第2話 かどわかし

 ごめん、今日無理になった。

 姉からの電話で起こされた。姪っ子が熱を出したという。

「いいよ。粗大ごみなら、一人で行って置いてくる」

「いや、だって、市の収集所は一応市民じゃないと利用できないようになってるから。明日にしよ」

「言わなきゃわかんないと思うけど。……まあ、姉ちゃんがそういうなら。今日は草むしりでもしてるわ」

 ちょうどいい、ゴミ袋ならたくさんある。




 45リットルビニール袋は、すぐに草でいっぱいになった。

 日差しが暑い。額から背中にまで汗が流れている。

 こんにちはと声をかけられ、顔を上げた。大きな帽子をかぶったおばさんが訝し気な表情をしている。おばさんは、姉の名前を出す。

「姉は今日来ないんです」

 姉と、口にしたことで、おばさんにこの家の息子だと認識された。

 母の件を、大変ねと言った後、この家どうなっちゃうのと好奇心を覗かせる。苦笑しながら、まだ何とも言えませんと答えるしかなかった。


「裏の家も、誰も居なくなっちゃって。かわいそうだったわね」

 汗でてらてらとしたおばさんは、探るような目付きでこちらの顔を覗き込んでくる。 

「かどわかし」

 すぐにあいづちが出なかった。一瞬、意味が取れなくなる。

「あら、これ昔の言葉かしら」

「いえ、分かります。誘拐ってことですよね」


「まあ、そんな感じかしらね。裏なのに、あの事件のこと知らないの? まあ、あなたの年じゃあね。……近くにA川に降りれる川原があるでしょ。そこからあがる草むらから、失踪した時の白いブラウスとお骨が出て来たのよ。娘さんの」

「は?」

「だから裏のお家。まだ若かった娘さん行方不明になって。警察もたくさん出てたみたいだけど。旦那さんを亡くしてからも、奥さんずっと帰りを待ってたのにね。犯人も見つからず、ただお骨になってたんだよ」




 記憶にあるのは、お婆さんの一人暮らしだった。

 旦那さんや、家族が居たっておかしくはないが。覚えていない。

 娘さんがいたのか。

 夜中見たのは、どちらだったんだろう。その当時、そのままの姿で現れたとしたら娘さんか。

 

 無意識にも夜を待ちわびて、裏窓をのぞいた。姿が見えたのは、日が暮れて真夜中に近い時間だった。

 昨日と同じ縁側で、すらりとした足をのばしている。青白い暗い光が、内側からほのかに輪郭をなぞっていた。

 月の周りの雲が千切れ、虫の音が聞こえる。彼女を形どるものが、ぶれる。


 庭先を向いて、うつむくような姿勢。ときおり首をかしげる仕草。その先には影となって、奔放にゆれる草花があった。

 白い指先が、縁側のふちを撫でる。丁寧に、古びて欠けた形を愛でるようになぞっている。

 ふいに、何かに気が付いたように細い肩が身じろいだ。

 ぎくりとした。

 彼女が顔を上げようとする。迷いながらも、結局は窓から動けなかった。

 ゆっくりと、見上げる動作。

 息をのむ。彼女の顔のある所は、黒く塗りつぶされていた。

 青白い人がこの窓を見上げている。

 あの暗がりの中に、目があるのだ。見えないのに吸い込まれるような、強い視線を感じた。

 椅子に座ったまま硬直したように、しばらくその場から動けなかった。

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