夏のお祭り
この城では一年に一度、夏の終わりに城で祭りを催す。この日は領民を中に迎え入れて、夏の暑さを労り秋の収穫に向けて英気を養ってもらう。城の中には人が溢れて大騒ぎになる。
「この辺りまでは人が来ないとは思いますが、少し煩わしい思いをするかもしれません」
オズロには少し前から知らせておいた。気にしないと言っているけれど、本当に賑やかになるのだ。私は少し心配だった。
「リリイナ、支度出来た?」
扉の外からジリアムが声を掛けてくれる。舞踏会ほどではないけれど、今日みたいな時はいつもよりは華やかなドレスを着る。
「お待たせしました」
扉の向こうにいたのは、見惚れるほど素敵なジリアムだった。彼は自分に似合うものを良く分かっていると思う。物語に出て来る王子様だって彼には敵わないだろう。
「リリイナ、綺麗だね」
ジリアムが優しい眼差しを向けてほほ笑んでくれる。そして肘を曲げて私に差し出し視線でつかまるよう促す。そっと触れると、夏の薄着から彼の体温が伝わって来て鼓動が早くなってしまう。
彼に連れられて城の広い庭に向かった。ジリアムに選んでもらった薄い水色のドレスが歩みに合わせてさらさらと涼やかな衣擦れの音を立てる。
庭では既に大勢の領民が楽しそうに笑いながら、酒を飲みご馳走に舌鼓を打っていた。子供達が辺りを駆け回っている。
ジリアムも私も、それぞれ領民に声をかけ普段の働きを労う。彼と別れて領民と話しているうちに子供達に囲まれてしまった。
「怖いよ、眠れないよ!」
一人の男の子が泣き、それを周りの子が慰めている。訳を聞くと一枚の紙を私に見せた。
「ギード?」
「魔獣の絵を描いて欲しいって頼んだら、こんな怖いの描かれたんだ。怖くて眠れないよう」
ギードは熊のように大きく、人間を襲って巣に連れて帰る恐ろし魔獣だ。
とても素早くて姿を見て逃げ切った者の話を聞かない。だから、かなり遠目の姿しか分からず絵本を見ても全て想像の姿しか描かれていない。
「あら、このギードはずいぶん怖い顔をしてるのね」
子供にあげるにしては随分と細かい所まで描かれていて、今にも紙から飛び出して襲い掛かって来そうな迫力があった。またその顔の恐ろしさは見た事も無いような表情で子供が怖がってもおかしくない。
聞けば城の奥の方まで探検していた所、庭のテーブルで書き物をしていた男性に帰るように促されたそうだ。絵を描いて欲しいとねだったら渋々これを書いてくれたという。
「確かにこれは怖い顔ね。でも実はこの子はね、心優しい猫なのよ」
「え? 猫?」
「そう。ゴドブゥールの森で魔術師のご馳走を出来心で食べてしまったの。それで怒った魔術師にギードにされてしまったの。この絵は⋯⋯ちょっと間違っているわね。ギードには本当はもっと可愛い猫の面影が残っているんだから」
子供たちは私に強い魔力がありゴドブゥールの森に入れる事を知っている。私がギードを見た事があると信じてくれた。
「じゃあ、これを描き直してよ!」
「出来ないわ。私は絵が下手だもの」
「やっぱり怖いよ」
えーん、とまた泣き出す。仕方ないので使用人に鉛筆を持って来てもらい、私が顔の部分を描き直してあげた。
「こんなの猫じゃない!」
私は絵が下手だ。どうにも猫には見えなかったらしい。もうこんなのいらない、と紙を置いて子供たちは駆けて行ってしまった。
私は仕方なく、紙を折りたたんでドレスの腰のリボンに挟んだ。
「いけない、そろそろ」
日が落ち始めた。私は日課の塔への点灯に向かった。
城の最上階の鐘を鳴らし、いつもの順番で回り最後の1基に光を灯す。ふと下を見下ろすとオズロが外に出て来るところだった。暑いから涼むつもりなのだろう。
私は駆け降りて声を掛けた。
「こんばんは!」
家の外だから、宿敵オズロだ。
「涼んでいる所、大変申し訳ないのですが家の中に入って頂けないでしょうか」
私が何か言いたい事があると分かったのだろう、オズロは何も聞かずに家に入り、私を招き入れてくれた。
「普段と違う服を着ていると、別人みたいだな」
オズロが戸惑ったような顔をしているけど、私の用事は別にある。ドレスの腰リボンに挟んでいた紙を引っ張り出してオズロの前で開いた。
「これ描いたの、あなたでしょ?」
城の奥、外で書き物をしている男性、他に思い当たる人物がいない。
「何だこれは! 誰だ、こんな落書きしたのは!」
オズロは眉間にしわをよせた。どうやら、私が描き替えた猫の顔が気に入らないらしい。
「子供がね、ギードの顔が怖いって泣いてたの。だから本当は心優しい猫なのよって話してあげたんだけど、私が描いた顔が気に入らないって」
「猫? これが猫だっていうのか?」
大層驚いている。そこまで驚くほど猫から遠くないと思う。
「そう、猫なの! この猫を描き直してもらえない?」
「断る。ギードの顔は猫じゃない」
「見た事あるの?」
オズロの目元が少し険しくなる。ムッとしているようだ。
「ない。でも猫じゃない」
「見た事ないなら猫かもしれないじゃない」
「猫じゃない」
だんだん腹が立ってきた。
「怖い顔を見て泣いてた子供が可哀そうだと思わないの! 夜眠れないって泣いてたわよ」
しばらく眉間にしわを寄せたまま迷っていた様子だったけど、オズロは紙を手に机に向かった。私も紙を一枚もらう。
『こんにちは、僕は猫にゃん。ギードの姿をしているけれど、本当は可愛い猫にゃんだったんだよ。森にいたお爺さんが僕の大好きな魚を焼いていたんだ。ちょっと舐めただけなんだよ、それなのに⋯⋯』
絵と一緒に愉快な物語でも渡してあげよう。紙一枚分の物語を書いてあげた。
「何だそれは」
猫を描き終えただろうオズロは、いつの間にか私の後ろに立って文章を覗き込んでいた。私はそれを読んであげた。
「ふっ」
オズロは私に背を向けた。少し体が揺れているのは笑っているのだろう。
「ふふん。私の溢れる才能に驚いているわね。あなたの猫を見せてよ」
オズロが見せてくれた猫は。
「何これ! こんなに本物そっくりに描かなくてもいいじゃない!」
面白過ぎて笑いが止まらない。身体を折り曲げて涙を流して笑う私に不満そうな声が降って来る。
「俺は学者だ。本物に近い絵しか描けない」
熊の身体に猫の顔。襲い掛かろうとする姿からは『にゃあ』という声しか浮かばない。どうしても笑いが止まらない。
「いけない! 子供達が帰る前に渡さなきゃ。こんな時間にお邪魔してごめんなさい。どうもありがとう!」
去ろうとする私に、ぽつりと言った。
「君は、そういう冷たい色ではなくて、もっと暖かい色が似合う気がする。笑っている時の君は『凍てつく冬の花』という異名が似合わない」
ドレスが似合っていないと婉曲に言われているのか。それにしては言い方が優しい。どう反応して良いか分からないまま、軽く会釈をして扉をくぐった。
子供達を見つけてギード猫にゃんを渡すと、とても喜んでくれた。
「これならもう、ギードは怖くないよ! リリイナ様ありがとう!」
「森のギードの中身が猫にゃんとは限らないから、森には絶対入っては駄目よ!」
はーい、と本当に分かってくれたのか不安な返事をして、子供たちは去っていった。
「楽しそうだね。君がそんな顔をするのは珍しいね」
少し離れた所から見守っていたらしいジリアムが驚いたような顔をして歩いてきた。さっき大笑いした名残が表情に残ってしまっているのかもしれない。私は気を取り直して、いつもの表情を心がける。
「ふふ。そういう近寄りがたい美しさこそ、俺のリリイナだ。本当に自慢の婚約者だよ」
「ありがとう」
「もしかして君は子供が好きなの? 早く母に認めてもらえれば俺達だって――」
差し出された腕にそっとつかまって、また領民達の方に向かった。ふわりと風に乗って甘い香水の香りが漂ってくる。
(香水の香りが移るほどの距離⋯⋯)
これだけ人が多いのだからそういう事もあるだろう。
(高価そうな香水)
領民だっておしゃれに対して奮発する事もあるだろう。私は懸命に別の事を考えて気を逸らす。
(ギードの体に猫の顔。ふふふ。やっぱり可笑しいわね)
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