【2013年編】天を仰ぐ③

 2009年10月---


 事故から半年以上が経ち、怪我自体は完治していた。

 だが、左半身に後遺症が残りリハビリの日々に心身共に疲れ果てていた。

 休職中の仕事についても、復帰の目処が立たないという理由で退職勧告を突き付けられた。


 工場内での、精密機器を扱う兼ね合いで、左手足が満足に動かない。

 会社としても仕方ない判断だと思った。唯一の救いだったのは会社都合の退職扱いにしてくれたお陰で、失業保険は直ぐに支払われたことだ。


 ナオは、業務中の事故なのにと納得はしていない様子だった。


 年末の繁忙期に、完成品の納品のため高速道路を使い県外の取引先まで走っていた。


 後方を走っていた大型トラックの居眠り運転により、前方に居た私の車もろとも中央分離帯に衝突した。


 中央分離帯とトラックの間に挟まれ、救助にきた救急隊員らはを覚悟していたらしい。


 病院のベッドで目覚めた時には、既に年は変わり2月に入ろうかとしていた。検査の結果、脳には損傷は見られず、目覚めてから1週間もしないうちには会話することも出来ていた。


 事故の状況から、この程度の怪我で済んだのは奇跡だと医者は言っていたが、退院後のリハビリ生活は入院中より辛く苦しいものだった。


 その頃の私は、職につけず一人暮らしのアパートも引き払い実家に戻っていた。

 個人で建築業を営んでいる父は、寡黙かもくな職人気質な人間だった。

 そんな父が、目覚めた私を見て号泣していたのを覚えている。


 実家では、両親が使っていた1階の寝室を自室として使用していた。

 この部屋で、リハビリセンターに行かない日には1人でその場足踏みを黙々とやっていた。


 3ヶ月もすると、杖が無くても足を引き摺る形にはなるが自立歩行がなんとか出来るようになっていた。


 ある日の夕食時、父が珍しく話しかけてきた。


「足の具合はどうだ?」

 父はテレビを見ながら、母が注いだ茶を口に含みながら言った。


「まぁ、階段は手摺てすりが無いとちょっと不安だけど、平地だったら割と歩けるかな。」


「そうか---。家に閉じこもってても暇だろ。明日の現場、リハビリと思って一緒に来てみるか?」

 父は一度も私の顔を見ずに言った。


「現場って--俺、まだ足場には登れないよ。」

 学生の頃、何度か手伝いで父の仕事について行った事がある。

 一軒家の建築なので、作業現場は足場を登る必要があった。


「登らなくていい。お前は敷地内が端材はざいで散らかったら掃除したり、俺が指示した道具を滑車で上げてくれたらいい。」

 父なりに早く日常生活を送れるようにと考えていたのだろう。


 母は父の言葉を聞きながら涙ぐんでいた。


「分かった。邪魔にならないように頑張るよ。」


 次の日、朝5時に起き、父のステーションワゴン型の仕事車で現場に向かった。

 現場には、いくつかの会社から来た様々な職人達が居た。


 その日は大工、コーキング職人、そして屋根板金職人の父。


 現場の職人達は父とも古くからの付き合いの人達もいた。

 皆事情も知っていたらしく、現場監督も含め一様に気遣ってくれていた。


 聞いた話によると、私を現場に入れてもらえる様、私と年齢も変わらない監督に頭を下げてまで頼み込んでいたらしい。


 そんな話を聞くと、私も「何か出来るようにならなければ」と活力が湧いてきた。


 大工が作業で出した端材や、コーキングのクズ、屋根材の破片の掃除、破れた養生シートの補強などやれることから手伝った。


 健康体なら何ていうことの無い作業だが、左半身が満足に動かない分、少し動いただけで汗だくになっていた。


 昼になると、一番若い大工職人が私に気遣い、車の乗り降りも大変だろうと私の分の弁当も買って来てくれた。


 足でまといなはずの私に対する心遣いに、リハビリをもっと進めて、彼等に姿を見せたいと思うようになっていた。


 ----

 2010年2月


 父に現場に連れて来て貰うようになって4ヶ月程が過ぎていた。


 それまで、ゴミ集めに苦労していた私も、今では階段付きの足場で、低い場所であれば足場を登れるまでになっていた。


 それまでは建屋の外だけを掃除していたが、この日は大工の棟梁から手伝ってくれと声をかけられ、建屋2階部分での作業現場の掃除や、打ち付ける木材をズレないように押さえる係をやっていた。


「トキオ君、だいぶ歩けるようになったなぁ。」

 棟梁は自分の事のように喜んでくれた。


「まだ少し、高い段差はキツいんですが、それ以外は割と大丈夫です。---ありがとうございます。」


 現場に来るようになり、凹凸のある地面やちょっとした段差のある場所を歩くことが多かったお陰なのか、については、リハビリ開始時に比べ、格段に良くなった。


 ただ、まだ左腕の各関節の可動域が狭く、力が入りにくい。

 こればかりはリハビリセンターで作業療法士のアドバイスに従うしかなかった。


「---おい、トキオ---」

 上から父が呼ぶ声が聞こえる。

「親父、どうしたー?」

「今日は、母ちゃんが弁当持たせてくれてっから、車から持って来てくれ。飯にするぞ---」


 やっと壁がついたばかりの建屋一階で職人達と各々の弁当を広げていた。


「うぉ、愛妻弁当っすか、良いっすね」

 若い職人が父の弁当を見て卵焼きをせがんでいた。


「息子も来てるから作り出したんだよ。俺一人じゃ作ってくれん。」

 父は無愛想な口ぶりだが、表情は嬉しそうだった。


 一番右端には私の大好物である、がめ煮が入っている。

 人参を食べた瞬間、違和感を感じた。


「---あれ?これ、普段と味が違う。母ちゃん、醤油変えたのかな。」

 僅かに味が薄く感じた。

 母は煮物の際は、濃口醤油を使うのだが、この味は薄口で作ってるような味付けだと感じた。


「---なんだ。お前、知らなかったのか。」

 父がつぶやく。

「何が?」

「その煮物な、ナオちゃんが作って持ってきたモンだ。お前が実家に戻って、俺と現場に来るようになって、母ちゃんに2って何種類かオカズを作って持って来てくれてる。ほぼ毎日。」

「--ナオが?」

「昨日の晩飯の、付け合わせのおひたしもそうだ。」

 知らなかった。ナオは何も言ってなかった。

 ---アイツ、マジで俺を泣かすつもりかよ


 私は涙を堪えながら、完食した。


「いい子と巡り会ったな。あの子の為にも、お前は生きろ---」


 父の言葉で一番残っている言葉である。











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