第7話 白蛇の神器と悪意の茶菓子

「それで、本題なのだが」

「はい。内密のご相談があるのでしたよね」


 そうなのだ。文には紅玉宮付きの女官にも内緒で、白蛇の娘の異能を頼りたいとあった。そのために白蛇の娘の正装と、形代となるぬいぐるみたちを持参したわけである。


「以前、白州に伺った時のことは」

「……申し訳ありませんッ!! 昨日のことのようにしっかりと覚えております! 一言一句忘れられませんでした!」


 木蘭様は『忘れてくれ』とおっしゃいましたのに、と苺苺は白状する。

 しかし木蘭は怒ることなく、


「そうか。内密にしてくれたのだな。恩に着る」


と新春に花が綻ぶような、やわらかな微笑みを浮かべた。


「あっ、あっ、あっ。尊みが深いですっ!」

(そんな、当然のことですわ)


 苺苺は淑やかな笑みを浮かべる。推しの摂取過多で、本音と建て前が反対になっているのには気づいていないらしい。

 木蘭は内心、『尊みが深い? とは?』と首を傾げる。


「朱家から届いた茶菓子だ。食べながら話そう」

「はい。いただきますわ」

(ああ、ふたりきりでお茶会だなんて、心臓がいくつあっても足りないです)


 苺苺は舞い上がるような気持ちで、勧められたお茶菓子を手に持った。

 照れ隠しに、ひとくち食んで……あら? と目を丸くする。

 さすが紅玉宮のお茶菓子だ。木蓮の花を型どられた茶菓子は、上品な甘さで確かに美味しいのだが……なぜだか飲み込むたびに、胸が痛くなる気がする。

 毒味の女官はいるはずだし、毒ではないだろう。


(これは、まさか)


 白蛇の娘にだけ受け継がれている書物の内容を思い出す。

 だとしたら、木蘭の身体が心配だ。


「今回相談したいのは、その時に話した呪詛の件とは別になると思うのだが……最近、まったく眠れないのだ。不眠症というのだろうか」

「眠れない……。他にはなにかありますか? たとえば、身体のどこかが痛む、というような」

「ああ。清明節の二週間ほど前からだろうか、内側から胸が痛む」

「……やっぱり」


 苺苺の予想は確信に変わってしまった。


(幼い木蘭様になんという仕打ちを)

「その症状が時々、消えることがあるのだ。大抵、妾が外に出た日なのだが……昨日は特に顕著だった。この症状は病ではなく呪詛で、苺苺が異能を使って祓っているのだろう?」


 木蘭は確信に満ちた様子で問う。

 苺苺はビクッと肩を震わせると、罪人のようにしゅんと俯いた。


「はい。木蘭様の言うと通り、わたくしの異能です……。まことに勝手ながら、木蘭様をお守りするために異能を行使しておりました。許可なく勝手をしていた罰は受けますわ」


 震えながら、「どうぞ、煮るなり焼くなりいたしてください」と深く頭を下げる。


「なぜそうなる。妾は苺苺に感謝しているのだ」

「え?」

「苺苺のおかげで、妾はこうして今も生きている。……礼を言う」

「あっ、あっ」


 苺苺は感動のあまり、だばーっと涙を流した。

 バレたら大変だと思っていた推し活が、まさか、まさか感謝されるだなんて。


「ううっ、ぐすっ……。これからもわたくし、木蘭様を悪意からお守りするために全力を尽くして参ります……! 配慮は最大限に、ですが、もう遠慮はいたしませんわっ!!」


 苺苺は袂から簡易裁縫道具を取り出して円卓の上に置く。そして、持ってきていた籠から布を外し、その中身も遠慮なく円卓の上に並べた。


 裁縫道具や大筆、朱塗りの皿、絹の団扇にぬいぐるみと、木蘭からして見れば繋がりのわからないものばかりだ。

 いや、絹の団扇とぬいぐるみだけはわかるか。

 見事な紫木蓮の刺繍と木蘭によく似た人形……とくれば、これが自分に関連付けられるものだということくらい理解できた。


「これは白蛇の娘に代々伝わる〝白蛇の神器〟というものです。こちらから『白蛇の針』、『天狐の毛筆』、『龍血の銘々皿』と言います。わたくしはこの白蛇の神器を使って、自らの血に流れる異能を操り、この世の悪意を祓うことができるのです」


 苺苺は涙腺の緩んでいた顔をキリリと引き締め、指先を揃えた手で円卓の上に置いたものたちを差した。


「この世の悪意とは五つの姿があるとされています。〝呪靄じゅあい〟〝呪妖じゅよう〟〝呪毒じゅどく〟〝呪詛じゅそ〟そして〝怪異かいい〟――」


 白蛇の娘が書き記した書物には、『この世の病や死は五つの悪意からもたらされる』とされている。人間の肉体、精神、魂の三つのうち、肉体か精神が欠けると病にかかり、魂が欠けると死に至るらしい。


「木蘭様に向けられているのは、呪靄と呪妖、そしておそらく呪毒です」


 呪靄は人々の胸に宿る悪意や口から放たれた悪意で、その感情の強さは五つの悪意の中でもっとも弱い。そのため呪靄は日常的に発生し、精神を侵そうとまとわりつく。呪靄に侵されると疲れやすくなったり、感情が乱されたりするだけでなく、長く侵されると精神を蝕む病にかかるとされている。


 呪妖は呪靄が集まって変化し意思を持ったものだ。より強い悪意の塊で、発生源となる人間を操って、物理的に害をなそうとしてくるのが特徴である。

 呪毒は食べ物に宿る。呪靄や呪妖よりも精製された悪意で、匂いもなければ眼にも見えない。呪毒が宿った食べ物を口にすると、肉体が内側から蝕まれて病にかかる。徹底的に隠れているので見つけにくく、対処が遅れやすい。


 他には呪詛、怪異と、さらに強い悪意があるのだが、今は割愛しておく。


「原因不明の病であったり、突然気がふれたように別人になってしまう方は、悪意に蝕まれているのですわ」


 白蛇と婚姻した白家の娘のように。

 苺苺は木蘭に五つの悪意の詳細を説明すると、「ですが」と言葉を濁した。


「悪意がどこのどなたから向けられているのかということを、わたくしには見抜くことができません。特に呪靄はたくさんの方の悪意の集合体です。向けられるたびに封じて祓う……という方法をとることになります」


 同じく発生源に宿る呪妖も、目には見えても誰に害をなそうとしているのかはわからない。呪妖を心に飼っている人間は多いし、そんな人間に白蛇妃のお祓いなんて受けてもらえるはずもない。なのであらかじめ形代を用意して、自動的に集めてしまうのが解決への近道であった。


「そのために、『白蛇の針』を使うのです」

「この白銀の針か。見たことのない材質だな……」

「『白家白蛇伝』に出てくる大蛇の鱗で作られたものだそうです。この針と異能を使って、守護対象者を象徴する意匠を布に刺繍することで、悪意を封じ込めることができますわ」

「なるほど。それで木蓮の花を刺繍した絹の団扇と、妾の形をした布偶があるのか」


 ふむ、と木蘭は納得した様子で、白州刺繍の技法で刺された見事な紫木蓮が咲き誇る団扇を手に取る。その瞬間、団扇に青い火が灯った。


「は?」

「木蘭様っ! お手をお離しください!」

「……っ!」


 床の上に打ち捨てられた団扇が、ボゥッと青い炎に包まれる。


「も、燃えているが」

「申し訳ございません……。木蘭様が手にされた時に、団扇に封じられる悪意の限界がきたようです。この青い炎は、いわゆる燐火ですわ。元気に燃え盛っておりますが、こう見えて見た目だけなので触れても害はありません。悪意自体は封じられて祓われたあとですので」


 ですが、七つまでは何が起きてもおかしくはありませんから、木蘭様は触れられないようになさってください、と骨組みだけになった残骸を苺苺が拾う。


「一応、こちらはわたくしが回収させていただきますね」


 異能の術を使った証拠が残っていては面倒になる。


「すまない、せっかくの大作を」

「いいえっ。これでまた、木蘭様を想って新しい図案を考える楽しみができましたわ! はぁぁぁっ、想像力が掻き立てられます……っ!! 次の作品では木蘭様の初夏の装いにぴったりの図案を考えますから、ぜひ贈り物にさせてくださいませっ。あああ、そうですわ! 先日、わたくしの実家から朱色の絹が送られてきましたの。良かったら破魔の衣裳も作らせてくださいまし……!」


 全力で推し活をしてきた苺苺だが、〝白蛇〟の冠をいただく最下級妃という立場上、最上級妃への贈り物だけは許されなかった。

 王都の市井で行われている推し活では、推している演劇の旅一座や演者本人に宛てて熱心に贈り物を送ったり、姿絵を購入して間接的に貢いだりすると聞く。


(こんなに全力で推しに貢げる絶好の機会……逃しません!)

「衣裳は……燃えるのか?」

「破魔の衣裳は、悪意を寄せ付けないために特別な技法を用いて縫う衣ですので、燃えませんわ。ご安心ください」

「そうか。では、いつか貰えたら嬉しい」


 眉を優しく下げて、可愛らしい幼妃が目を細める。


(あっ、あっ。この限りない喜びを、木蘭様推しのみなさまと分かち合えたら、どんなにか……っ。そうですわ、あとから若麗様とお話できないでしょうか!? 若麗様は木蘭様の筆頭女官ですし、絶対に木蘭様推しですわよね!?)


 後宮妃で推し活をしているのは奇特な苺苺くらいだが、女官には嗜みとして浸透している。

 女官たちの推し活は妃を慕って尽くしたり、他の妃を推す女官と応援合戦や代理戦争をするもので、市井の推し活文化も取り入れた木蘭様過激派の苺苺とは若干推し活の方向性が違うのだが――それを知らぬ苺苺は、『若麗様とお話するのが楽しみですわ』と微笑んだ。

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