4.04 封龍の秘儀とエリクサーバブル

「いやーこんな部屋しか空いてなくてすんませんね、お客さんを泊めるのは久々なんすよ」


 とっくに深夜。


 結局、メサージオールの邸宅で一夜を過ごすことになったオレとバステナは、ジジイの世話役、レプリムに客用の寝室に案内された。


 瀟洒を極める調度品に埋め尽くされた『こんな部屋』は、広さも質も王侯貴族レベル。金で縁取られた黒絹の天蓋付きのベッドなんて初めてお目に掛かった。


 部屋の隅々の扉は、恐らく浴室などに繋がっているのだろう。全体的に多少埃っぽいものの、たかが来客用の一室ですらこの豪華さ。メサージオールが如何にアーベンクルト王家から重要視されていたかが判る。


 つまりアレか。龍を鎮めるにはとりま、金って話?昔話のスタンダートだな。

 

「必要なものは全部揃っているはずっす。何かあったら呼んでください――んじゃ、私はメサージオールさんを寝かせてくるんで……」

「ちょっと待て、おい!まだ色々と聞きたいことが……おいって!!」


 棚に並んでいた白金の燭台を手に取り、確認――いや、売り払ったら一体どれ程になるかを物色――している間に、レプリムはデッキブラシを片手に、軽快な足取りでとっとと行ってしまった。


「わあ、ふかふか!こんな良いベッドで寝るのって初めて!」

 バステナちゃんはバステナちゃんでさっさとベッドに身を放り投げて喜んでるし。


 ええい、どいつもこいつも自分勝手過ぎない!?

「だってレオドラスってば、いつも節約だなんだって言って、やっすい部屋ばっか取るしさあ……」


 ああそう、不満だったのね……それはすまんかった。でも毎度オレとお前、二人ぶんの部屋を取るためには多少の我慢をね?


 というかこの無駄にだだっ広い部屋に、ベッドは一つだけ。

 既にバステナに占有されてしまっている訳で。


 ……正直、今日はオレもだいぶ疲れた。船酔いに抗いながらの船旅を終え、一日中歩き回り、そして、ようやく久しぶりのまともな寝床でゆっくりと休める――はずだったのに。


 オレとしたことが展開の雑さに翻弄されっぱなしだ。


 既にバステナは大いびきをかいてお休みになられていらっしゃる。仰向け、大の字、手足を放り出し――ひっぱたいて叩き起こしてやろうかとも考えたが、やめた。


 レプリムを呼んで別の部屋を用意させるのも億劫。つうか、どこに行ったかも知らん。あーだこーだ考えている間にもますます眠気が増していく――ああ、丁度よさそうなソファがあるじゃないか。広々とした黒革張りの丈夫なローソファだ。


 オレは、幸せそうに大口を開けて寝ているバステナの姿を確かめて――いやお前帽子くらい脱いだら?それに折角、快適そうな浴室もあるんだからひとっぷろ浴びてから――ああもうダメだ。思索の糸がブツブツと切れていく。瞼が重い。頬が吸い寄せられるようにソファへ沈んだ。ひやりとした感触が心地いい。


 ――今日一日で起きたことを整理しておきたいが――


 ……僅かにカビ臭い。


 凱旋の一日の終わりの締め括りは、そんな程度の感想だった。

 

――――――――――――――――――


「朝だよー。ほら、いい加減起きなよー」

「んあ!?」


 澄んだ鈴のような響きと、明らかに足蹴にされた衝撃でオレは跳ね起きる。


「おはよ……ひっどい顔だなあ、お風呂入ってきたら?」

「……ああ……いや、お前の方こそ」

「私はもう入ってきちゃった」

「あ?」


 座ったまま顔を上げると、普段通りの姿でこちらを見下ろしているバステナと目が合った。なるほど、仄かに石鹸の香りがする。


 何となく重要なイベントを逃した気がするが、まあいい。


「いちおう、声を掛けたんだけど全然起きないんだもん。よっぽど疲れてたんだねえ」

「お互い様だろ。お前の方こそベッドに飛び込むなりぐーすか寝やがって。おかげでオレはこいつで……ああ、肩が余計に凝った」

「ごめんごめん、いやあ、ほんとふっかふかでさー。私も自分で自分にびっくりしちゃった!」


 てへぺろ顔で誤魔化しても駄目だから。


 オレは、オレ自身が思う以上の仏頂面でバステナを睨み上げていたらしい。


 バステナの笑みは引っ込み、しかし微かに、挑戦的に口角を緩めたままだった。


「じゃあ、次は一緒に寝ちゃう?」

「そ……ああ、いや、うん。え?」


 唐突な一言に思わず言葉を詰まらせてしまった。

 ……何だよソレは。


「からかってるのか」

「ん?」

「んなことを軽々しく……いや、いい。いいよもう」

「別に妙な真似をするつもりもないでしょ。私なんかに」

「そうだな」


 本気とも冗談ともつかないバステナの物言いを、鼻で笑い返す。


「そろそろ朝食の時間だろう。先に行ってろ。オレも軽くシャワーを浴びてから行くから」

「はーい」

「……覗くなよ?」


 バステナがあまりにもバステナすぎるので、オレも礼儀として冗談を返しておく。しかしバステナは真顔と笑顔の丁度まんなか、微妙な表情で首を傾げただけだった。


「………………」

「………………」


 何か言ってくれよ。スベったみたいじゃん。



―――――――――――――――――――


 こうしてオレたちは、朝食――と呼ぶには余りにも大量の――レプリム曰く「久々に腕を振るえるってんでテンションが上がっちゃったっす」——をご馳走になり、アーベンクルト首府への帰途につく。


「うう……けぷっ」

「朝から喰い過ぎだお前は」何度目だこのやり取り。

「だってレプリムちゃんの料理、美味しすぎて……」

「だからって大皿十五枚もいくか普通?」


 回転寿司じゃねえんだぞ。いや今の例えは忘れてくれ。


 いやいや違う。こんな話をしたいんじゃないのオレは。


 明らかに足取りの重いバステナを半ば置いていくつもりで、オレは歩く。

 自業自得だ。もういちいち気に掛けてやんない。


 とは言え、このまま、ただ、だらだらと目的地まで歩き続けるのも能が無い。


 オレは懐から灰銀製の天秤を取り出して、背後でよたよたしているバステナへ放り渡す。メサージオール邸の客室から、ちゃっかり拝借してきたものだ。


「え、これって……」

「そう。くすねてきた」

「ぬ、盗んできたの!?泥棒じゃん!!」

「声が大きい。用事が済んだら返すさ。とにかく見てみろ」

「んん……?」

「頭を使えば腹ごなしにもなるからな」


「……これって」

 腹と同じくらい頬をむすっと膨らませていたバステナは、暫く小難しい顔をして天秤を見つめた後、ようやくお気づきになられたようだ。


「そう、基部に刻まれている呪文。それは恐らく、封龍の秘儀の一節」

「そうなの?私にはよく判らない分野だなあ……」


 怪訝な声をあげるバステナへ、背中で語る。


「ざっと見た限り、あの屋敷のあらゆる構造、品々に施されていたように見える。そりゃそうだろう、あのジジイ、今でこそ老いぼれだが、運命を書き換えるほどの力を持つドラゴン。そんなもんを屋敷に封じるために、王族連中はスプーン一本に至るまで仕掛けを仕込む必要があったんだろう」


「へえ……なんでそんなに詳しいの」

「アルジュ・ルパの件を忘れたのか?もしまたヤツと対決することになるのなら龍族に対抗するための知識は頭に入れとかないとだろ。昨日、図書館に行った時、ついでに調べておいたんだよ」


「色々考えてるんだねえ」

「で、どうだ?お前の目から見て」

「……だから、よく判んないってば。私の魔法は基本的に文字使わないし!」

「……そうか、もういい」


 ――どうしてそう、無知ぶりを無邪気に笑っていられるのかオレには理解し難い。


 多くを望むのはとうに諦めたが、このオレと旅を共にするのなら最低限、相応の素養はあってほしいものだ。愛嬌で誤魔化すにもいい加減、限界ってもんがある。

 

「戦闘以外じゃ全く役に立たないな、お前」

 オレの僅かな苛つきは、歩調にも現れていたようだ。


「……ごめん」

 バステナは軽く応えただけで、それっきり。


 それから暫くの間、すっかりしおらしくなって着いてくるバステナを、アーベンクルトの中心部に着くまでの間、一度も振り返ることはなかった。


 ま、大人しくなったのは、これ以上また口を開いたら、素敵なものが逆流しそうになるからだろうなってことも判ってた。



―――――――――――――――



 さて、本筋である、龍用のエリクサー探しに乗り出す前に、いくつか背景情報を説明しておく必要があるだろう。


 そう、例によって長話だ。覚悟しろ。

 オレだってメサージオールの話に耐えたんだから。


 これから話すのは、アーベンクルトにおけるエリクサー業界の隆盛についての概略だ。


 魔王亡きあと、一大勢力となった冒険者の需要の急速な拡大に伴い、膨れ上がった市場には玉石混合、雨後の筍の如く事業者が乱立した。武器防具はもちろん、雑貨や小物といったアイテムに至るまで、商取引を軸とする事業者の参画が進み、特に霊薬類を扱う業種は一大チェーンとして確立していくが、その結果、薄利多売が横行し、巷には粗悪品が溢れるようになった。 


 そして、そんなエリクサーバブルとも呼べるものは、あっと言う間に崩壊していく。


 違法な薬物を用いた密造などの事件も多発したことで、取り締まりも強化された。戦後の復興の熱狂と、世間知らずのガキ共の”冒険”への憧れと陶酔で誤魔化されていた問題点の数々が浮き彫りになり、多くの霊薬士が廃業に追い込まれる。


 更に、霊薬に頼らないMP供給の手法の開発もあり、市場が縮小している最中であるのは以前話した通りだ。

 

 しかし、それでも一流の冒険者には、やはり一流の錬金術師の伝統ある秘術による完璧な霊薬が必須。今では数少なくなった優秀な霊薬士とのコネは更に重要になったと言えるだろう。


 脱線したか?


 まあつまるところ、オレは今、つい今ままでも何十件も通り過ぎてきたしょっぼいアイテム屋などには目も暮れず、アーベンクルト灰狼騎士団御用達、由緒正しき錬金工房に向かっているってワケ。


 その工房の主は、オレが騎士団に所属していた頃の知り合いである。


 寡黙で頑固な親父だが、その知見も腕も確か。人間諸国だけではなく同盟を結んだエルフやゴブリン、果ては魔王軍から離反したハイオークやウェアウルフなどの獣人勢力にも霊薬類を供給したという、指折りの術士だ。


 目的の工房に向かいがてら、バステナへの観光案内ガイドも兼ねてこういった説明をしていた訳だけど。



 それも全部無駄になった。


 だって、その店主も殺されてたんだもん。

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