119.漆黒のもふもふ町

 狼の隠れ里は山のただ中にある。日当たりも限られた土地で雪解けも遅く、冷たい空気はまるで谷間に張り付くように残り続けたが、それもつい先日までのこと。陽光の下をゆく狼人の一人が頭上を指差した。


「見ろ、木が芽吹いている」


「また忙しくなるな」


 里にも遅い春がやってきた。ようやく迎えた芽生えの季節、新緑の森を抜けて訪れるのは春風ばかりではない。


「マスター、それは?」


「アズラからの手紙だ。熟練の職人を含めた数人でもうすぐこっちに来るらしい」


 ヴィタ・タマでの戦いの後、俺は街の復興が軌道に乗ったのを見届けて里へ戻ることにした。その際、里に数人のドワーフを派遣してくれるよう言い残していたのだ。ヴィタ・タマの訪問にはアズラの救助だけでなく、里の機械や農具を整備、発展させられる技術者を探すという目的もあったからだ。


 そこでまっさきに名乗りを上げたのがアズラだった。ただ冬の間は行き来も大変だし水車も凍りついている。しばらくはドワーフ族の再興に力を注いでもらい、春が来たら里へ来てもらおう。そんな約束を結んでいたのがようやく果たされようとしている。


 あちらの近況を綴った手紙を見せると、シズクやアンジェリーナも期待に満ちた目をしている。


「向こうじゃゆっくりドワーフの技術を見る機会もなかったからね。どんなものか楽しみだ」


「それで、ドワーフが暮らす町づくりの方は順調そうなんです?」


「ああ、住む人数が多いだけに完成はまだまだ先らしいが、大枠は完成して名前も決まったらしい。アズラが名付けたそうだ。この手紙に承認を願う文書も同封されている」


「ドワーフ族はマージの旗下に入ったわけだから、重要な拠点を移したり名前を変えるにはマージの許可がいるってことだね」


 いざ支配下におかれるとなれば反発もあるかと思っていたが、二万人を越えるドワーフから俺の下につくことを拒む声はほとんど上がらなかったという。曰く、「約束したなら仕方ない」と。


「潔いです。パパも心の中でそう言ってる気がします。気がするだけですが」


「あれだけの荒くれ具合を直に見せつけたのだから、下手な圧力などかけてくることはあるまい、っていう自信と打算もあるんだろうな」


「あー……」


 ダンジョンから湧き出した魔物の群れを、まるで飲み込むかのように撃滅した肉の大波。あれが草原を越えてここへ押し寄せると想像するだけで背筋が寒くなる。


 もっとも、ドワーフたちの暮らしに口出しする気など俺には毛頭ないが。あくまで自治に任せた上で、狼人族と互いに協力するために俺が上に立つ。そういう関係だ。


「ではマスター、新たな町の名は?」


「読み上げよう。

 我ら鉱人ドワーフ族、自らの新たな都、帰るべき町を建てり。そこはかつての受難の地。そして我が友アンジェリーナ=エメスメスとの共闘の地。光と音を失った暗闇の中、彼女の手より伝わる信念と覚悟のみを標に戦った場所。ドワーフ族の未来のため、岩を綿として不殺ころさずを貫いた地を礎とせり」


「おお、あの場所だったんですか」


 アンジェリーナとアズラが協力してキルミージを食い止めた場所だ。一度はダンジョンの魔海嘯で沈んだあそこが、今は町の礎になっているらしい。


 いよいよ町の名前だ。


「永く我らの友好の象徴たらんとするその町の名を……うん?」


「マスター?」


「焦らすもんじゃないです!」


 コエさんたちがどうしたのかと覗き込んでくる。黙っていても仕方ないので、とにかく書いてあるまま読み上げる。


「その町の名を、『漆黒のもふもふ町』とすることを許し願いたく候」


 場を、沈黙が支配した。


「……マージ、もう一回」


「町の名を、『漆黒のもふもふ町』とすることを許し願いたく候」


 由来は分かる。


 アズラは目と耳を潰した暗闇の中で戦った。だから漆黒。

 戦いの最後、岩をあえて柔らかくすることでキルミージの命を取らなかった。だからもふもふ。


 それを組み合わせて、『漆黒のもふもふ町』。


「ボク、アズラのことは好きだけど理解は一生できない気がする……」


「かわいい名前でジェリはいいと思うです。それ許可するんです?」


「ドワーフたちがこれでいいって言ったのなら、俺が却下する理由はないからな」


「ではマスター、『漆黒のもふもふ町』を許可する旨の書簡を作成致します」


 粛々と手続きを進めるコエさんがなんとも頼もしい。シズクも尊敬とも戸惑いとも言えない視線を向けている。


「『漆黒のもふもふ町』ってコエさんが大真面目に言ってると違和感がすごいね……」


 と、そんな出来事がありつつも、ドワーフの来訪はたちまちのうちに里の全員へと広まった。年寄りたちは父母に聞かされたかつての同胞が帰ってくる感慨に、若者たちは未知の存在への期待に、それぞれ胸を膨らませている。


 皆が沸き立っている理由はもうひとつある。

 春とドワーフの訪れは、皆が待ち望んだ二度目の稲作が始まることも意味しているのだ。


 昨年の稲作は試験的な意味合いが強かったため大した量を作れなかったが、今年の稲作は違う。いよいよコメを主食とすることを目指して本格的な栽培を始めるのだ。日に日に暖かさを増す春風の中、準備は総出で進められていった。

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