9.「ありゃ惚れますわ」

 羽衣ちゃんの定期公演会は、私とサナ二人で行った。

「この演奏会が終わったら手紙渡すって言ってたね、羽衣ちゃん。わ~、どきどきするねおしず~!」

「うん……」

 実は私も緊張している。前回もそうだったけど、相手の気持ちを書くことでその人と一体化しているように感じるのだった。

 羽衣ちゃんの先輩に対する尊敬や憧れや、秘めた恋心が、私の中でひっそりと息をしていた。


「羽衣ちゃんどこだろう……」

「前から二列目だって」

 コンサートホールのステージに吹奏楽のメンバーが列をなして入場してきた。

 ひらがなの『し』の字みたいな形をしたサックスを首からつりさげた羽衣ちゃんがその中に混じっている。

 小柄な羽衣ちゃんには少し大きく感じられたけど、彼女はしっかりと楽器を相棒みたいに従えていて、その姿はかなり様になっていた。歴戦の戦士のようだ。

 私はサナと顔を見合わせて、小さく歓声を上げる。


「かっこいい」

「羽衣ちゃん、めっちゃ似合うね~!」

 各々楽譜をセットしたり、座る位置を調整したり、演奏の準備をしている。

 広いホールの中に、観客の身じろぎやそうした前準備の音だけが、かすかに広がっている。独特の緊張感があった。

 

「あ、先輩さがさなきゃ」

 扇状に広がった部員の配置を端から追いながら、つぶやく。

 ざっと三十名くらいだろうか。やっぱり男子よりも女子の比率が多いなと感じる。まさに女の園……。

「そだそだ! サックスだから羽衣ちゃんの近くかな」

 サナは両手で望遠鏡の形を作って探していた。


「あ」

 私はすぐにわかった。

 会ったことも、見た目について聞いたわけでもないのに。

 そしてそれはその後確信に変わった。

 指揮者が構えると、楽器をかまえた部員たちが一斉に息を吸う。

 演奏が、始まった。


 何曲か演奏した後、アンコールは『宝島』という、思わず踊ってしまうような、にぎやかで気持ちの良い曲だった。サナなんか体を揺らしていた。

 羽衣ちゃんに言わせれば「吹奏楽をやっていてよかったと思える、最高に盛り上がる曲」らしい。


 曲の途中で、先輩がス、と立ち上がる。

 スタンドマイクが置いてあるステージの前に出てくると、見事なソロパートを奏で、会場に拍手の嵐を巻き起こした。

 音のひとつひとつがすべらかに流れて、それでいてぐいぐいと世界へ引っ張っていかれるような力強さのある演奏。

 その間、ずっと羽衣ちゃんは先輩に熱いまなざしを送っていた。それは、一分一秒たりとも先輩の姿を焼き付けて、見逃さないぞという執念すら感じさせた。


「もしかしてあの人?」

サナが口パクで聞いたので、私はしっかりとうなずいた。


「ありゃ惚れますわ、おしずさんよ」

「ね」

 盛大な拍手を贈りながら、私たちは肩を寄せ合った。

 腰まであるウェーブがかった長髪をひとつにまとめ、金色に輝く楽器を自在に操る姿は現代に舞い降りた天女のようだった。

「てか、ぼいんだったね。うらやま」

「サナ」

「へい」

 私にたしなめられてサナは下くちびるを出した。

「生で聴く音楽って、いいね」

「うん、めちゃ感動したし鳥肌立った」

 余韻に浸っていたかったので、私たちはしばらく玄関ホールのソファでぼうっとしていた。


「あ、いたいた~」

 うちらがぼけーっとしていると、ユニフォームのポロシャツ姿の羽衣ちゃんが頬を上気させながら走ってきた。

「あ、羽衣ちゃんお疲れ~! めっちゃよかった~」

 サナが羽衣ちゃんに抱きつく。遅れて、私も。

「お疲れさま。先輩のソロ、かっこよかったね」

「うん! 二人ともありがとう~」

 羽衣ちゃんのほっぺは、採れたての桃みたいにほんのりピンク色に輝いていた。


「それで、手紙の方は……?」

 私がドキドキしながら聞く。

「先輩にっ……渡せました!」

 羽衣ちゃんはピースして、満面の笑み。

「おお~」

 二人で拍手。


「書いてて胸がきゅってなる、羽衣ちゃんらしい、まっすぐな文章だったもん」

「よかったね、羽衣ちゃん」

 羽衣ちゃんは手紙のお返しに、先輩の書き込みがたくさん入った楽譜を譲り受けたらしい。きっと同じく楽器を吹く者としては分身のような大事なものであろうそれを、羽衣ちゃんはずっと抱きしめていた。

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