辺境の地の倫理観
書き付けの整理には結局1週間かかってしまった。でも収穫は大きかったそうだ。
「これで、探すべき植物が、かなり特定出来た」
元々調査対象となっている植物の多くが書き付けに記されていた。分布については私の知識で補える。後は実物と書き付けの内容を比べたり、保管出来そうなものは採取するという作業に専念出来そうだ。
「図鑑にも、書き付けにもないような植物の事は、お伝えした方が良いですか?」
私の質問にオズロは深く頷いた。私が知る情報も地図と対象の植物を書き記した一覧に加えた。この森の夏はもうすぐ終わる。この季節に確認すべき植物は早めに探さなくてはならない。
その日は久しぶりに森に出る事になっていた。私は足取り軽くオズロの家に向かっていた。
(真似しちゃった!)
私もかごに紐を付けてみた。肩からまっすぐ下げるとすぐにずり落ちてしまうので、斜めに掛ける事にした。
「とっても快適!」
想像以上に身軽になった気分だ。うきうきと歩いているとオズロの家の手前でユリアに行き会った。
「リリイナ!」
ユリアは駆け寄ってきて私に抱きついた。城から少し離れた所で問題があったらしく、警備隊長のユリア自ら部下を率いて解決しに行っていた。会うのは舞踏会の日以来だ。いつものすっきりした香水の香りが鼻をくすぐる。
「おかえりなさい、今日の夕食は一緒に取れる?」
ユリアがぎゅうぎゅう抱きついて頭に頬をすりよせて来る。長身の彼女に強く抱きつかれると私は身動き出来なくなる。
「ユリア、痛いの! 少し力を緩めて!」
しかもユリアは皮の胴着を着ている。顔に押し付けられるととても痛い。
「ごめんなさい!」
ユリアは体を離してくれた。私が問うままに近況を話してくれる。今日は夕食を一緒に取れるようだ。
「あなたは大丈夫だった? 生憎、毒虫が見つからないのよ」
私は慌てる。
「私の事を街の平民だと思っているみたいで、とても親切にしてもらっているの。だから毒虫は必要なさそうよ」
ユリアは腑に落ちなそうな顔をしているけど、夕食の時にまた詳しい事を話すと約束して別れた。
オズロの家に着くと、もう家の前で待っていてくれた。遅れた事を詫びて一緒に森に向かう。
(今日は少し機嫌が悪いのかしら?)
いつもよりも目元が険しい気がする。大きく表情には出さないけれど、目元を観察していると実は感情豊かな人なのだと分かる。
夏真っ盛りともなると、この森ですら少し歩くと汗ばむ暑さになる。出来るだけ葉が茂って日が当たらない道を選んで進む。今日の目的の植物は確実に生えている場所を知っている。
「あ!」
強めの魔力を感じる。これは⋯⋯恐らくスティの群れ。
「スティが来る。こっちに来て。⋯⋯木には登れる?」
オズロは驚いたように目を見開いた。
「登れる」
「では、登るわよ」
群れの進路を予想して、しっかり見物出来そうな木を選んで先にオズロを登らせた。私に差し出そうとする手を断って、私も身軽に登る。
「来た。静かにね」
思ったよりも多かった。30羽くらいのスティがふわりふわりと飛び跳ねて進んで行く。この魔獣はウサギによく似ているけれど、大きな桃色の耳が特徴だ。跳ねると同時に耳もふわふわと動く。つぶらな瞳が愛らしいけれど、実はとても狂暴だ。人間を見つけると、襲い掛かって噛みついて魔力を吸う。数羽なら振り払えるけど群れに襲われたら命の保証はない。
彼らも魔力がある私には襲い掛からない。私の手が届く範囲の近くにいる人間も襲わない。これは昔から言い伝えられている事だ。
(そういえば、試すのは初めてだわ)
この森に誰かと来るのは初めてだ。言い伝えが間違っていて、スティの群れがオズロに襲い掛かったらどうしよう、急に心配になってきてしまう。オズロを見ると夢中でスティを観察していた。
(まあ、大丈夫でしょう)
静かに好きなだけ観察させてあげる事にした。
スティの進む速さは人間がゆっくり歩くくらいだ。30羽全てが通り過ぎるまでには少し時間がかかった。その間中ずっとオズロは飽きずに眺めていた。
「ありがとう。初めて見た。狂暴だと聞いていたけど、本当に見た目は愛らしいんだな」
「実は狂暴な姿を見た事がないから、信じられない気持ちもあるんだけどね」
オズロは木から降りようともせずに、スティの被害について熱弁する。聞いている限りでは本当に危険な魔獣のようだ。
私たちは木から降りて、また目的の草探しに戻る。しばらく進むとオズロが口を開いた。
「この辺りの地域では、ああいう愛情表現は普通の事なのか?」
「ああいう愛情表現って?」
言いにくそうに視線を地面に落として、少し口ごもりながら続ける。
「今朝、君を待っている時に見てしまった。王都では若いご令嬢はあんな風に人目につくところで、あんなことをしないから少し驚いた」
(あんな風に、あんなこと?)
「ごめんなさい、どの行動の事か分からないの。朝、あなたの家に行く時の私の行動の何か、と言う事よね」
何だろうか。服をめくって背中を掻いたりするような、はしたない事はしていない。少し小走りになった事だろうか。愛情表現とは違うかもしれないけど、咎められるような振る舞いが他に思いつかない。
「お義母様にも叱られるのだけど、つい走ってしまうの。そうよね、ちゃんとした淑女は人前で走ったりしないわよね」
木登りなんてもってのほかだろう。でも森だから良いのか?
「違う、そうじゃない。若い兵士と抱き合っていただろう」
「兵士? ユリアのこと?!」
私は大声で笑ってしまった。
「あれは、女性よ。ジリアムの妹のユリア。女性だけど警備隊長をしているの。私は武芸が出来ないから戦った事はないけど、男性にも負けないくらい強いそうよ」
「女性だったのか」
確かに男性の若い兵士と、あんな風に抱き合っていたら大変な問題行為だ。
「そうよ。婚約しているジリアムとだって、あんな事をしないわ。王都の習慣は分からないけれど、ジリアムは王都の女性はもっと積極的だと言っていたもの。この地域が特に開放的という事は無いと思う。辺境だからと言って品性まで侮らないで欲しいわ」
(あ、ジリアムの名前を出し過ぎたかもしれない)
オズロを窺うと特に気分を害した様子はなかった。
「申し訳ない。もしかして、ああいう事件があったのは、この地方独自の文化が影響しての事だったのかと思ったんだ。失礼な疑いを掛けて申し訳なかった」
オズロが頭を下げる。
(あの事件)
私にはどうしてもオズロが、ジリアムを陥れるような人間には思えない。でも人間には色々な顔がある。私だってオズロに見せている顔と、ジリアムに見せている顔が違う。ジリアムとオズロの間には、私には窺い知れない関係があるのだろう。
陥れなければならないような事情があったのか、聞いてみたい気持ちは抑え込んだ。
「気にしてません。あなたは武芸が得意?」
話を逸らして、また植物を探した。
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