【2013年編】焦燥②

 2013年5月---。


「へぇ---。じゃあ、私の後は色んな人と付き合ってたんだ。」

 彼女は大袈裟おおげさとも取れる、さげすんだように話す。


「まぁ、なんつーか。断るのも理由が無いし、ひょっとしたら好きになれるかと思ってた。」


 何を言い訳がましく言ってんだろう。

 結婚相手として決まっているでは無い相手なのに。


 確かに、彼女と別れた後は酷いものだった。告白されては付き合い、面倒だからと特にデートや2人きりの時間を作ることも無かった。


 ただ、自身の寂しさを埋めるためだけに、いや、誰かにと実感したいだけだったのだと思う。


 そんな私に愛想を尽かし、私の元を去る女性は少なくなかった。私自身も去るものは追わず。それが格好良いとさえ思っていた。


「まだ思い出せない?」

 彼女は穏やかな口調で話す。


「思い出す---とは違うけど、何となく分かった気がしたよ。」


 そう。

 多分、別れた後の私の行動だった。

 きっと彼女は、何かしら噂程度にも私の事を聞いていたのだと思う。


 --結局、誰でも良かった。

 --身体目的だった。


 彼女はそう感じたに違いない。


「そうか---。分かった。俺がチカに無理強むりじいした。」


 卑怯だ。


 言葉を選び、出来る限り綺麗な言葉を吐いた。


「ちょっとだけ、違うかな。」

 そう言うと、彼女は「ふふ」と小さく笑った。電話口の向こう側で、あの時の様な笑顔で話している気がした。気がしただけかも知れないが、彼女の声は明るかった。


 辛かったであろう過去の話を、明るく話せる。彼女にとって、私は既に過去の人間なんだと気付いた瞬間だった。


 では、何故。

 彼女は何を聞きたいのか。


 私は更に混乱していた。


 --------------------


 2002年7月20日---


 昼過ぎ、私は彼女を地元に呼んでいた。

 今日は大学もアルバイトも休みだった。

 しかし、アルバイトを始めてから初めての給料日だったのだ。当時は振込等ではなく、直接手渡しで給料を貰っていた。


 朝からアルバイト先を訪ね給料を受け取ると、私は一人舞い上がっていた。

 アルバイトの初任給が入ったこと、自動車免許を取得したこと。話したいことが沢山あった。


 これからはお金も時間も、彼女の為に使う事が出来る。


 最寄り駅まで、彼女を迎えに行き自宅までの道中のコンビニで、昼食や飲み物、お菓子等を買っていた。


 彼女を自宅に連れ、両親に紹介した。

 母には、「今日の夜飯は外で食うから」と伝えていた。


 自室に入ると、彼女は終始笑顔だった。

 物珍しそうに部屋の中を見渡す。


「あ、トキってギター弾くんだ。」

 彼女は壁に立て掛けていたベースを指して言った。


「いや、あれはベースね。俺、小学生の時にセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスに憧れてベース始めてさ---。シド、分かる?」


 普通の女の子には、到底理解出来ないマニアックな話だったと思う。


 彼女は一瞬考えた末、


「あ、椎名林檎の『ここでキスして。』の歌詞に出て来る?実在の人だったんだ---。」


「そうそう。あと、最近なんとかって漫画に似たキャラクターが出てるらしいよ。」


 私は出来るだけ彼女に分かりやすいように伝えた。更に---。


「これ。俺が描いたシド。」

 当時、私は鉛筆で人物画を描くことにハマっていた。


「あー、上手ね。この漫画分かる。主人公の女の子の彼氏?」


「そのモデル。実在した。死んだけどね。」


 おそらく、そこまで興味は無かったと思う。でも、彼女は私の趣味の話や好きな事。

 興味津々に聞いてくれた。


 借りてきていたレンタルビデオを一緒に観たり、私の卒業アルバムを見たり。

 他愛ない話をしながら過ごしていたと思う。


 軽くじゃれ合ってると、ふとした拍子に彼女の胸に手が触れた。

 故意ではないとは言え、彼女は驚いた様子だった。


 下の階には両親がいる。

 付き合って間も無い。


 理性では分かっていたが、一度触れると二度、三度と触りたくなるのが男の性。


 もちろん、彼女は嫌がっていた。

 嫌がった---と言うよりも「お母さん達来るよ」と諭す感じだった。


 構わない。

 彼女に触れたい。

 今すぐにでも、セックスがしたい。


 ハッと理性を取り戻し、彼女の顔を見た。すると、彼女は困った様な、動揺したような表情だった。


 ふと、時計を見ると18時を回っていた。

 そうだ。今日は彼女に夕食をご馳走する。それが本来の目的だった---。


「悪ぃ。---晩飯、何食べたい?チカの食いたい物食いに行こう。リクエスト受け付けるよ。今日は俺の奢りだから---」

 少し気不味くなった雰囲気を立て直すかのように、自分でもわざとらしく感じる程、明るい口調で言った。


「え?何で?」

 いきなりの提案に彼女は目を丸くしていた。


 時給600円。

 一日当たり5時間程。

 週に3~4日。


 大した額では無かったが、初めての給料は彼女が喜ぶように使いたかったのだ。


「え、せっかくのお給料なんだから、自分の為に使いなよ。」


 その気遣いが私には嬉しかった。


 いいから、いいから、と半ば強引に食べたい物を聞き出した。


「それじゃあ---。」


 --------------------

 彼女は比較的安価なカツ料理チェーン店を選んだ。


 食事を終えると、20時を回っていた。

 ここから駅までタクシーで送って、彼女が帰り着くのに40分程。


 今からだと21時までには帰す事が出来るな---。

 出来るだけ、早い時間に彼女を自宅に送り届けたかった。


 駅に着くなり、彼女は私のTシャツの裾から手を離さない。


「まだ---一緒に居たい。」


「いや、その。帰らないとほら、遅くなるし。---分かった。俺も電車乗って家まで送る。それで良い?」


 彼女は私に抱き着いてきた。

 そして笑顔で言った。


「ありがとう。わがまま言ってごめんね。」


 ---ありがとう。か。

 しかし、この笑顔を見ることは二度と無かったんだ。

 ---思い出した。

 そうだ。断片的だが覚えてる。

 自宅前まで送って別れる間際、彼女はこう言った。


「ごめんね。トキの気持ちにまだ応えられなくて。」


 彼女は私の胸の中でそう言った。


「---それじゃ、バイバイ。」


 私の胸から離れる瞬間、彼女の手を引き、抱き寄せ最初で最後のキスをした。


 キスしたことに舞い上がっていた私は、帰路の道中の事など全く覚えていなかった。


 朝起きて、「今日はチカと同じ時間の電車だ」と無駄に張り切って、家を出た記憶がある。


 乗り込んだ電車---。

 彼女の駅に近付いていく。

 ニヤけてないか。

 いつものように話せるか。

 色んな事を考えていた。


 数駅の後、彼女が乗り込んで来た。


「おはよう。」

 いつもなら、彼女から挨拶をしてくるのだが、その日は私から声を掛けた。


「---うん。おはよう。」

 彼女は表情が暗く、疲れているようだった。

 座るなり無言で、話しかけても乗り気無い様子だった。


 能天気に「疲れているのか」なんて考えていた。


 その日の昼休み。

 私はいつものように学生ホールで彼女を待っていた。


 しかし、昼休みが過ぎても姿を表さない。

 電話を鳴らしても、留守番電話。


 嫌な予感は現実となり、届いたメール通知音が私をどん底に突き落とすこととなった。








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