26.「これが、今の私」
「できたの!」
私は次の日、安藤に手紙を渡した。
最初は目を輝かせた安藤だったけど、私の表情を察して、怪訝な顔をする。
私は安藤がどんな思いをするか承知のうえで言葉を絞り出した。
「……ごめん」
「え?」
「手紙、やっぱり書けない」
安藤が苦しそうに目元をゆがめる。
私は手紙を渡したのではなく、返したのだ。
「どうして……? なにがだめなの?」
私は息をゆっくりと吸い込んで、まっすぐに安藤を見上げた。
「好きだから、私も。隼人のこと。……ずっと、好きだったから。だから、ごめん」
「青木さん……」
私は力なく垂れさがる安藤の手を取って、手紙を持たせた。
「これ、返すね。安藤さんが書いた方が、絶対いい。私なんかに、任せる、よりっ……」
昨日流しきれなかった涙が、また零れ落ちた。最近泣いてばかりだ。
私はそのままどこへ行くかもわからないまま、走った。
とにかく、ここじゃないどこかへ、行ってしまいたかった。
「私、今週、町屋くんに渡すから……」
次の日の放課後、一人で課題をまとめていると、安藤が私の隣に座って言った。決意を秘めた声色だった。
私が黙っていると、安藤はもどかしそうな顔でしばらく私を見ていたけど、やっと諦めて去っていった。
「一応、言っておこうと思って。じゃあね」
摘みたての花みたいな、柔らかな甘い香りだけが残る。
「ねえ、安藤さんにとって、好きってなに」
私は、力のない声で、去り行く安藤の背中に問いかける。
「……自分の、恥ずかしいところも、嫌なところも、その人といると愛おしいと思えることだと思う」
その声に、迷いはなかった。
ああ、ほんものだ。と思った。彼女の隼人に対する想いは、ずっとずっと強い。
今度こそ、安藤は教室を出ていった。
移動教室から帰ってくると、机のなかに小さな紙が入っていた。それは丁寧に折られていて、広げると羽衣ちゃんらしい華奢でなめらかな字が小さくまとまっていた。
『大丈夫? サナちゃんも、ほんとは心配してるけど、素直になれないみたい。なにもできなくてごめんね、つらいよね。わたしでよければいつでも話聞くからね。
うい』
羽衣ちゃんの優しさが心にじんわり沁みた。でも、今はその優しさに甘えるわけにはいかないと思った。
いつもサナたちと過ごしていた放課後を持て余して、なんとなく初めて隼人とさぼった神社に来ていた。
二人で競い合ってよじのぼった、大きな樹。幹の部分にはぽっかりと穴が空いている。子どもの手なら伸ばせば中に入りそうな大きさだった。
二人で『神社のポスト』って呼んで、あちこちで見つけた宝物を大事にしまっていた。
もし一緒に遊べない日があっても、ここにプレゼントを入れておくと、次に片方が来た時に見つけることができる。
「なつかし……」
中を指先で探ると、河原で見つけた綺麗な石やキラキラ光るレアなカード、懐かしい感触が指をくすぐる。
手紙を書こうと思った。でも、やっぱり書けなかった。
私はみんなのようにすらすら気持ちを言葉にできない。
私がもたもたしている間に、みんなは勇気を出して手紙を渡した、届けた。
サナ、羽衣ちゃん、そして安藤。
気が付けばみんな一歩前に踏み出してずっと先にいる。
みんなの手紙に、気持ちに触れて、思った。
手紙って、自分の気持ちと向き合うことなんだ。
そして受け取るってことは、その人の気持ちごと受け止めてあげるってこと。
私は、小学生のあの時、ずっと自分の心の中に気持ちを閉じ込めたままだった。
おくる方も、受け取る方も、相応の覚悟が必要。
自分の心の中に、相手の気持ちが入り込むことを許してあげるってことだから。
私は、毎日いがみあう両親に、自分の気持ちを届けることを拒否していた。言っても、仕方ないことだと思って。
私は自分の気持ちを無視していた、だから苦しかった。
隼人は、お母さんがいなくなったことを、心のどこかでまだ認めたくなかったのだろう。でも、おじいちゃんとおばあちゃんに心配をかけたくなくて、大丈夫だっていうところを見せたくて、無理をしていた。
きっとあの時、まだ隼人の傷ついた柔らかい心は、お母さんの気持ちを受け入れる準備ができていなかったのかもしれない。
私は制服が汚れるのも構わず、思いきって木に登った。
昔よりもぐんと背が伸びたから、そのぶん視点が高く開けて、少し足がすくむ。
かつて二人の特等席だった場所によりかかると、湿った土の匂いと、かすかな葉の揺れる音が近くで感じられる。
汗がはりつく。目をつぶってじっとしていると、体がしっとりと冷たくなっていく。
ポケットから折りたたんだ紙を出す。
みんなみたいな便箋じゃない。何の変哲もない、メモ用紙。そこには私の文字で、私の気持ちが書かれてある。
好きってわかんない。
サナだって、羽衣ちゃんや安藤だって、それぞれの好きの形があるはずだ。
私の好きって、なんだろう。
紙を開いて、中の文字を見る。
改めて見ると、我ながらひどい出来だ。字だって、震えている。
でも、どれだけ言葉をかき集めても、ぴんとこなくて、最後に残った言葉はわずかだった。
これが、今の私だ。
安藤のように、はっきりとした理由なんてわからないし、ちっぽけな私を直視するようで恥ずかしいけど。
『私は、隼人のことが好き!』
私はメモを丁寧に折りたたむと、『神社のポスト』の穴に入れた。
一度奥に入れたら、もう取り出せない。
私の今の気持ちは、ここにしまっておこう。
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