第10話 トマト煮込み
遥菜は、キッチンで大鍋をかき混ぜていた。食欲の誘う匂いが漂っている。
メニューは帰りの馬車のなかで決めた。
いまある材料ですぐに思い付くものはトマト煮込みか塩味のスープくらいだ。エルヴィスにどちらがいいか聞くと、トマト煮込みと即答されたのだ。
本当に好きなのね……。
「帰ったらすぐに作りますので、パンと一緒に子供達に届けてあげてくださいね」
「パンだけじゃなくて、スープも届けるのですか?」
炭水化物だけではなく、お肉や野菜もバランスよく食べる必要がある。
「パンだけでは栄養が片寄ってしまいます。エルヴィス様もちゃんと食べてくださいね」
「それは! ハル様が作ってくれたものでしたら、どんなものでも食べます!」
ちょっと気合いをいれた顔で『どんなもの』を強調されたのだが、不味いものを作るつもりはない。昼に食べたトマト煮込みよりは美味しいものを作りたいと思っている。
その後も、買ってきた材料で作れるメニューを考えていたのだが、なんでも手に入った日本のスーパーとは訳が違う。まず、醤油や味噌がないので、和食の家庭料理が悉く作れないのだ。
考えていたら、眠ってしまっていた。午前中の歩きで、相当疲れていたのだろう。
寄りかかって眠る遥菜をエルヴィスが優しく支えていて素敵だったと、グレースが頬を染めて言うので恥ずかしくて、恥ずかしくて。
家に着いたときに、馬車を見つけて元気に追いかけてきた兄弟が、お肉を持ってきてくれた。そのお陰で、干し肉ではなく生の肉を使えている。
ただし、魔物の肉らしい。触ると鶏肉のような触感だったので、味も似ていると信じている。
正直、干し肉なんて料理に使ったことないから、どうしようかと思っていたの。まぁ、小さくして具にすることしか出来ないんだけど。
遥菜は味見をして、塩を加えた。背後に気配を感じる。
キッチンには美味しそうな匂いが充満しているせいか、エルヴィスが何度も覗きに来るのだ。
「味見をしてみますか?」
小皿に少しのせて差し出せば、満面の笑みを浮かべたエルヴィスが、大きく頷いた。
皿を口につけ、目を見開いて遥菜を見ている。
お口に合ったのかな?
「う、うまい……。それ、全部食べていいのか?」
ふふふ。子供みたい。
話し方もフランクになってしまっていて、微笑ましく思う。
普段から、こんな風に話せたらいいのに。
「先に近所に配ってきましょう。痛むので、今日中に食べてと伝えてください」
「えぇ!! 減ってしまうではないか……」
名残惜しそうだが、配るためにたくさん作ったのだ。
「明日は別のメニューを作りますので、これは配りましょう」
まだ、鍋を凝視している。
「もし気に入ってくださるのでしたら、明日もトマト煮込みにしますから」
「そ、そうだな。分けてやらないと、いけませんね」
敬語に戻ってしまったのを寂しく感じながら、小さな鍋に移していく。
四人分だけ残して、残りを大鍋ごと持っていくつもりだったのだが、エルヴィスが「そっちを持っていくのか!?」と驚愕するので、「残ったら持って帰りますから」といいながら、小鍋の方を少し増やしておいた。
食い意地が、はっているのね……。作りがいがあるってことだけど。
独り暮らしでは、炊事を面倒に感じることもあった。喜んでくれる姿は思った以上に嬉しい。
まず一軒目は、痩せ細った姉弟の家。家を訪ねても、とても静かで心配になってしまった。
皿を持ってきてもらい、トマト煮込みを分けると弟がヨタヨタと近寄ってきた。
今日中に食べるように伝えると、母親は手を合わせてお礼をいった。
拝まれてるわ……。
その間にネイサンが、もう一軒を訪ねてくれた。青年が一人で住んでいるらしい。
最後は元気な兄弟の家だ。
肉のお礼を伝えつつトマト煮込みを見せると、兄弟が跳び跳ねて喜んでいる。
「お姉ちゃんありがと~」「がと~」
微笑ましく見ていると、エルヴィスが「ハル様と言うんだぞ」と教える。
「ハル様~」「さま~」
兄の方がホーク、弟がウルフ、父はケヴィンで母がマリアというらしい。全員が礼儀正しく名乗ってくれて、感じの良い家族だった。
家に戻ると、グレースがご飯の支度を済ませてくれていた。
すぐに乾杯し、ワインを一口含む。やっぱりワインは美味しい。
ワイン煮込みにしたら、もったいないかな。それに、小さい子に分けてあげているうちは、ワイン煮込みはお預けよね。煮込めばアルコールは飛ぶが、ワインの香りは残る。
トマト煮込みは、我ながら良くできたと思う。塩加減も最高。肉も美味しい。鶏肉に近いが旨味が強い。
「この肉、美味しいですね」
こんなに美味しい肉をくれたのだ。もう少しケヴィン家にお裾分けしても、よかったんじゃないかしら?
無言で掻き込むように食べていたエルヴィスが、次に口を開いたのは、皿の中が空になってからだった。
「お代わりってありますか?」
あると答えると、自分で取りに行ってしまった。
グレースはいつも通りオロオロしているが、ネイサンは呆れた表情。
皿を山盛りにして戻ってきたエルヴィスは、遥菜がパンにトマトソースをつけて食べているのを見ると目を輝かせた。
パンをちぎって、トマトソースをつけて、口にいれる。
満面の笑みで、さらに口一杯に頬張って、・・・美味しかったみたい。
夢中で食べ進めて、最後の一口を口にいれると、ぐったりしてしまった。
食べすぎたらしい。
食器を片付けて、お風呂に入ってきても、エルヴィスはぐったりしていた。髪はグレースに乾かしてもらい、しばらく歓談していると、ノロノロとお風呂に入りにいった。
そのときネイサンから聞いたことなのだが、魔物の肉は美味しいらしい。魔物が沸く森は、何処にでもあるわけではなく、魔物肉は貴重なんだとか。
「お見苦しいところをお見せしました」
お風呂からでたエルヴィスは、髪がしっとりしていて色っぽい。
「こんなに美味しいなら、もっと買ってくればよかったですね」
トマトのことだろうか? 食材全般のことだろうか?
「また買い出しに行けるように、明日は魔物狩りに行ってきます。ネイサンはハル様をお願いします」
魔物はお金になるのだろうか?? でも、魔物ってめっちゃ怖そうなんだけど。
「魔物? 危険なのですか?」
「大丈夫ですよ」
エルヴィスは自信がありそうだし、ネイサンも特に心配そうではない。
そんなに怖いものではないのかな??
「じゃあ、食べられますね」
遥菜の言葉に驚いているが、今までどうしていたのだろう?
「そうか! 今ままで捨てていましたが、持って帰ってきてみますね」
捨てていたのか!!
料理を気に入ってくれたのは嬉しいが、今日の様子では張り切りすぎて怪我をしないか心配だ。
「お肉は嬉しいですが、無理はしないでくださいね」
「大丈夫です!!」
逆に張り切らせてしまったようだ。
「ハル様は、今日もベッドに寝てくださいね」
いやいやいや、昨日ベッドに寝かせてもらったのだから、今日はエルヴィスの番だと思うのだ。
「昨日はベッドをお借りしてしまったので、今日はエルヴィス様が寝てください」
「いやいや、あんなに美味しい料理を作ってくれたのですから、ハル様がベッドで寝るべきかと」
そういう問題なのか?
「お二人ともベッドで寝たらいいのではないですか? 夫婦なのですから」
「で、で、でも!! ハル様は神の御座す地の娘だぞ!!」
「そうだとしても、あなたの妻です。少し無理にでも距離は詰めるべきです」
ネイサンが実力行使に出るとは思わなかった。
浮遊の魔法を使って、ソファーを廊下に出してしまったのだから。
まさかのグレースも手伝っていた。ニコニコ嬉しそうに手伝っているのを見ると、文句なんて言えないよね。
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