5-3 マジックアワー

 そしてオレたちは(丘の上からも見えていた)収穫直前の冬小麦が一面に広がる畑に降りて行き、その外れの高台に建つ、無数の製粉風車のうち一つを見上げていた。


「――うん、こいつで良さそうだ。良い感じにくたびれているし」

 まだ稼働前のようで、風車番も居ねーし。


 風車苔は、あの5メートル近い羽根の根元を中心にこびりついているはず。 

 

 さあて、どうやって取るかを考えてみるか――。

 ま、決まってる。石塔の高層にある石窓から壁を伝って、風車の基部までどうにかよじ登る。それしかなさそうだ。跳躍魔法で飛びつくには高すぎるし、足場を組むような資材も暇もないし。


 

「そうだね。じゃあさっそく――」

 バステナは『例の』ロープを鞄からずるずる取り出して、いそいそと身体に巻き付け始めていた。

「ちょ待て。お前が登るつもりなの?」

「え?何で?」

 いやほら、今日はもう充分働いて貰ったしさ。今度はオレが行こうと――。


「だって、これは楽しそうだしさっ」

 なるほど、煙とバカは高いとこが好――いやこれは言わない。


「それに」

 バステナは少し得意げに、こほん、と咳払いしてみせる。

「木登りは得意なんだよ。ダークフェアリーの里ではみんな基本的に樹上生活。飛べない私は普通に木登りしないとまともに暮らせなかったし……それに私の方が身軽。でしょ?」


 そうなの?そういうもんか。それもそうだな。じゃあ任せた。

 

「ちゃんとロープは固定するんだぞ。一応オレは下で待ってる」

「任せて任せて。じゃあ行ってきます!」

 行ってらっしゃい。



 程なく、風車の基部近くの石窓からひょこっと顔を出したバステナが、意気揚々、自信満々に身を乗り出して、とっかかりを頼りに、石壁を伝わりだした。


 その姿はまるで、壁に張り付いたトカゲ。

 青い三角帽がでけえ頭で、腰から石窓へ伸びるロープが尻尾な。

 本人がどう見えてると思っているか知らないが、こうして下から見上げてると、その両手両足をおっぴろげた姿はだいぶ滑稽だぞ。というかその三角帽、邪魔だろ……。


 ――そう言えばバステナが三角帽を脱いでいるところを見た記憶がないような気がしてきた。この間も被ったまま寝てやがったしな。……はッ。まさか角でも生えてるのか?それともてっぺんが見事にハゲてるのか。何にせよ、率先して見せたくないものだと言うのなら触れずにおくさ。


 くだらない感想を巡らせている間に、よじよじと壁を進むバステナは風車の基部へ取り付く。いい調子だ。そのまま羽根にこびりついた苔を引っぺがせばいい。


 しかし、風車に手を掛けたあたりからバステナの様子がおかしくなっていた。


 それもそのはず、普通の木とは違って風車は器械。スムーズに動作するための加工が為されている――つまり、つるっつるなのだ。


 『行く手』を見失ったバステナは明らかに狼狽して、何度も手を伸ばしては滑り、手を伸ばしては掴み損ね、を繰り返している。

 

「あはは、は……普通の木とはちょっと勝手が違うみたい」

「そらそうだろ!!無理せずに一旦引っ込め」

「大丈夫、いけるいけ――わぁっ!?」


 おいおい――あっ!何がいけるだ!

 まっさかさまになってんじゃねえか!

 辛うじて足だけで風車の基軸にぶら下がってる。その体勢から復帰できるだけの腹筋が果たしてバステナにあるのだろうか。


 まあ命綱はしているし、最悪の事態にはならないだろう――って、オイ!!


 俺は目を疑った。

 バステナが体勢を崩した拍子に、胴体にぐるぐる巻いているロープの反対側の端が、石窓からするーん!と飛び出してきたのだ。


 固定しろってのはちゃんと中の柱か何かに縛り付けろって意味だよ……。

 怒りも呆れも通り越した脱力感が一気に押し寄せてきたが、それも刹那。


「あわわわ、うぐぐぐ……!あっ」

 バステナが普通に落っこちてきた。


「このバカ!!」

 オレは落ちてきたバステナを普通に受け止める。


 いつものことではあるが、戦闘中でもあるまいに。完全が気が緩んでいたせいもあって。受け止めたところでオレも大きく体勢を崩し、地面に膝をついてしまった。


「……あー、びっくりした……!」

 こっちの台詞だ。

「いやあごめんね。ロープ、ちゃんと柱に結んだつもりだったんだけど……」

 

 オレの非難丸出しの目つきを悟ったのか、バステナが先んじて言い訳を。


「ったく。これだから目を離せないんだよ、お前は――」

 

 ……顔、近えな。

 『目を離せない』と言うのなら、今、まさにこの瞬間もそうだ。

  

 ――レオドラス?どうしたの――

 オレの名を不思議そうに呼ぶ声が少し遠くに聞こえる。


 黄昏が近づく空の下、夕金ゆうがねに染まる黄金の小麦畑のざわめきは優しく。

 抱き抱えた少女の、サファイアよりも青く澄んだ大きな瞳は一際美しく見えて。


 あれ、この状況でこの感じは……あれ?

 まあ、いいのかこれは。いいよな、たぶん。


 オレは、きょとんとしたままのバステナへ、顔をそっと寄せる――が。


 危機を直感したのか知らんが、バステナはそれよりも早く、見事に一瞬でオレを押しのけて、立ち上がっていた。


「………あ、あ、ありがと!うん、怪我はしてない。ごめんねホント、ドジで!」


 そんなに汚れてもない癖に、あからさまな動揺を誤魔化したいバステナが、土埃を払おうと装束をぱたぱたはたくと、ローブや鞄の隙間から、さっきの【チビゴミタンソクヤスデ】がぼろぼろと落ちてくる。君はそれ……ずっと服ん中に居たんですか。


「そ……それじゃあ、もっかい、登ってくる。今度は、ちゃんと、しっかり!結ぶから。大丈夫だから!」

 一語一語を強調するジェスチャーを混ぜながら、バステナは殆ど危険物から避難するかの如く、じりじりと後退っていった。


 ええぇ……そこまで拒否る感じ?

 お前もいい歳だろ。たかがキスくらいでそんな……そんなかぁ?


 ――しかし、参ったな。せっかくバステナが普段通りの振る舞いを取り戻したというのに、オレとしたことが黄金に染まって風にさざめく黄昏どきの小麦畑、だなんて良い感じの雰囲気に流されて。今度はまた別種の、奇妙な距離感が生まれてしまった気がする。


 このやりとりが今後の旅に何かしらの影響を及ぼすかどうかは判らないけども。


「よおっし!採れた!ほら見て見て。風車苔採れたよー!」

 今度こそ完璧に風車にしがみ付いたバステナが、こちらを見降ろしてぶんぶんと手を振っている。あぶね!また落ちるからよせって!


「いいからはよ戻れ!」

 石窓を指差し、別の意味の手信号を振り返したオレは、そのついでに、悶々とした想いを振り払ってもいた。うん……急にすまんかった。反省してるわ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る