に集中していて気付かなかったが、時間は1時近くになろうとしていた。美味しそうなサンドイッチを見ると、急にお腹がすいてきた。


「いただきます。う~ん、美味しい」

「そうでしょ、三田さんの料理なんでも美味しいのよ」

「うん、この卵サンドも美味しい」


 4人ともしばし勉強のことは忘れて、三田さんお手製のサンドイッチを食べた。美味しい食事に自然と会話も弾む。


「ところで、夕貴はメイクしないの?」


 改めてみると3人ともメイクをしていた。スポーティーな服装の右田さんも、眉や唇に薄いながらもメイクをしている。

 それに気づくと、すっぴんな自分が急に恥ずかしくなってくる。


「だって、メイク用品もってないから」

「高校生なんだから、メイクぐらいしないとね。今は小学生だってしてるよ」

「小学生!?小学生でもメイクするの?」

「早い子はするよ。学校にはしてこないけど、私も中学生のころから休みの日はメイクしてるよ。茜は、いつから?」

「私は高校に入ってから。お母さんがそろそろメイクも覚えておきなさいって」


 メイクなんて大人になってからするものを思っていたが、意外と学生のうちからすることに驚いた。


「夕貴もメイクしなよ。今のうちから練習しておかないと、大学にいったときに困るよ」


 葵は当たり前のように言うが、大学に行ったときに困るよって、高校卒業しても僕は女の子のままなの?

 でも、高校生は女の子として過ごすのが決まっているので、メイクにも興味がわいてきた。


「そうだ、ちょっと待っててね」


 サンドイッチを食べ終えた葵はいったん部屋を出て行って、手にポーチをもって戻ってきた。

 食べ終えたお皿をお盆に移してテーブルを片づけた後、葵はポーチの中に入っていたメイク道具を取り出し始めた。

 メイク用品なんて、ファンデーションと口紅ぐらいしか知らなかったが、名前もしらないメイク用品がいっぱい並んでいる。


「まずは、下地からね」

「何するの?」

「何するって、メイクするにきまってるでしょ。ほら、ここに座って、ちょっと目を閉じててね」


 目を閉じると葵は僕の顔にメイクを始めた。下地を丁寧に塗っていく。数分後ようやく終わったかと思うと、また違うクリームを塗り始めた。


「葵、何種類塗るの?」

「今のは下地。今度はコンシーラ。髭の痕を消さないとね。そのあとファンデ」


 説明されてもよくわからないが、出来上がるまで何工程もあるようだ。


「ちょっと、怖いって」

「ほら、動かないで。そのまま目閉じないでよ」


 目の近くにアイライナーが近づいてくるのが怖くて目を閉じてしまいそうになるが、目を閉じるたびに葵に怒られてしまう。

 そんな僕と葵のやり取りを、右田さんと佐野さんは微笑ましく見ている。


「まあ、こんなものかな」


 ようやくメイクを終えた、葵は満足そうに僕の顔を眺めている。


「葵、メイク上手」

「かわいい!」


 右田さんと、佐野さんが褒め、葵が誇らしげな表情をしている。僕も出来上がりが気になってしまう。


「ほら、夕貴もみてごらん」


 葵から手鏡を渡されると、そこには自分のようで自分ではない顔が映っていた。

 男っぽさが消え、チークやリップのピンクが女の子っぽさを与えてくれる。


「夕貴も気に入ってもらえたようね」


 葵に声を掛けられて我に返った。鏡の中の自分に見惚れていてしまっていた。


「うちの学校って、メイクOKだから学校にメイクしてきてもいいよ」

「えっ、そうなの?」

「みんな面倒だからしてこないだけで、メイク禁止はされてないよ」


 メイクすれば通学中男とバレずにすむのもあるし、なにより鏡の中のかわいい自分に毎日になりたい。

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