意地悪婆の苦手なもの
夕食の席では、誰もが私に森での調査がどうだったか聞きたそうなそぶりを見せた。こういう時にはっきりと口に出しそうなユリアは警備隊長として街の見回りに出ていて不在だ。
(はっきり聞いてくれた方が助かるんだけどな)
不満がある場合は『聞いてくれ』と訴えやすい。でも今日の出来事で『宿敵オズロ』と『森の相棒オズロ』は別人になってしまった。しかも『森の相棒オズロ』には好感すら持ってしまっている。その後ろめたさもあって私からは言い出しにくい。
「今日の収穫は、それなりに良かったようね」
お義母様が切り出した。私は水を飲んで深呼吸をした。
「はい。魔獣鹿の角が手に入りました」
皆がまた静かに食事を続ける。とても視線を感じる。
「あいつは、君にひどい事を言わなかったか?」
ついにジリアムが切り込んできた。私はもう一度水を飲んで深呼吸をした。
「はい。恐らくですが、私の事を街の平民の娘か何かだと思っていたようです。ただの森の案内人として扱って頂きました」
お義母様が安心したような笑い声をあげた。
「あら、確かにあなたが森に行く格好は、グーデルト家嫡男の婚約者とは思えないような恰好ですものね」
「本当にあの男は人を人とも思っていないな。でも君が俺の可愛い婚約者だって知ったら、俺憎さでまたひどい扱いをするかもしれない。俺の婚約者という事は出来るだけ隠しておいた方がいい」
ジリアムの心配そうな顔を見ると、罪悪感が一層強くなる。
(もう婚約者だって知られた事を言いにくくなってしまったわ)
私は曖昧に微笑んで、また水を飲んだ。出来るだけ無表情を心掛けたけど、私の様子がおかしく見えたとしてもオズロに対する不安や恐れに見えるはずだ。
緊張した食事を終え、部屋に戻ろうと廊下に出た私にジリアムがそっと近づいて話しかけて来た。義両親は既に部屋に向かってしまったけれど使用人の目がある。私はさりげなく一歩離れた。
「リリイナ、本当に大丈夫だったか。もしまたひどい事を言われたら、すぐに俺に言うんだ」
真剣な瞳の中で廊下の灯りがゆらめいている。ジリアムが一歩近づいて来たけれど、私はその瞳に捕らえられて動くことが出来ない。
「もしあいつが、俺について何かを言っても耳を貸さないで欲しい」
「何かって?」
ジリアムはまた一歩近づく。
「あいつは俺と君の間を引き裂こうとするかもしれない。だってそれが一番俺には辛い事だって知っているんだから」
もう一歩近づき、気が付くと手を取られていた。
「ジリアム! 駄目よ、離して」
慌てて手を引こうとするけれど強く握られていて離すことが出来ない。手袋越しで触れる時よりも熱く感じて鼓動が早くなる。顔も耳も首筋も熱くて仕方ない。顔が赤くなってしまっているだろう。
「あいつの言う事には絶対に耳を貸さないって約束するまでは離さないよ」
「ジリアム!」
ジリアムはさらに強く手を握り、私の瞳を覗き込んだ。青い美しい瞳に吸い込まれそうになる。鼓動が激しくなりすぎて地面が揺れているような気がする。
「いいね、約束できるね?」
私は頷いた。何度も何度も頷いた。ジリアムは表情を緩めると手を離し、私の頭をふわっと撫でた。
「本当は、このまま抱きしめてしまいたいけど、それ以上赤くなったら君は倒れてしまいそうだね」
ジリアムは優しく微笑むと、おやすみ、と部屋に戻って行った。
(ジリアムを騙すなんて・・・)
その日は罪悪感に苛まれて、あまり眠る事が出来なかった。
◇
翌日はオズロの家で書き付けの分類を手伝った。
「これは、秋口に生えるのではないのですか?」
オズロが書き付けの絵と文章を読んで首をひねる。
「この森の中は外よりも早くに気温が下がります。恐らく魔力のせいではなく、北の山から吹き下りて来る風の影響だと思います。森に遮られるので外には影響ありませんが」
オズロが壁に貼った地図を確認しに行く。私も横に立ち、地図を指しながら説明をした。
「だから暦よりも早めに秋が始まると言う事ですね。他の季節はどうでしょうか」
私が説明しオズロが熱心に記録する。
しばらく作業を進めると、ふいにお茶の好みを聞かれた。休憩しようという事なのだろう。
「使用人を呼びましょうか?」
私が外に呼びに行こうとするとオズロは少し困った顔をする。
「わざわざ手を煩わせたくありません。そのくらいの事は出来ますから」
何と自分でお茶を入れるつもりらしい。ジリアムがお茶を入れるなんて想像出来ない。実家の兄だってそんな事をする姿を見た事がない。驚いて固まる私をよそにオズロは厨房に行こうとする。
「では、私が致します」
私は慌ててオズロよりも先に厨房に行こうと小走りに後を追った。
「ふっ」
恐らく笑ったオズロは、もっと足を速めて私よりも先に厨房に入って私を通せんぼするように振り返った。
「森の小屋では美味しいお茶をご馳走になりましたから。ほら、お茶の好みを教えて下さい」
私は仕方なく苦めの濃いものが好きだと答えて居間に戻った。一人で分類を続けているとオズロは本当にお茶を入れて戻って来た。
机の空いている所に置いてもらい遠慮なく頂いた。
「美味しいです!」
意外だった。茶葉が高級な事もあるだろうけど、入れ方も上手いのだろう。私よりも上手いかもしれない。
(今度、森の小屋で教えてもらおう)
香りを楽しんでいると視線を感じた。見返すと、すっと視線をそらされる。
「踏み込んだ事を聞いて申し訳ないのですが⋯⋯今日はあの、収穫が無くても叱られないのですか?」
森でお義母様に収穫を指示されている事を伝えたからだろう。心配してくれているようだ。
「ご心配頂きまして、ありがとうございます。この後の数日は、書き付けの整理をお手伝いすると伝えてありますので、恐らく問題ありません」
「差し支えなければ、私の方から手伝いの期間中はずっと収穫を止めるように申し入れましょうか」
私は少し考えた。ここは森ではない、どう言うべきか迷う。その気持ちが伝わってしまったのか、オズロがため息をついた。
「提案があります。森の中での約束をこの家まで広げませんか? つまり、森の中とこの家の中では俺たちは対等ということです」
この家でのオズロは森の中と同じく親切だった。宿敵オズロとは思い難くて、やりにくいと思っていた。
「そうさせて頂きたいです」
「では、決定です。それで、俺が収穫を止めるよう言うと何か差し障りがあると言う事か?」
「⋯⋯はい。宮廷の許可なくゴドブゥールの森の恵みを売り払ってはいけない事は承知しているのです。番人としての仕事の報酬代わりに、わずかな量であれば、お目こぼし頂けると言う慣習も承知しています」
「確かにそうだ」
「恐らくですが、義母が扱っている量は、お目こぼし頂ける範囲を超えているのではないかと思います」
「だから、そこには触れないで欲しいということか」
「はい」
私は恥ずかしくて俯いた。私は犯罪だと分かっていて加担している。怠ける気持ちはあるけれど、他領などの目に留まり問題になると困るのではないかという心配の方が大きい。世に疎い私ですら、お義母様のやり方を危なっかしく感じている。
「分かった。では、それについては触れないようにする」
「ありがとうございます」
宮廷の仕事で来ているのだから、目をつぶってくれというのは本当は無理なお願いだと思う。聞き入れてくれた事を素直に感謝した。
「あまり多くならないように、ちゃんと加減しますから」
「それは君が叱られるという事だろう。そこについては、かなり不愉快だ。だけど俺が口を出すと君はもっと困るだろうから、余計な事はしない」
不覚にも少し泣きそうになる。ジリアムですら、一度も収穫自体をやめるようにお義母様に言ってくれる事は無かった。叱られる事は当然で、ただ強く叱られ過ぎている時に助けてくれるだけだった。
「ありがとうございます」
私は俯いて小さな声でお礼を言う事しか出来なかった。
「今度、意地悪婆を見かけたら、森の虫でも後ろから投げつけてやろう。⋯⋯あ、婆は虫は平気か?」
「ふふ。意地悪婆は虫が大嫌いです」
「そうか」
笑顔こそ無いけれど、目元が優しくゆるんでいる気がする。視線を合わせてほほ笑むと、もう少しゆるんだ気がした。
(ユリアに、毒虫を投げ込まないように、ちゃんと言っておかなくちゃ)
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