噛み合わなかった想い
目覚めたのは次の日の朝だった。初めは城の自分の部屋にいると錯覚してしまったけれど、すぐに昨日移動したことを思い出す。
朝食の後、部屋の窓越しに久しぶりの日差しを楽しんでいると笑顔のジリアムが入って来た。不審に思われないよう朝食を義両親と取ってから来たなら、ここは城から馬で1~2時間くらいの距離だろうか。その範囲には小さめの街がいくつもある。この情報だけでは、ここがどこか推測するのが難しい。
私はジリアムにばれないよう、小さくため息をついた。
「城を出てここに来る時、俺と君が庭を歩く姿を誰かに見られたみたいだ。君の亡霊が出たって噂になっていたよ」
私がこの状態になってから、恐らく5日経っている。
「私は死んだ事になっているの?」
ジリアムは少し困った顔をすると、部屋の奥から椅子を持って来て私から少し離れた所に置いた。少し考えてから、もう少し椅子を近くに寄せて腰掛ける。私は少し嫌だなと思う。
「謎の失踪ということになってる」
「謎の、ね」
「ユリアが、オズロ・ハインクライスを疑って、皆が止めるのを振り切って馬であいつの馬車を追いかけて行ったよ。もちろん君はいないから、落胆して帰って来て今度は母に嚙みついていた。酷い小言ばかり言うからだって」
そんな事をしたなら、オズロにも私がいなくなった事が知られてしまっただろう。でも彼ならきっと、私が森の小屋で暮らしていると思うはずだ。屋根の雨漏りを直しておいて良かったとか、それはそれで私らしいと言ってくれる気がする。
ジリアムと結婚している私よりも、森で楽しく暮らしている私が、彼の中に思い出として残ってくれている方が嬉しい。
ユリアにも心配かけて申し訳ないとは思うけど、この状況になったとはいえ一緒にジリアムを支えようという約束は違えていない。それで許してもらうしかない。
(ジリアムを支える? この状況で出来るのかな)
「こんな事をした理由を知りたい」
私の問いに、ジリアムが軽く笑う。こんな事をしているのに、今までと何も変わらない様子なのが、私は怖くて仕方ない。これは誰だろう。私の知っているジリアムじゃない。
(違うわ。私はジリアムを愛していると思っていたけど、彼の事を何も知らない)
「理由か。――君は一度も出してくれ、とか自由にしてくれとは言わないな」
「自由? 今までだって自由なんか無いのに? 場所が違うだけで、それほど違いが無いわ。細かく行動を指示されないだけ、むしろここの方が自由かもしれない」
森の中とオズロの家。監視されずに思うままに振る舞えたのは、そこでだけ。森での収穫だって私が好きでしていた事ではない。だって私は、私がやりたい事すらよく分からない。
オズロが話してくれた外の世界。魔力が強いと出来る事、物語が作れたら出来る事、もっと勉強する事が出来る場所、そこに自分を当てはめて想像する事が楽しい。
それなら、森でもここでも、どこでも出来る。
「もう、理由もどうでもいいわ」
私は、ぼんやりと外を眺めた。
「君は、俺の事を愛してくれていると思ってたんだ」
ジリアムが静かな声で話す。目を向けると彼は床を見つめていた。
「王都で事件を起こして帰って来た時、初めて会った君は俺の事を全く疑いもしない目で見て『会えて嬉しい』って笑ったんだよ」
私も覚えている。事件の詳細は知らされていなくて、13歳の私はまだ子供で、姿絵で見ていた素敵な婚約者と初めて会える事に浮かれていた。初めて会ったジリアムは、姿絵よりももっと美しくて優しそうで、私は一目で夢中になった。
「君は昔も今も、ほとんど笑顔を見せてくれないけど、あの時の笑顔は忘れられない」
あの時も、あんなに感情を出すなんてはしたない、とお義母様には後でひどく叱られた。私はいつも感情を表に出さないように気を付けていた。
「ユリアから、君に俺の行状を伝えたと聞いた。それは多分、俺が前に謝った事とは違う件だろう? 君が思っている以上に俺はどうしようも無い人間だ。分かっていても、自分でもどうしようもないんだ」
それは恐らく舞踏会で私が見たものや、義姉のような事がもっとたくさんあるという事なんだろう。もしかしたら、もっと酷い振る舞いをどこかでしているのかもしれない。
「でも、君の目に映る俺は立派な次期領主で、誠実な男で、君に愛される価値がある男だった。君が俺を愛してくれているうちは、本当にそういう男になれる気がしたんだ」
ジリアムの視線が熱を帯びてくる。
「だから俺は頑張れたんだ。どこで何をしても、必ず君が朝起こす時には城に戻って、君が愛する俺でいただろう?」
でも、とジリアムは私に目線を向けた。顔つきが険しくなる。
「あいつが来てから君は変わった。気が付いた時にはもう、君は俺を愛していなかった。君の目に映る俺は、駄目でどうしようもない男になっていた」
それはオズロのせいではない。香水の香りに気が付いたのも、舞踏会で女性と親密にする姿を見たのも、オズロとは無関係だ。私のジリアムへの愛を凍らせたのはジリアム本人だ。オズロではない。
でも、そんな事を言ってもジリアムの心には届かないだろう。
「君が一人で微笑んでいるのを見た後、俺は森に向かう君とオズロ・ハインクライスを見た。⋯⋯見たというより、見に行ったんだ。君は俺には見せないような笑顔で楽しそうに話をしていた」
ジリアムは立ち上がると私の前に立った。私も椅子から立ち上がり、少しジリアムから離れた。
「結婚を白紙に戻して婚約を解消すると言ったら、君が俺の大切さに気付くと思ったんだ。君の口からはっきりと、俺と結婚したいっていう言葉を聞きたかったんだ」
『どうしたい?』あの時のジリアムは、私に聞いた。私に『ここに置いて欲しい』ではなく『婚約解消したくない』『結婚して欲しい』と言わせたかったのだ。
「でももう、あの男はいない。ここには俺の行状を君に吹き込むユリアもいないし、煩しい事を言う母もいない。ここで過ごして、また俺の事を愛して欲しい。君が心から俺と結婚したいと思ってくれるまで待つから」
(何かが少しずつおかしいと思う)
ユリアが私に忠告したくなるような振る舞いをしないとか、お義母様を止めようとか、愛される為に私の気持ちを聞こうとか。そうは思わないのだろうか。
もう一度愛するどころか、今となっては、ジリアムのどこを愛していたのかも分からない。それでも。
「兄が亡くなって、グーデルトの城に引き取られて、あなたとユリアが優しくしてくれた事は本当に感謝してる。あなたが言う通り、少し前までの私は、本当にあなたの事を愛していたわ。大好きだったの。でも、この先の私が、また同じようにあなたを愛せるかどうか私にも分からない」
恐らく無理だと思う。その言葉は口にしない。ジリアムは後ずさる私の腕を引いて抱きしめる。身の毛がよだつ。
「時間はあるから。いくらでも時間はあるから、大丈夫」
ジリアムは強く抱きしめた後に少し体を離して私に口づけた。やっぱり温かい粘土を押し付けられたような気分になった。
本の続きが読みたい、そう言うとジリアムは別の部屋に連れて行ってくれた。そこに並んだ本の中に読んでいた建築の歴史の続きがあった。
「歴史の本が多いのね」
困った顔をしてジリアムが、書棚の奥の方を探る。
「他のもあった気がするけど。この辺りには少し、⋯⋯ごめん、これも歴史か。ここは、父が昔、誰かと逢引きに使っていた家なんだ。その後は俺が引き継いでいて。俺が趣味で読む本ばかりだから内容が偏ってる。ごめん、欲しい本があったら言ってくれれば用意するから」
(そんな話を私にしてどうするの。お義父様も似たような人だったのね)
ジリアムは次期領主として立派に仕事をしていると思っていたけど、案外それも違ったのかもしれない。あまり頭が良くなさそうだな、そんな失礼な事はもちろん口にしない。
「あなたは歴史が好きだったのね。それなら私も歴史の本を読んでみる。動植物や地形にまつわる歴史には詳しいけど、外国や建物とか、こういう時計とか道具についての歴史には詳しくないの」
私は『世界の時計』の本を手に取った。本当に面白そうだと思う。
昨日までの暗い部屋よりは、ずっと快適だ。恐らく城よりも快適だ。
(森の相棒がいない今は、どこも同じだわ)
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