第2章 開戦 1

 フリゲート艦マルタが放出した通信ポッドは搭載したパッシブセンサーに連合の軽巡航艦ペドロ・ベレスと犯罪組織の船と考えられていた武装船の反応がなくなるのを待っていた。2隻が転移して去ると、通信ポッドは連邦国境警備艦隊司令部に戦闘ログと、放出後のパッシブセンサーで得た情報を暗号圧縮し超空間通信で送信した後、自己初期化した上で回路を焼き切り機能を停止した。


 辺境星域の治安維持、中立宙域の共同航路警備、連合に対する警戒を任務とする連邦宇宙軍国境警備艦隊司令部は辺境星域エリア54012U12連邦直轄星系であるクルマルク星系のハビタブルゾーンに存在する第4惑星の静止衛星軌道上に設置されていた。

「司令官」

 副官のボレト大尉がコム(構内通信システム)から話しかけてきた。声の感じからして何かあったらしい。 司令官公室で朝食を摂ろうとしていた国境警備艦隊司令官イリーナ・ロバーツ中将は手を止めた。彼女の身長は189センチ。形の良い眉をまとったアーモンド型の目に薄茶色の瞳、規定通りに短く刈り込んだブルネットの髪。昨今の平均寿命からしても初老と言って良いほどの年齢だが、今でも柔軟な思考と心身の健康を維持している。

「なんだ?」

「ランク2Aの緊急事態が発生しました。本0428時、中立宙域で我が方のフリゲート艦が連合の軽巡に撃破されました」

「なに? どういうことだ」

 彼女は形の良い眉をひそめた。フリゲート艦が連合の軽巡に撃破された? 確かに両国の関係はお世辞にも友好国とは言えない程度の関係だが、戦争状態ではない。訝りながらも緊急事態発生時の規程に従い仮想ミーティングルームに入った。

「撃破されたのは中立宙域共同警備本部の指揮下で共用航路の警備に当たっていたフリゲート艦マルタです。これはマルタの通信ポッドからの通信に添付された戦術システムのログをもとに構成した状況です」

 やはり通信ポッドからの通報か。通信ポッドは搭載したセンサーで周囲の安全が確認できるまでは通信を控えていたはずだ。2時間ちかい遅れはそれが原因だろう。

 ボレト大尉が喋っている間にも国境警備艦隊司令部に属する各参謀、副官が続々とミーティングルームに入室してくる。とは言え、彼らの物理的な所在は国境警備艦隊司令部内とは限らない。4F(第4惑星前方トロヤ点)や4B(第4惑星後方トロヤ点)のコロニー群やそこへ移動中の通船の中など様々だった。

 彼らの眼前にログから再構成されたフリゲート艦マルタがキロヴォグラート号の救難信号を受信し救援に駆けつけ、連合の軽巡航艦ペドロ・ベレスに撃破されるまでの要約された状況が表示された。

「SSISの偽装だと? 犯罪組織がか?」

「連合の軽巡はベリサリオ少佐の抗議を無視して砲火を浴びせていますよ」

「ああ。彼女の言うとおり普通なら共同警備本部の審判に付託されるべき事案だ」

「連合の謀略か?」

「何の目的で? 意味がわからん」

 ミーティング内がにわかにざわめいた。

「諸君」

 ロバーツ中将が口を開くと静粛が訪れた。

「理由はどうあれ、我が方のフリゲート艦が公務執行中に撃破された事実は変わらない。直ちに私の名前で宇宙軍総司令部に急報。国境警備艦隊はこれより警戒レベル2の体制とする」

「アイ・アイ・サー」

「連合の出方によっては事態がどう転ぶか判らない。勇み足との誹りを受けるかもしれないが国境警備艦隊司令官として命じます。各自、現状で可能な緊急対処計画の発動準備を進めなさい。以上だ」

 国境警備艦隊司令部は直ちにロバーツ中将名で連邦宇宙軍総司令官スヴェラーク元帥に急報。同時に麾下の全艦艇、根拠地、辺境星域の各星系軍に対し警戒態勢に入ることを命じ、休暇の取り消し、緊急性の低い整備計画の延期、備蓄弾薬やメンテナンス部品の点検がはじまった。同時に「非公式」の情報として、開拓星系やプラントの警備業務を請け負っている民間軍事会社に警戒と万一に対する備えを呼びかけた。


 連邦宇宙軍制服組のトップであるスヴェラーク元帥はフリゲート艦マルタが中立宙域内で連合の攻撃を受けて撃破されたとの連絡を受けると、全ての予定をキャンセル。シフィデルスキ連邦宇宙軍長官に緊急事態発生を告げ、同時に全連邦軍に対し、緊急対処計画の発動準備に入るよう命じた。ちなみに連邦に国防長官、国防大臣、防衛大臣などと呼ばれる閣僚はいない。連邦の軍はすべて連邦宇宙軍に統合されており文民の宇宙軍長官が実質的な国防を所管する閣僚となっている。

 シフィデルスキ長官は直ちに連邦プラバカール主席に急報。プラバカール主席は緊急の秘密閣議を召集した。


 閣議でシフィデルスキ長官はマルタの通信ポッドが送ってきた戦闘ログを元に今回の事案でのマルタの対応には瑕疵はないと指摘した。連邦はもちろん連合でも軍用レベルのECM(Electric Countermeasure:電子対抗手段)は高度な機密となっており犯罪組織が入手するのは事実上、不可能だ。犯罪組織がよくやっているSSIS(Space Ship Indication System:宇宙船舶位置情報システム)自体を無効かするのと今回の事案のように偽装するのとでは天地ほどの技術的難易度の差があると指摘した。さらに一犯罪組織が軍用レベルのECMを使用したSSISの偽装を行ってフリゲート艦をおびき寄せて攻撃するメリットがない。タイミング良く駆けつける事ができるポジションに連合の軽巡航艦がいた点から見ても連合が何らかの政治的意図を持って行ったものと考えるべきだろう。連合の意図までは現時点では判らないが中立宙域共同警備条約を逸脱した今回の一方的な攻撃に対しては連合こそ非難されるべきであると主張し、不測の事態に備えて緊急対処計画に基づく艦隊の事前展開を開始することの了承を求めた。

 これに対しゴメス国務長官はすでに連合のトゥラートリ駐連邦大使から会談の申し入れがありおそらくこの件で激しい抗議を受けるだろうとの見通しを示した。彼らの意図が何であれ、連合に非はなく連邦に非があると言い立てるであろう事は想像に難くなかった。

 プラバカール主席は事態の収拾を図りたい考えだったが、そのために大幅な譲歩をする気はなかった。まだ人類が地球という一つの惑星の上で生活していた頃から外交において悪手として知られている宥和政策を執るつもりはなかった。なぜなら宥和政策は事態の一時的な小康状態を作ることはできても、根本的な解決にはならず、味を占めた相手の増長を招きかえって状況を悪化させるからだ。人類の歴史にはその実績が山ほどあった。

 閣議では以下のように対応することが決まった。

1.フリゲート艦マルタが連合の民間船を攻撃したのはあくまで中立宙域共同警備条約に基づく治安維持活動中の事故であり、意図的なものではないことを強調する。

2.犯罪組織のものと思われる武装船がSSISの偽装を行ったことが直接の原因であることを強調する。犯罪組織がなぜSSISの偽装を行うことができたのかについての調査を共同警備本部も交えた三者で行うことを連合に提案する。

3.今回の件で犠牲となった連合の民間船舶キロヴォグラート号の乗員、およびその遺族に深く哀悼の意を表するとともに弔慰金を供する。

4.キロヴォグラート号が受けた物的な損害については保険評価額通りの補償を行う。

5.連邦宇宙軍は緊急対処計画に基づき艦隊の予備展開をおこなう。

 閣議後、シフィデルスキ連邦宇宙軍長官はスヴェラーク元帥に対し、緊急対処計画発動準備に入ることを正式に命じた。

 ゴメス国務長官はこの決定をパラカ駐連合連邦大使に伝達、連合内での対応にあたることを訓令した。


 閣議後、国務省に連合のトゥラートリ駐連邦大使を迎えたゴメス国務長官は、彼の予想通り激しい抗議を受けた。

「我が星系連合政府は中立宙域第3共用航路において発生した連邦軍フリゲート艦による我が国の民間船舶襲撃事件についてもっとも強い態度で抗議する。

 犯罪組織の艦船に対する摘発に名を借りて行われた我が国の民間船舶に対する今回の不当且つ残忍な攻撃は到底容認できない。

 今回の襲撃事件により今後、引き起こされるすべての結果に対する責任は連邦が負うことになる」

 ゴメス国務長官は今回の事案はあくまで事故であり、決して意図的な攻撃ではないと反論し、犠牲者に対する弔慰金を供すること、キロヴォグラート号の物的な損害に対しても補償することを申し入れ、SSISの偽装についての共同調査を提案したが大使の反応は冷淡だった。連邦の対応は事実を隠すための欺瞞であるとの立場だった。そのため、国務長官が求めた連合外相との会談もその時期ではないとの理由で拒否された。


 翌23日、改めてトゥラートリ大使を招致したゴメス国務長官は再度の激しい抗議の後、大使から宣戦布告文書を手交され、絶句した。

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