第9話 底なし沼に沈めて差し上げます

 お茶会は一旦お開きとなり、木蘭の命にて紅玉宮の一室には苺苺用の部屋が整えられた。

 水星宮に帰り白蛇ちゃん抱き枕を抱えて戻って来た苺苺は、若麗と歓談しながら、用意された部屋に手荷物を置く。


「まさか木蘭様が、苺苺様と『お泊まり会をしたい』と言い出すなんて、本当に夢のようです」


 若麗は心底安心した様子で、姉のような、ぬくもりにあふれた優しい微笑みを浮かべる。


「まだ六歳だというのに、木蘭様は大人びていますでしょう? 私たちが幼い頃に夢中になった遊びなどには、興味もなくて。一日中、大人さながらに書物を読まれたりなさるものですから」

「そうなのですね。木蘭様は天女様の御使ですから、天界で遊び尽くしていらっしゃったのかも。もしかしたら本当は、六歳ではないのかもしれませんわ」


 六百歳とか! と苺苺がくすくすと笑いながら言うと、若麗もくすくすと笑って、「そうかもしれません」と応じた。


「もうすぐ夕餉の用意が整いますので、しばしお待ちくださいね」

「はい」


 その後も若麗に木蘭の可愛い日常話を聞きながら、苺苺は幸福に浸る。

 木蘭は読書家で、自由な時間があれば、いつも時間を忘れたように皇太子殿下からいただいた書物を読んでいるそうだ。

 毎日決まった時間に妃としての勉強にも勤しんでおり、皇太子殿下に馴染みのある老齢の老師せんせいが付いているが、若麗が指導役となることもあるとか。


(お噂通り、木蘭様は皇太子殿下と仲がよろしいのですね。きっと皇太子殿下も、木蘭様推しなのですわ! ふふふ、わかっていらっしゃいますわね!! どんな方かはあまり存じ上げませんが、同じ木蘭様推しとして親近感を覚えずにはいられませんわっ)


 若麗の語る、木蘭と皇太子殿下のほっこり小話に、苺苺は癒されすぎてにやにやが止まらない。心がほんわか温かくて、幸せでほっぺたが落ちそうだ。


「殿下が清明節の剣舞の舞い手に木蘭様を指名なさった際も、殿下が短剣を賜られたんですよ」

「素敵なお話ばかりですわね。それにしたって、とっても羨ましいです」

「ええ、本当に。木蘭様が羨ましいですわ」

「そこは皇太子殿下が、ではないのですか?」


 苺苺がくすくす笑いながら突っ込みを入れた時。

 寝台に並べていたぬい様が一体、ザクッ! と音を立て、切りつけられたかのように裂けた。


「な、なんの音でしょう?」

「すみません、わたくしのぬいぐるみですわ。ぬいぐるみが無いと眠れない性格なので、たくさん持って来たのです。きっと移動の時に引っ掛けてしまった部分が、裂けてしまったのだと思います」


 先ほどのお茶会の時に、木蘭に頼み数本の髪の毛を貰えたため、ぬい様は形代として全力が出せている。呪靄と呪妖を少しも漏らさずに自動的に封じて祓っているので、限界が早く来たのかもしれない。


(ぬいぐるみが突然裂けるなんて、気味悪がらせてしまいましたよね……)


 苺苺は心配しつつ、そっと若麗をうかがう。

 しかし、若麗は寝台にこれでもかと並べられたたくさんのぬいぐるみを眺めながら、「苺苺様は木蘭様がお好きですのね」と、今にも涙しそうな優しい微笑みを浮かべていた。




 他の女官が「夕餉の準備が整いました」と呼びに来たことで、苺苺は木蘭の待つ食事をするための一室へ向かった。

 木蘭と食卓を囲めるなど夢のようだ。苺苺は豪華な夕餉に舌鼓を打った。

 そうして、湯殿を借りて湯浴みも行なったあと。

 苺苺は「寝物語を語りに」と女官に伝えて、木蘭の寝室へと来ていた。


 道術を操る恐ろしい女官の目を欺くために、苺苺は寝衣に羽織をまとっている。これは『年齢の壁を越えて仲良くなった妃たちのお泊まり会である』と、印象付けるためだ。

 花瓶に生けてある木蓮の花が、ひそかに香る。

 木蘭も寝衣をまとい、その上に同じように羽織を羽織っていた。しかし、なぜだか寝衣は丈も袖もぶかぶかだった。

 どう見ても大人用の、もしかすると苺苺でも大きいと感じるかもしれない寝衣をまとっている。


(床に裾が引きずって……。こ、これは、もしや……!)


 後宮妃であれば、間違いなく、『もしや皇太子殿下の寝衣か?』『皇太子殿下はこの宮に寝衣を備えておくほどお通いに?』『国を守護する行事で大事な剣舞を舞わせるだけでなく、これほどの寵愛を!?』と怒りと嫉妬に駆れるところだが、しかし。


(寝衣のあやかしちゃんでしょうかっ! あああ愛らしい! 愛らしすぎますっ! このお姿の寝台に横たわる木蘭様ぬいぐるみを作りたい……!! おねんね姿の木蘭様、略して〝ねむねむ様〟。欲しいですっ)


 苺苺は真っ赤に染まった頬を両手で押さえる。

 後宮妃としてどこかおかしい苺苺は、推し応援作品を製作したい意欲がぁぁぁ、収集したい物欲がぁぁぁと、ときめきと尊みに駆られていた。


 内心荒ぶりまくっている苺苺には気づかず、木蘭は寝台の端へ腰掛けるように勧めた。

 豪華な天蓋付きの寝台は、苺苺がかつて見たことないほど大きい。大人が五人は寝転がれそうである。

 幼い木蘭がひとりでここに寝るのは、きっと寂しいだろう。両親を思い出したり、兄弟姉妹を思い出したりするかもしれない。その上、不眠症気味とあっては、心が蝕まれていくのも時間の問題に思えた。


ふり・・ではありますが、せっかくのお泊まり会ですから。少しでも、幼い頃の楽しい思い出を作っていただきたいです)


 そう思い、苺苺は遠慮せずに寝台の端に腰掛けることにした。

 同じく寝台に腰掛けた木蘭は、幼女らしからぬ難しい表情で、「確定だな」とため息まじりにいった。


「夕餉に呪毒は宿っていませんでしたね」

「ああ。ということは、妾が茶会に携わらせた女官の中に、犯人がいる」

「はい」


 苺苺は気を引き締めて、背筋を伸ばし、真面目な表情で返事をする。

 お茶会での打ち合わせで、木蘭は夕餉に携わる女官を総入れ替えすると言い出した。『せっかく苺苺が炙り出してくれるんだ。できることは全部やろう』とは、六歳には思えぬほどの名言であった。


(幼くてもやはり貴姫となったお方。さすが、聡明であらせられますわ)

「お茶会に携わった女官は五人でしたね。お名前とお顔は一致しておりますから、今夜こっそりと見張りをいたします」


 五人の女官の中には、筆頭女官の若麗もいる。

 なので、実質的には四人の女官を見張ればいいだろう。

 数体のぬい様と白蛇ちゃんの抱き枕を持ってきていた苺苺は、「では作戦の確認です」と、もともと小声で話していた声の音量をさらに小さくした。


「現在、このぬい様ひとつだけに、木蘭様の髪を一本入れてあります。夜中に向けられる悪意は全てこの子に集まるので、不眠症を引き起こすほどの悪意であればすぐに限界を迎えて裂けてしまうでしょう。その時に起きている女官、もしくは明かりの点いている部屋を確認してまいります」


 苺苺はいざ出陣! とばかりに、ぬい様を両手で持ち上げて突き出す。

 木蘭様の髪は懐紙に包んで袂にしまっているので、すぐに新しい形代も用意できる。


(ふっふっふ。恐ろしい女官の方を見つけ出したら、木蘭様の素晴らしさを夜通し布教させていただきましょう。そして、底なしの木蘭様沼に引き摺り込んで、足の先から頭のてっぺんまで綺麗に沈めてさしあげますわ!)


 作戦は完璧と言えた。

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