第5話 新生活1

 優雅な動作で差し出された手を、取ればいいのか迷っている。

 人生で男性にそんなことをしてもらった覚えがない。

 中途半端に上げた右手の行き場に困っていると、黒髪の男はその手を優しく取って立ち上がらせた。

 男の身長は、遥菜より頭半分ほど高い。

 驚くほどの優しい笑顔に、見惚れてしまった。

「一応花嫁らしく白いワンピースなのだな。こんな急な嫁入りでウェディングドレスも着せてやれなくてすまない」

「ウェディングドレス……」


 そう言えば、小・中学生の頃には夢に見たが、それ以降は考えたこともなかったなぁ~。


 そんなことを想像していたら、急に思いだした。

 昨日着ていた新しいスポーツウェアも、ほとんど履いていないランニングシューズも見当たらない。

 服に関しては仕方がないが、ウエストポーチにはスマホが入っていたはずだ!! 

「私のスマホ!!」

 ついウエストポーチをつけていた場所に手をやり、次にポケットを探す。

 寝ている間に着替えさせられているのだから、あるわけないのだ。

 地球ではないのだから使えるとは思えないけれど、生活の一部となったスマホがないことに、えも言われぬ不安を覚えた。

「スマホとは、なんだ?」

「昨日家を出たときには持っていたはずなの」

 黒髪の男がリーウェイ師長に声をかけた。

「娘の持ち物は?」

「他のものが預かっているだろう。ただ、返せるかどうか……」

「そんなに大事なものなのか??」

「大事なことは大事だけど、ここでは使えないと思うから……」

「ここでは使えない? 通貨のようなものか? 本来なら、そなたの持ち物に手をつけるなど、あってはならないのだがな」

 盛大な勘違いを正す気も起きないくらい、大きな喪失感を抱えてしまった。




 黒髪の男に手を引かれて、家の中を案内されている。

 ほとんどなにも置いていないキッチンに、お風呂。二階は使用人の部屋と主寝室らしい。

 広い主寝室には、キングサイズのベッドとソファーがあった。

 左手首を確認すると、痣が目にはいる。本当にこの男と結婚してしまったようだ。

「旦那様。荷物が届きそうです」

 執事みたいな人から声をかけられ、一階に降りるとリーウェイ師長の前が丸く光っていた。次々に四角や記号が浮かび上がり、強く光ったり弱く光ったり、夜の公園で遥菜の足元に浮かび上がったものと似ている。

 一際強く光ったと思ったら、荷物が現れていた。

「リーウェイ、二人だけなら先に出た馬車にも追い付けるだろう。そちらのことは頼んだぞ」

 リーウェイ師長は、恭しく頭を垂れると馬車に乗り込んで帰っていった。




 執事とグレースに荷解きを任せると、遥菜はソファーに座るように言われた。

 目の前に座る男をまじまじと見る。

 黒髪は短めでサラサラ。焦げ茶色の瞳は澄んでいる。長い睫に整った顔立ち。背は高くて筋肉質。ダークグレーのスーツがとても似合っている。

 歳は………遥菜と同年代に見えた。

 白い肌は少し不健康だが、アイドルや俳優と言われても信じてしまうだろう。

「君には申し訳ないが、俺はしがない学者なんだ。贅沢な暮らしをさせてやれない……」

 先ほどまでとは打って変わって、優しげな口調で申し訳なさそうに眉を下げる。

 彼のいう贅沢な暮らしがどういうものか、良くわからない。 

 日本に戻れるのであれば、他のことはどうでもよかった。

「私は日本に戻りたいです。戻る魔法はないと言われましたが、本当にそうなのでしょうか?」

「ニホン?? 神の御座す地のことか? ……あ~、戻る魔法は見つかっていないな。見つかる保証はないし、私も自分の研究と日々の生活で忙しい。空いた時間で良ければ考えてみよう。それでいいか?」

「ありがとうごさいます」

 リーウェイ師長との会話で、男が偉い人だとわかった遥菜は、深々と頭を下げた。

「やめてくれ。私たちは召喚師どものせいとはいえ、愛の誓いを結んだ間柄だろ」

「でも、貴方は偉い人なのでしょう」

 社会人の常識として、偉い人、しかも今日会ったばかりの人に、軽々しい態度で接することはできなかった。

「私の身分は気にしないでくれ。しがない学者なのだから」


 身分?


 身分がある世界なの?


 身分制度は、……残念ながら、よくわからない。


 しがない学者……?


 学者とは、研究者ってことかな?


 しがないとは、大きな成果を残していないという意味かしら?


 男が本当に、しがない学者として生活しているのであれば、逆に金銭的なことが気になってしまう。

「私を押し付けられても困るのではないですか?」

 日本だけではなく他の国でも、金銭的な理由で結婚をしない若者だって増えているというのに。

「えっと……。どういう意味だ? 神の御座す地の娘は、発展の象徴。私は娘に不自由させやしないかと……」

「旦那様、価値観のすり合わせは徐々に行いましょう。まずは、お互い自己紹介するべきでは?」

 執事が、荷解きをしながら声をかけてきた。手伝っているグレースは、その様子を伺って、ビクビクしている。

「あぁ、そうだな。こいつはネイサンだ。屋敷のことを色々やってくれる」

「旦那様、なぜ私から紹介するのですか?」

「神聖なる、神の御座す地の娘だぞ!!」

 頬を染めてネイサンに言い返している男が、子供っぽく見えた。

「しっかりしてください。代わりに紹介なんてしませんからね。お嬢さまのお名前も自分で聞いてくださいよ」

 さっきまでの態度は余所行きだったのだろうか。言い争いが始まってしまった。

「な、名前があるのか??」

「当たり前ではないですか!? 神の御座す地の娘といっても、我々と同じ人間ですよ。名前くらいあるでしょう」

 呆れた様子でため息をつくネイサンは、黒いスーツで短髪を後ろに流していた。

 主人の男に気軽に話しかけている。この人なら仲良くなれそう。


 コミュニケーションと情報収集は大切!!


「あ、あの、ネイサンさんですね」

 ネイサンは少し目を見開いたあと、優しそうに微笑んだ。

 少しだけ『サン』が続いて呼びにくいかも。

「私は使用人ですから、ネイサンとお呼びください」

「ネイさん?」

 呼びやすいけど、別の意味になってしまいそう。

「ん? まぁ、それでもいいでしょう」

「私は遥菜です。彼女はグレースさんっていうんですって」

「覚えていてくれたのですか?」

 少し驚いたあと、慌てて訂正した。

「グレースとお呼びください」

 女の子同士だもの。呼び捨てもいいかもしれない。

「私も遥菜と呼んでください」

「そ、そ、そ、んな訳にはいきません。奥様ですから」

 ゾワゾワ~っと鳥肌がたつ。

「奥様はやめて下さい~。呼びにくいのであれば、ハルって呼んでください」

「ハル様」

 ……様~!!!

 ソファーに座って話しているから、偉そうに思われたのかもしれない。

「ハルです! 様はやめて下さい~!! 私も手伝います! 私のものなんですよね!!」

 グレースは「えっ? えっ?」と戸惑っていたが、荷物のところに行き、包みを開けていく。

 

 シャツやスカート、ワンピースが出てきた。途中で下着が入っている袋に気がついたグレースが、そっと中身を他の服の間に押し込む。


 視線を感じて振り向けば、黒髪の男が捨てられた子犬のような顔をしていた。

 ソファーに座ったまま振り返り、背もたれに寄りかかるようにして、茶色い瞳をウルウルと潤ませていた。


 えっ?? 私のせい??


 慌ててネイサンに声をかけると「放っておいてください」と、冷たい反応。

 それを聞いて、目を見開くグレースが気になったものの、遥菜では何が最適かわからない。


「うわぁぁぁ~!! 俺も手伝う!!」

 急に大声を出し、ソファーから立ち上がると、荷物が置いてあるテーブルのところにやってきた。

 ネイサンがニヤリと笑い、グレースが慌てる。

「旦那様、ちゃんと名乗ってくださいね」

「俺はエルヴィスだ!! そもそも、いつもは旦那様なんて呼ばないだろ!?」

「えぇ、そうですね。エルヴィス様」


 エルヴィス……様?? だね。


 ペコリと頭を下げ、「遥菜と申します」と挨拶する。

 エルヴィスは、遥菜と目を合わせて微笑むと、本当に手伝い始めた。


 よかった。嫌われてはいない。


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