4.05 エリクサー×パスファインダー

 アーベンクルトの王宮にほど近い商業区域、生産ギルドが密集する特区の裏通りに、名うての老霊薬士、デーナンの工房はあった。


 数多の弟子を抱える高名な老師であり、所有する店舗も立派――なんてことはない。質素倹約を旨とするあのジジイは身なりも居宅もクソ質素。一見すると古びた安宿かと見紛う程に、地味で安っぽい、木造の平屋だった。


 つい早朝まで、メサージオールの豪邸をたっぷり堪能してきたばかりなので、それだけに落差も増すってもんよ。


 ただ、知る人ぞ知るその製薬の腕は確か。エリクサーに一家言あるバステナもきっと気に入るはずだ。


 そんな彼の霊薬を求める者、教えを乞う者は後を立たず、今日も大勢の人だかりが――。


 ……にしてもちょっと多すぎない?

 

「すごく繁盛してる……デーナンさんってとても有名なんだね」

「いや、それにしては様子がおかしい――」


 店の前に屯し、ざわざわと騒ぐ野次馬に阻まれ、一歩も進めなくなったオレたちの耳に、すぐ前の二人組の男たちの会話が飛び込んできた。


「――ひでえ話だ。弟子連中どころか、妻子までやられたんだとよ。発見した見習いの話によると、死体はかなり――かなり惨たらしい状態だったらしい。全身が引き裂かれ、引き千切られたみたいで、室内は血の海だとか」

「マジか?しかしあのじいさんはまだしも、弟子連中の中には実力派の魔導士も居るはずだろ?犯人は一体どういう凄腕なんだ……」


「マジか」とオレも呻いた。


 オレの知る限り、ドラゴン用のエリクサーについての知識がありそうなのはあのジジイだけだったのに。いきなりプランが崩れやがったぞ、どうすんだこれ。


「参ったな。心当たりの中では一番有望だったんだが……」

「……あのさ、デーナンさんって知り合いだったんだよね?」

「ああ?そうだけど」

「殺されちゃったっていうのに、怒ったり悲しんだりしないんだね」

「……それはまた別の問題だろ。オレたちにはやるべきことがあるんだから」


 なんだその目つきは。さっき冷たくしたのを怒ってるのか?


「それはそうだけどさ……」

「ともかく、一度ここを離れて次の手を考えよう。野次馬がうるさすぎる。それに、そろそろ連中が――いや、いい。行くぞ」


 関係者の殺人となれば、アーベンクルトの上級警務機関……アーベンクルト騎士団が乗り出してくるはずだ。騎士団の中には顔なじみも大勢居る。あいつらにオレが帰ってきたことを知られるのは、今は好ましくない。特に灰狼かいろう騎士団の同僚に出くわしでもしたら――



「――やっぱり、レオドラス。久しぶりですね」

「あっ」


 頭をよぎった不安が即、的中。

 バステナを促して振り返ったところで、まさに出会いたくない人物の筆頭と、ばったり顔を合わせてしまった。


「髪がだいぶ伸びましたね。最後に話したのは二年前でしたっけ?戻ってくるのなら連絡くらい寄越してくれればいいのに」

「……そういうお前は、ひとっつも背が伸びてねえのな」


 仰々しい板金鎧で武装した二名の騎士を従え、その先頭で腕を組み、仁王立ちする――女が、ふんすと鼻息を鳴らした。

「口の悪さは相変わらずです。安心しました。辺境での活躍はアーベンクルトにも伝わってきてますよ」


「あの……ええと?」

 バステナが、オレとナリュースの顔を見比べて何か言いたげにしている。


 ……そう、こいつの名はナリュースと云う。

 

 アーベンクルト灰狼騎士団の元同僚。歳は二十四、身長は小柄なバステナよりも更に低く、子供っぽいが、魔法剣士としての実力は、オレと同等……いいや、正直に言おう。更に上を行く。


 白を基調とした霊革のサーコートを纏い、鮮やかで豊かな緑髪を大きく編み束ね、その小顔(というか童顔)には不相応な大きな色付の丸眼鏡を掛け……口調や物腰こそ丁寧だが、その堂々とした落ち着きと振る舞いは、気高さとプライドの高さの現れだ。


 うん……それで、あと。

 オレの元カノ。


 ナリュースは、オレの背後でまごつくバステナを見留めて、丸眼鏡の奥の目を細めた。


「で?彼女が噂の、新しいパートナーか何かですか」

「あ、はい。いえ、ええと……バステナと言います。相棒というか、パーティの仲間というか……」

「ナリュースです。宜しく」


 どぎまぎするバステナの風体を値踏みするように一瞥したナリュースが、素っ気なく応える。


「積もる話はありますが……仕事をしなければ。デーナンおうが殺害されたということはもう耳に入ってますね?」

「ああ」

「……手伝ってほしいと言っても無駄でしょうね」


 軽いジェスチャーでお断りしたオレに、ナリュースは溜息をついて首を軽く振る。


「君はまだ……いいえ、ワット、ゼス。行きましょう」

「はっ、副隊長どの」


 背後の騎士に目配せしたナリュースがデーナンの店へ歩み出す。

 店の周囲に群がっていた野次馬どもは、誰彼、何を言わずともさっと散り、道を開けていた。騎士団が市民から恐れられているのは以前と変わっていないみたいだな。


「陽華の紋章を戴いたか。順当に『出世』できたようで何よりだ。おめでとう」


 オレはナリュースのの背中で揺れるマントに描かれた図案に目を留め、呟いた。


 祝辞?皮肉?

 思わず口走ったものの真意は、今のオレ自身、まだ良く判らない。


 

――――――――――――――――


「ねえ!いい加減教えてよ!何でアーベンクルト騎士団を辞めちゃったのか!」

「しつこいな!!話すと長くなるし、大体な、お前には難しい話なの!」

「あっ、またバカにして!」

「いいから飯にするぞ、飯!」


 最大の心当たりが不発に終わり、アーベンクルトの方方で霊薬士を訪ねて歩き回りはや半日。すっかり歩き疲れ、食堂に入って飯を食う間もずっと質問責めを繰り返すバステナに、オレはカップをテーブルに叩きつけ、遂に怒鳴り返した。


「上司が騎士団の装備品の調達に関わる不正を働いてたのを告発した。以上!」


 今までは適当にはぐらかしていたが、実際に古い知人と出会ってしまったことで、バステナの追求はヒートアップ。いよいよ誤魔化せなくなってしまった。


 ほぼ満員の店内、客の数名が怒声と物音に振り返ったが、それもすぐに喧噪に呑まれていく。


「不正って……」

「想像つくだろ。主に癒着と贈賄だよ。それに……まあ、色々とだ。規模が大きすぎて師団の一部が解体される程の騒ぎになった。オレを恨んでいる連中は今でもわんさかいる。オレが何故、あんなクソ辺境で冒険者まがいの真似をしていたのか判ったか?」

「クビにされたの?」

「いいや自分から辞めた。あのまま残ってたら……確かに、首を斬られていただろうけどな。文字通り」

「ふーん……。で、さっきのナリュースって女の人は――」

「本当はそっちの方を聞きたいんだろお前」

「まーね?だって気になるじゃん。レオドラスの……その……人間関係とか」

「それは……」

「どうしてそう、人を人とも思わないろくでなしになったのかとかさー」


 あれ?オレの思っていた意図とはちょっと違うらしい。

 てっきり昔の恋人との色恋沙汰を期待していたのかとばかり。

 というか、ついにはっきりと言いやがったな。ろくでなしって。


「ろくでもない世の中で、ろくでもない生き方をして何が悪い?泥沼で生き残れるのは、泥を啜れるヤツだけだ。誰が咎める訳でもない……良いからさっさと食え。片付けたらまた霊薬屋巡りだぞ」

「うー……」ぐー。


 何か言い返そうと唸ったバステナだったが、同時に腹も鳴った。

 注文するだけしておいて、料理をほったらかしで話し込んでいたもんな。


「……あと、言っておくけど。ナリュース……あいつは、オレよりもよっぽど『ろくでもない』ぞ。関わり合いになるのは出来るだけ避けたい」

「そうなの?可愛い人に見えたけど……小柄?っていうか、ちっこくて」

「見た目だけはな。あんなクソでけえ色眼鏡してる奴がまともな訳あるか」


 バステナは、ナリュースという女がどれ程に危険かを知らない。知る由もない。

 あいつからどんなに酷い目に合わされてきたか、挙げればキリがない。

 話している内に色々と思い出し、むしゃくしゃしてきた。

 

 そんな訳で、気付けば、オレモバステナに負けないくらい、むしゃむしゃ、飯をかっ喰らっていた。


―――――――――――――――――


 午後の陽光が燦燦と降り注ぐ、街の大通り。


 噴水を兼ねた戦争記念碑が鎮座する街の広場にには、午後の散歩を楽しむ大勢の市民たち。家族連れ、恋人、あとは何もするでもなく、ただぼうっと時が過ぎるのを待っている有象無象――。


 その中に、オレとバステナも混じって、座っている。

 

 優秀な霊薬士を探すのはこんなにも大変だったか……?いや、優秀な霊薬士であればあるほど、真っ先に殺されてるんだからオレの責任じゃないよな、うん。


 心当たりを手当たり次第に当たるだけ当たってみたが、色々な意味で『全滅』である。あっさりと行き詰ってしまったオレたちは、どちらともなく街の広場で足を留め、こうして途方に暮れてしまっているという訳だ。


 いや訂正、バステナちゃんは広場に群れる鳩に餌をやって楽しんでいる。


「……ところで、この事件の犯人は何が目的なんだろうな。金銭?私怨?それとも市場の操作を企む連中の差し金か?」

「私に聞かれても判る訳ないでしょ。そーゆーことを考えるのが得意なのはレオドラスの方だもん。ねー?」

「ハトに聞いても、それこそ判る訳ねえだろ」


 パンを千切って与える(くるっくー)バステ(くるっくー)だから(くるっくー)で(くるっくー!)うるせえなオイ!!


「気になるなら、やっぱりナリュースさんを手伝ってくれば?事件を捜査してるんじゃないの?」

「それとこれは話が別。今は他に考えることがないかを考えてんだよ」


「そういう時はさ、敢えて何も考えなくても良いと思うんだ。流れに身を任せていれば、そのうち何か一個くらいは思いつくって」


 鳩にすっかり懐かれたバステナの三角帽には、鳩が四、五匹乗っていた。

 お前はね、流れに身を任せすぎだと思うんですよね。それでいいのか。


 鳩がオレの方にも寄ってきやがったので、軽く追い払う仕草をする。



 と、鳩たちが一斉に、一瞬、硬直して。

 次の瞬間、群れ全体が一気に広場の空へと飛び立っていった。


「あーあ、行っちゃった……レオドラスが優しくしてあげないから」

「違うだろ。今のは――」


 バステナが口を尖らせるので、それも軽くあしらおうと口を開きかけると。


 鳩の群れが残していった、舞い散る羽根の向こうに、見覚えのある――それもつい昨日、出会ったばかりの――影が目に入った。


 行き交う住民の間の間を縫うように、こそこそと小走りで駆ける影。


 フードを目深に被った、小汚い身なりのガキ……ええと……そう、ルディカとか言ったっけ?


「……バステナ。確かにお前の言う通り。こうしてただ座って待っているだけでも、何かしら起こるもんだな」


「へ?」


 バステナは何が何やら、きょとんとしている。まあ見てろ。オレの見込みが正しければ、多少の足掛かりになるはずだ。


 というか他に糸口は無いし見当もつかないもん。

 とりあえず物は試し。何もしないよりはマシ。話をするだけなら損もしないさ。

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