第3章 艦隊現存主義 1
開戦から2時間後、国境警備艦隊司令官ロバーツ中将の執務室に同参謀長のネーグル少将、国境警備艦隊唯一の戦艦戦隊である第78戦隊指揮官のイノウエ少将が集まり非公式のミーティングを行っていた。ミーティングスペースの円卓にはロバーツ中将の副官ボレト大尉が用意したものの、顧みられることなく放置されている3杯のコーヒーが鎮座していた。
イノウエ少将は混血が進み各人種の特徴が薄れているこの時代の人間にしては珍しくモンゴロイドの遺伝形質を色濃く残した顔立ちだった。その一見無表情にも見える顔にそれと判るほど苛立ちの色を浮かべていた。
「艦隊現存主義ですか」
ロバーツ中将は円卓のフローティングディスプレイに兵站部と作戦部が作成した艦隊の集結状況と避難作業の進行状況を表示した。先ほどの全体会議からまだ数時間しか経過していない現在ではステータスは殆ど変化していない。
「そうだ。貴官も知っての通り、我が国境警備艦隊はまだ集結していない艦を含めても約1000隻の艦を保有しているに過ぎない。しかも、任務の性質上小型艦が多い。連合の侵攻艦隊と比べて質的にも数的にも劣勢は覆いがたい」
正確には辺境星域の各星系国家が保有している星系軍の艦艇も非常事態宣言以降は国境警備艦隊の指揮下に入ることになっているため、もう200隻程度が加わるはずだが、戦力としてはあまり期待できなかった。予算に余裕のない開発途上の星系国家が多く、殆どの場合、オアフ級フリゲート艦やナイル級駆逐艦を1個隊(8隻)保有している程度で、比較的予算に余裕のある国がようやくエベレスト級軽巡航艦数隻を保有していた。辺境星域の星系国家でジャカルタ級やアル・コバール級の重巡航艦を保有している国はなかった。
しかも民間人退避の護衛が最優先となっており、護衛が終わるまでは合流はできなかった。
ネーグル少将が話を引き取る。
「作戦部で様々にパラーメータを変化させてシミュレートしてみましたが、やはりどうしても打たれ弱く、決戦を強要されれば第11艦隊の来援まで持ちこたえることは不可能と言わざるを得ません」
イノウエ少将がソファにもたれ腕組みして天井を仰ぎ考え込んだ。数秒後、姿勢を戻すと口を開いた。
「確かに、決戦を避ける艦隊現存主義が唯一の現実解でしょう。しかし司令官、国境警備艦隊がクルマルク星系にいるというだけでは、いささかインパクトが弱いのではありませんか」
「イノウエ少将、言いたいことは判る。国境警備艦隊の編成は公開されているし、おそらく連合は恐れるに足らずと考えているだろう。だが、そこが我々の付け目になる。参謀長?」
「主力との決戦は論外です。代わりに分進している別働隊を狙います。辺境星域外縁部で早い段階に局所的優位を形成して打撃を与えれば我々が無視できない脅威であると示すことができるものと考えます」
イノウエ少将は今はじめて気がついたかのように円卓からコーヒーを取り、口に含んだ。保温機能のおかげでコーヒーは冷めてきているものの、何とかまだ飲み頃の範囲と言って良いくらいの温度だった。
「それによって、敵本隊の行動が慎重になることを狙うというわけですか。確かにそれしか打てる手はないでしょう。しかし、問題はどこで連合を捕捉できるかですね」
繰り返しになるが一回の転移で最大5光年を移動する艦隊を恒星間宇宙で捕捉するのは極めて困難だった。よほどの僥倖に恵まれるか、資源を大量に投入すれば捕捉できることもあるかもしれないが、索敵に投入できるような資源はないし僥倖を当てにして作戦の立案はできなかった。
「辺境星域外縁部の星系に現れたところを捕捉するしかないでしょう」
ネーグル少将がディスプレイに辺境星域の星図の中立宙域に近いエリアを拡大表示した。星図に表示された星系は3種類に分けられていた。一つ目は最も少ないグリーン。中立宙域に近い辺境星域外縁部では星系国家として自立している星系が少ないためだ。
「星系国家として自立している星系は標位システムを展開しているので、そのデータを使うことができます」
星系国家として認められるためには領宙標識、系内航路標識としての標位システムの展開が必須だからだ。
次が黄色。無人や少数の管理者がいるだけのプラント船がいる鉱山星系や入植途中の星系だ。
「鉱山星系や入植中の星系ではプラント船やコロニー船がいる間は船のセンサーがある程度は使えますが、これらの船も順次撤収するので実質的にはセンサーがないのとと変わりません」
最も多いのが赤。恒星の状態が不安定だったり連星系で惑星の軌道が安定していなかったりと入植や開発には不向きな星系だ。その上、辺境星域は星政学的なリスクも高いため手つかずのまま放置されている場合が多かった。
「それ以外の星系に至ってはそれすらありません」
現状の辺境星域外縁部の索敵態勢は穴だらけということだ。緊張状態にあった国境の体制として問題なのは間違いないが、これまでは曲がりなりにも平時だったこともあり、予算上の制約はどうしようもなかった。
「ただこれらの星系の内、恒星の状態が原因で赤分類になっている星系は連合も侵攻後の連絡線の中継点としては除外するでしょう。ですので、黄分類の星系と赤分類の中でも比較的安定している星系に、哨戒装備のままのフリゲートを展開して索敵にあたらせます」
艦隊がそれらの星系に現れると彼らが考えるのは当然だった。艦隊が侵攻するだけなら大量の補給艦を連れていけばある程度、どこの星系にも立ち寄らず行動可能だ。だが、もちろん補給艦の補給品にも限界があるため、後方の策源からの補給を受けてもいずれは星系に立ち寄る必要が出てくる。後方から補給するには重量があったり、かさばったりするため艦隊に随伴する工作艦が現地生産しなければならない部品が出てくるからだ。
さらに推進剤も全て後方から運んでいたのではとんでもない数のタンカーが必要になるため艦隊随伴のタンカーがガスジャイアントなどから資源を採集して生産することが広く行われていた。
工作艦が部品を現地生産するための資源やタンカーが推進剤を生産するための資源は星系国家、植民星系、鉱山星系であれば手つかずの星系とは違って、放棄されていても採取した形跡が見つかりやすく、資源採取が容易だった。
さらに侵攻時にこのような資源採取の容易で恒星が安定した星系を辿って侵攻すれば、そのまま後の連絡線の中継点、補給拠点として使うことができる。
「ああ、それで司令部に帰投予定のフリゲートが少なかったのですか」
「はい。発見を優先すべきとの判断です」
「発見でき次第、局所的優位を形成し、連合の艦隊を叩く必要がある。そのために軽巡航艦以上の艦を中心に不足分は駆逐艦、フリゲート艦を充当し600隻あまりを抽出、任務部隊を編成する」
残されるのは駆逐艦やフリゲート艦ばかりとなる。
「イノウエ少将、貴官にはこの任務部隊を預ける。これをもってウッタラカンド星系へ進出。敵別働隊を捕捉、撃滅してもらいたい」
「微力を尽くします」
4時間後、正式な命令の発令を受けてイノウエ少将は国境警備艦隊第1任務部隊指揮官の任に就いた。各戦隊、駆逐隊、フリゲート隊指揮官とオンラインミーティングを行ったがこれは形式的なものだった。平時の軍隊では将校の世界は意外と狭く、殆どの指揮官とはかつて何らか形で関わったことがあったからだ。
翌日未明、第1任務部隊は連邦軍根拠地がある辺境星域外縁部の星系国家ウッタラカンドに進出した。この星系の民間人30万人の退避はほぼ終わっており、この星系にいるのは軍人だけと言っていいくらいだ。ウッタラカンド3F/3Bのコロニー群は無人でスリープ状態にあり、連邦軍と契約した工場コロニーだけが操業を続けていた。
第1任務部隊は根拠地のシンカーも使って敵艦隊が現れる可能性のある全ての星系への転移プロシージャを作成しストアした。哨戒中だったため遅れてウッタラカンド星系に到着した軽巡航艦も編成に加え、出撃に備えた。
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