第10話 木蘭様の正体が皇太子殿下なんて聞いてません!!
それから半刻後――。
打ち合わせの段階では、寝物語を聞かせた設定の苺苺が、眠った設定の木蘭の部屋から出ていく……という予定だったのだが。
不眠症に悩まされていたはずの木蘭が、寝台に横になった途端にすやすやと眠ってしまったので、苺苺は部屋を出るに出られなくなっていた。
(せっかく久しぶりに、こんなにぐっすりと眠れたのですもの。不用意に音を立てて、起こさないようにしなくては)
白蛇ちゃん抱き枕を抱えながらお喋りをしていた苺苺は、使命感に駆られて物音を立てないようにしながら、辺りに気を配る。
このまま木蘭が起きなければ、一刻半くらい経ったあとに部屋を出よう。そう決めて、静かに新しい刺繍を始める。今夜は『白蛇の針』は使わない。
(この団扇ができあがったら、木蘭様へ贈りましょう。……そうですわっ。わたくし用の団扇もお揃いの図案にしたら、誰もが夢見る推しとのお揃い団扇が叶います……! 楽しみですわね)
どこからか二胡の音色が聞こえてくる。
ただの女官の腕前とは思えないほど上手だ。弾き手はきっと、二胡の名手と名高い若麗だろう。
なかなか眠りにつけない木蘭を想い、演奏しているに違いない。
緩やかに心と身体を解す優雅な調べは、昨晩から徹夜でぬい様を作っていた苺苺にもよく響く。
苺苺はいつもの就寝時間を迎えると、こくりこくりと船を漕ぎ始めたのだった。
◇◇◇
「……俺はいつの間に眠って……――なぜ、苺苺がここに寝ているんだ」
広い寝台の上で上半身を起こした美青年は、寝台に腰掛けた状態で倒れている少女を見つけて、寝ぼけていた思考が一瞬で覚醒した。
(作戦と違うではないか。だから泊めたくなかったんだ。いや、俺が寝室に入れたのがそもそもの間違いか……)
ああ、頭が痛い、と美青年は骨ばった大きな手のひらで額を押さえる。
夜中の紅玉宮を他の妃が女官も付けずにうろうろするのは、非常に怪しい。
だから女官に見つかった時のために、『幼い木蘭が寝物語をねだったせいで遅くまで妃の寝室にいた苺苺は、自室の場所がわからずにうろうろしていた』、という言い訳を作れるようにした。
それなら、見張りがどんなに夜中まで及ぼうとも、悪意を向けられている頃合いを見計らって、他の女官を気にせずに犯人探しに行ける。
(……とにかく、眠ってしまった俺が悪いな。だが、今はそんなことよりも、彼女を起こさないように部屋を出なくては。この姿で見つかれば面倒が増える)
立ち上がった瞬間、ぎしりと音を立てて寝台が軋んだ。
「……っ!」
「んう、木蘭様? 起きられましたか? ……ごめんなさい、わたくしとしたことが、ついうっかり眠ってしまって――!?」
上半身を起こし、寝ぼけ目を擦っていた苺苺が大きく目を見開く。
「きゃ――」
「すまない。静かにしてくれ」
「むぐ、むぐうぅ!」
見知らぬ美しい男性を前にして悲鳴をあげそうになった苺苺の口元を、大きく無骨な手が素早く覆った。
「俺の名は、燐 紫淵。この国の皇太子だ」
(……この方が、紫淵殿下……!? 姿絵では悪鬼面をかぶっておられましたが……確かに、どことなく似ているような気もいたします?)
今はその顔を晒しているため、苺苺はまじまじと美青年を見つめる。
透き通った菫色の瞳は、長い睫毛に縁取られている。目元は鋭く、誰をも惑わせる色気を持っていそうな絶世の美貌は、氷のように冴え冴えとしていて近寄りがたい。
紺青の黒髪を高い位置でひとつに結い上げてもなお、腰のあたりまで伸びる長い髪は、『まるで銀河のように艶やかだ』と思った覚えがあった。
苺苺はなんとなく状況を理解して、おとなしくこくこくと頷く。
「そして、信じがたいと思うが――朱 木蘭でもある」
苺苺はこくこくと頷きそうになり、思いっきり首を捻った。
(な、なにをおっしゃっているのです? 皇太子殿下が、木蘭様?? 似ても似つかぬお姿ですわ!!!!!)
口元を覆われていて喋れないため、慌てふためいた苺苺は身振り手振りでなんとか伝えようとする。
「君の言いたいことはわかる。だが、誰がなんと言おうとも、木蘭は俺なんだ」
(そんなこと、あるわけが……!)
反論する苺苺をまっすぐに見つめる菫色の瞳は、確かに木蘭とまったく同じ色だった。何度も木蘭を観察し、刺繍糸の色味を選んできた苺苺が、見間違えるわけがない。
細かな仕草や口調も一致している。
(わたくしに異能があるのですもの。紫淵殿下が木蘭様であってもおかしくはありません)
苺苺は理解したと示すように頷く。その様子を見て、紫淵は「手荒な真似をしてすまなかった」と手を離した。
「……あの、一体なぜ紫淵殿下が木蘭様に?」
「悪鬼の呪詛で、皇帝の長子は成人になるまで何かしらの怪異に巻き込まれる」
「もしや、燐火の悪鬼の」
「ああ。千年は続く呪詛ということになるな。俺の場合は、夜だけ幼い少女になるというものだったのだが……。昨年の暮れより、日常的に木蘭の姿になるようになってしまった」
木蘭の姿では政務にも差し障りがあるだけでなく、命も狙われやすくなる。白州を訪れた理由は、その場で燐家最大の秘密を晒すことになろうとも、呪詛を解いてほしかったからだそうだ。
だが悪鬼の呪詛は、人間の悪意ではないので苺苺には視えずに終わる。
悪鬼の呪詛はその後もひどくなり、とうとう年明けには夜だけしか元の青年の姿に戻れなくなった。そのため、紫淵の身を案じた皇帝によって、成年を迎えてから封を解く予定であった皇太子宮が解禁されたのだ。
朱家の姫として後宮に入ったのは、素性を徹底的に偽るために母の生家を頼ったらしい。
「それが今や、夜中であっても、ほとんどこの姿には戻れなくなった。それが、昨日に続き今日までも戻れるとは……運が良いのか、悪いのか」
この秘密は両親と、今目の前にいる苺苺しか知らない。紫淵は深くため息を吐くと、冷たい手を苺苺の頬に添えた。
「さて。秘密を知られた以上、ここから君を出すことはできなくなった」
「へ!?」
「白 苺苺――。君には、俺の『異能の巫女』として、しばらくの間この宮に住んでもらう」
「ええっ!?」
「もうじき日が昇る。犯人探しは夜中しかできないからな」
紫淵はにやりと美しく微笑む。青年の姿はみるみる幼くなり、目の前には寝衣のあやかしちゃん姿の木蘭がいた。
苺苺の頬に添えられていた手のひらは、大きさと温もりを変えて、そこにある。
「苺苺。乗りかかった舟だ。最後まで妾に付き合ってもらうぞ」
愛らしい幼妃の策士な笑みに、苺苺の鼓動は緊張感でどきどきと高鳴る。
(えっ? えっ? どういうことですの?? もしかしてわたくし、推し活をしていたはずが、なにやら重大な秘密を知ってしまったのでは……!?)
◇◇◇
それから数ヶ月後――。
紅玉宮の恐ろしい女官は紫淵の手によって捕まり、無事、苺苺よって木蘭沼に沈められた。捕まった女官の名は、朱 若麗。
彼女は幼い頃に恋をした紫淵の妃になれると思っていた矢先、叔母の縁者にその座を奪われ、女官となった。
しかし紫淵を恋い慕うあまり、紫淵の寵愛を一身に受けている(ように見えていた)木蘭に悪意を向けずにはいられなかったらしい。
女官として、時には姉のような立場で、幼い木蘭を慕っていた時間も確かにあったと彼女は言った。苺苺の前で呪妖が姿を表さなかったのが証拠だ。
だが彼女は、紫淵の命により後宮を去ることになった。
そして……二年の月日が経ち。
皇太子宮は、ひとつの宮を残して封じられることとなった。
後に紫淵皇帝が溺愛し庇護する〝唯一の寵妃〟となったのは、紅玉宮の『異能の巫女』。
紫淵を献身的に支えた聡明な皇后と多くの女官や宦官に推され、慕われた白蛇妃――白 苺苺である。
【完】
――――――――――
短編版はこれにて完結です。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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【書籍化】後宮の嫌われ白蛇妃ですが、推しのためなら悪意も美味しくいただきます 碧水雪乃@『龍の贄嫁』12/25発売予定 @aomi_yukino
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